食品中の発がん物質と放射性物質のリスク評価 — 福島原発事故の影響を考える —

2012年06月04日 15:00
国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長 薬学博士

食品の中にはたくさんの発がん性物質が含まれる

原子力発電所事故で放出された放射性物質で汚染された食品について不安を感じている方が多いと思います。「発がん物質はどんなにわずかでも許容できない」という主張もあり、子どものためにどこまで注意すればいいのかと途方に暮れているお母さん方も多いことでしょう。特に飲食による「内部被ばく」をことさら強調する主張があるために、飲食と健康リスクについて、このコラムで説明します。

実は食品中にはたくさんの発がん物質が含まれており、そのリスクをどう考えるかということについてこれまで世界中の食品安全に関わる科学者が検討してきました。

放射性物質のように遺伝子を傷つけるタイプの発がん物質は「遺伝毒性発がん物質」と分類され、その有害影響には閾値(いき値)がない、つまり量がゼロでなければ有害影響もゼロにはならないという仮定を採用して管理しています。この仮説を線形閾値なし仮説、「LNT仮説」と呼びます。そして遺伝毒性発がん物質については、合理的に達成可能な限り低く(As Low As Reasonably Achievable;ALARA)という原則で管理するということにしています。

ALARA原則に従って、食品添加物や残留農薬のように、その使用について認可制になっているものについては、意図的に遺伝毒性発がん性がある物質を食品に加えることは認められません。ところが天然に食品中に存在する発がん物質については、ALARA原則は具体的に何をどうすればいいのか、個別の物質についてどこが「合理的に達成可能」なレベルなのかを具体的に示すものではないことが問題でした。

MOEという指標を使ったリスクの検討

遺伝毒性発がん物質は科学の進歩によりどんどん発見され増える一方で、その多くが天然物で簡単に排除できないものです。無い方がいいのは分かりきっていても、だからといって食べるものが無くなっては本末転倒です。

そこでリスク管理に優先順位をつけ、かつ一般向けのリスクコミュニケーションにも有用な指標として暴露マージン(Margin of Exposure:MOE)という指標を、食品リスクの評価では使うようになっています。

MOEは毒性影響の指標となる用量を、実際の暴露量(食べたり飲んだりして曝された量)で割ったもので、安全側にどれだけ余裕があるかということを意味します。(注1)この指標でリスクを考えてみましょう。

このMOEの値が小さいものが、リスクが高いということなので、それから優先的に対策していきましょうということになります。これまでに計算されてきたMOEの値を表に示します。(表1、文末)

日本では放射性物質による生涯被ばく量として、食品安全委員会が100mSvという目安を設けていますのでそれを毒性影響の指標としましょう。現在1kg当たり100ベクレルというセシウム137の食品基準が設定されています。 計算方法は省略しますが、基準値上限の基準値ちょうどのセシウム137を含む食品を1kg食べたとするとMOEは76923となります。2kg食べた場合はその半分です。ただし計算して出てくる細かい数字にあまり意味はなく、桁が同じなら同じ程度というような大まかな指標だと考えて下さい。

MOEは数値の少ないほど、リスクが高くなります。日本人の各種食品中発がん物質についてのMOEは計算されていないのですが、海外のデータと同程度だと仮定して考えると、現在流通している食品中の放射能由来のリスクはそれほど大きくないと言えます。

他の食品リスクと放射線のリスクを比較する

他のリスクと比較してみましょう。図の中で「多環芳香族炭化水素(PAH)」、「フラン」、「アクリルアミド」という物質が出てきます。これは食品を加熱するとできる物質です。「カルバミン酸エチル」という物質はブランデーやテキーラのほかには梅酒に比較的多く検出される物質です。上記のMOEで76923という基準値ちょうどの食品1kgを食べるリスクは、日常生活の飲食物の調理で発生するそれらの物質によって生じるリスクと同程度です。

ほとんどの人にとってMOEから考えれば、リスク回避対策の優先順位の高い発がん物質は放射性物質ではなく無機ヒ素になると思われます。

日本人は水産物とコメの消費量が多いため無機ヒ素の暴露量が多いだろうと予想されています。この問題について私は研究者として、リスクの大きさから考えたら、被災地以外の日本人にとっては放射線と同じレベルのリスク対策が必要とされていると考えています。それにもかかわらず、一般的にはあまり関心をもたれていません。

無機ヒ素濃度をできるだけ減らすように気を付けている人はどの程度日本にいるのでしょうか。また加熱して発生する発がん物質の「アクリルアミド」の摂取を減らすために、日本を含めて世界の保健担当の行政機関は「トーストや揚げ物は加熱しすぎないでください」と呼びかけています。それについて知っていて実行している人がどれだけいるでしょうか。

放射性物質を避けようとして水道水をミネラルウォーターに変える、放射能対策に良いという噂を聞いて海藻類をたくさん食べたり白米を玄米にしたりという行動を推奨する人がいます。ところが、そうした行動は、無機ヒ素によるリスクを高くしてしまいます。(注2)

ただし日本人は無機ヒ素の暴露量が多くても長寿の国です。つまりこれらの発がん物質は、リスクがゼロではないし対策が必要とはいえ、それほど大きなリスクではないということでもあります。

私たちが食べる食品は未知のリスクの固まり

また私たちの周囲の食品は、多くのリスクを抱えています。たくさんの人をがんにしているタバコや酒については桁違いに大きなリスク要因です。あまり注意されていないのがビタミン類を含むサプリメントやいわゆる健康食品にもがんリスクを高くするものがあります。これらの問題点は普通に食品から食べた場合にはあり得ないような大量を長期間に渡ってとり続けることによって、暴露量が多くなるということです。

特定のリスクにだけ注目することで他のリスクを減らすための対策に必要なリソースを減らしてしまうのは、全体のリスクを最適化するためには望ましいことではありません。

さらに重要なことは、食品の中にはまだたくさんの知られていないリスクがあるだろうということです。私たちが毎日食べているものは、もともと安全性が確認されたり保障されたりしているものではなく、未知の、膨大なリスクのかたまりです。このことは食品の安全性を考える際に、常に念頭におかなければなりません。

食品を構成する全ての成分を知ることは多分不可能なので、私たちは未知のリスクについてもある程度想定する必要があります。そのため、特定の食品を避けたりたくさん摂ったりすることなく、多様な食品からなる栄養バランスのとれた食生活が最適解であろうとされているのです。

食品添加物や残留農薬でがんになるとか、現在の日本に流通している食品で計測されている程度の、ほんのわずかの被ばくでもがんになるとか脅かしながら、タバコや飲酒についてまったく触れない主張は、正当性をかなり欠いたものです。

現在検出されている放射性物質の量であれば、既にわかっているほかの発がん物質に比べて飛び抜けて高いリスクというわけではありません。福島に住む人であっても、それ以外の地域に住む人であっても、同じ方法で対処できるといえます。バランス良く、いろいろな産地や種類の美味しいものを喜んで頂いて食生活を楽しみましょう。

(注1)表のPOD(出発点)の欄の数値を推定暴露量で割ったものがMOEになります。MOEの算出方法、詳細な説明は拙著「「安全な食べもの」ってなんだろう?—放射線と食品のリスクを考える」(日本評論社)を参照ください。

(注2)参考までに食品中のヒ素については文献から集めたデータを掲載しています。ただし無機ヒ素のデータはそれほど多いわけではなく、個別の暴露量を推定するのは困難です。


表 遺伝毒性発がん物質のMOE






























































































































































































































































































































物質 MOE 条件 機関、年度 POD
ベンゾ(a)ピレン 130,000-7,000,000 食品由来 COC, 2007 動物実験のBMDL10 0.1mg/kg 体重/日
6価クロム 9,100-90,000 食品由来 COC, 2007 動物実験のBMDL10
クロム 770,000-5,500,000 飲料水 COC, 2007 動物実験のBMDL10
1,2-ジクロロエタン 4,000,000-192,000,000 飲料水 COC, 2007 動物実験のBMDL10
ベンゾ(a)ピレン 17,000,000-1,600,000,000 飲料水 COC, 2007 動物実験のBMDL10 0.1mg/kg 体重/日
1,2-ジクロロエタン 355,000 – 48,000,000 室内空気 COC, 2007 動物実験のBMDL10
ベンゾ(a)ピレン 10800-17900 食品由来 EFSA, 2008 動物実験のBMDL10 0.07mg/kg 体重/日
PAH2 15900 平均的摂取群 EFSA, 2008 動物実験のBMDL10 0.17mg/kg 体重/日
PAH4 17500 平均的摂取群 EFSA, 2008 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH8 17000 平均的摂取群 EFSA, 2008 動物実験のBMDL10 0.49mg/kg 体重/日
カルバミン酸エチル 18000 アルコール以外 EFSA, 2007 動物実験のBMDL10 0.3mg/kg 体重/日
カルバミン酸エチル >600 ブランデーとテキーラを飲む人 EFSA, 2007 動物実験のBMDL10 0.3mg/kg 体重/日
アクリルアミド 78-310 ラット乳腺腫瘍を指標 JECFA, 2010 動物実験のBMDL10 0.31mg/kg 体重/日
アクリルアミド 50-200 非発がん影響(神経形態) JECFA, 2010 動物実験のNOAEL 0.2mg/kg 体重/日
アクリルアミド 45-180 マウスハーダー腺腫瘍 JECFA, 2010 動物実験のBMDL10 0.18mg/kg 体重/日
カルバミン酸エチル 20000 平均的摂取群 JECFA, 2005 動物実験のBMDL10 0.3mg/kg 体重/日
カルバミン酸エチル 3800 高摂取群 JECFA, 2005 動物実験のBMDL10 0.3mg/kg 体重/日
アクリルアミド 133-429 オランダの2-6才の子ども RIVM, 2009 動物実験のBMDL10 0.3mg/kg 体重/日
アクリルアミド 300-1,000 オランダの1-97才 RIVM, 2009 動物実験のBMDL10 0.3mg/kg 体重/日
アフラトキシンB1 63-1,130 オランダの2-6才の子ども RIVM, 2009 動物実験のBMDL10 0.16x 10-3mg/kg 体重/日
フラン 480-960 食品由来 JECFA, 2010 動物実験のBMDL10 0.96mg/kg 体重/日
食品中ヒ素 余裕はない ヨーロッパの平均的消費者(注1)(注2) EFSA, 2009 ヒト疫学データのBMDL01 0.3 ~ 8 µg/kg 体重/日
食品中ヒ素 1.1-33 フランス成人平均 ANSES, 2011 ヒト疫学データのBMDL01 0.3 ~ 8 µg/kg 体重/日
食品中ヒ素 0.6-17 フランス成人95パーセンタイル ANSES, 2011 ヒト疫学データのBMDL01 0.3 ~ 8 µg/kg 体重/日
食品中ヒ素 0.8-27 フランス子ども平均 ANSES, 2011 ヒト疫学データのBMDL01 0.3 ~ 8 µg/kg 体重/日
食品中ヒ素 0.4-13 フランス子ども95パーセンタイル ANSES, 2011 ヒト疫学データのBMDL01 0.3 ~ 8 µg/kg 体重/日
アクリルアミド 419-721 フランス成人平均 ANSES, 2011 動物実験のBMDL10 0.18-0.31mg/kg 体重/日
アクリルアミド 176-304 フランス成人95パーセンタイル ANSES, 2011 動物実験のBMDL10 0.18-0.31mg/kg 体重/日
アクリルアミド 261-449 フランス子ども平均 ANSES, 2011 動物実験のBMDL10 0.18-0.31mg/kg 体重/日
アクリルアミド 100-172 フランス子ども95パーセンタイル ANSES, 2011 動物実験のBMDL10 0.18-0.31mg/kg 体重/日
PAH4 113409-230041 フランス成人 ANSES, 2011 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH4 72433-150509 フランス子ども ANSES, 2011 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
無機ヒ素 9-32 香港平均 CFS, 2012 ヒト疫学データのBMDL05 3.0 µg/kg 体重/日(注3)
無機ヒ素 5-18 香港高摂取群 CFS, 2012 ヒト疫学データのBMDL05 3.0 µg/kg 体重/日
PAH4 186800-138800 英国乳児、野菜果物由来、平均暴露群 FSA, 2012 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH4 68800-50900 英国乳児、野菜果物由来、97.5パーセンタイル暴露群 FSA, 2012 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH4 145900-119700 英国幼児、野菜果物由来、平均暴露群 FSA, 2012 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH4 74600-63900 英国幼児、野菜果物由来、97.5パーセンタイル暴露群 FSA, 2012 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH4 202400-166700 英国若者、野菜果物由来、平均暴露群 FSA, 2012 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH4 102400-84200 英国若者、野菜果物由来、97.5パーセンタイル暴露群 FSA, 2012 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH4 323800-267700 英国成人、野菜果物由来、平均暴露群 FSA, 2012 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH4 179900-149800 英国成人、野菜果物由来、97.5パーセンタイル暴露群 FSA, 2012 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH4 269800-223700 英国ベジタリアン、野菜果物由来、平均暴露群 FSA, 2012 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH4 157400-129300 英国ベジタリアン、野菜果物由来、97.5パーセンタイル暴露群 FSA, 2012 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日
PAH4 27600-15500 英国人全食品由来平均-97.5パーセンタイル EFSA 2008 動物実験のBMDL10 0.34mg/kg 体重/日


PAH8:ベンゾ(a)ピレン、ベンズ[a]アントラセン、ベンゾ [b]フルオランテン、ベンゾ[k] フルオランテン、ベンゾ[ghi]ペリレン、 クリセン、ジベンズ [a,h]アントラセン及びインデノ [1,2,3-cd]ピレン
注1:BMDL01が 0.3 ~ 8 µg/kg 体重/日に対して推定摂取量0.13~ 0.56 µg/kg 体重/日
注2:BMDL01が 0.3 ~ 8 µg/kg 体重/日に対して推定摂取量0.37~ 1.22 µg/kg 体重/日。
なお海藻を食べる人達は4 µg/kg 体重/日程度になる可能性があり米を食べる3才未満の子どもは成人の2-3倍になる
注3:香港が使用しているPODはJECFAが2010年に設定したもの、香港によれば香港の食事からの無機ヒ素摂取量は日本人の約半分

略語
COC:食品、消費者製品、環境中化学物質のがん原性に関する科学委員会(英国)
ANSES:フランス食品環境労働衛生安全庁
EFSA:欧州食品安全機関
FSA:英国食品基準庁
JECFA:FAO/WHO合同食品添加物専門家会議
RIVM:オランダ 国立公衆健康環境研究所
CFS:香港食品安全センター

BMDL:ベンチマーク用量95%信頼下限値
BMDL10は腫瘍発生が10%増加するBMDL
NOAEL:無影響量、有害影響が観察されない最高投与量

This page as PDF
国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長 薬学博士

関連記事

  • 再生可能エネルギーの先行きについて、さまざまな考えがあります。原子力と化石燃料から脱却する手段との期待が一部にある一方で、そのコスト高と発電の不安定性から基幹電源にはまだならないという考えが、世界のエネルギーの専門家の一般的な考えです。
  • 燃料電池自動車の市場化の目標時期(2015年)が間近に迫ってきて、「水素社会の到来か」などという声をあちこちで耳にするようになりました。燃料電池を始めとする水素技術関係のシンポジウムや展示会なども活況を呈しているようです。
  • 今年7月からはじまる再生可能エネルギーの振興策である買取制度(FIT)が批判を集めています。太陽光などで発電された電気を電力会社に強制的に買い取らせ、それを国民が負担するものです。政府案では、太陽光発電の買取額が1kWh当たり42円と高額で、国民の負担が増加することが懸念されています。
  • 反原発を訴えるデモが東京・永田町の首相官邸、国会周辺で毎週金曜日の夜に開かれている。参加者は一時1万人以上に達し、また日本各地でも行われて、社会に波紋を広げた。この動きめぐって市民の政治参加を評価する声がある一方で、「愚者の行進」などと冷ややかな批判も根強い。行き着く先はどこか。
  • 3月7日から筆者の滞在するジュネーブにて開催された100年以上の歴史を誇るモーターショーを振り返りつつ雑感を述べたい。「Salon International de l’Auto」、いわゆるジュネーブ・モーターショーのことだ。いわゆるジュネーブ・モーターショーのこと。1905年から開催されている。
  • アゴラ研究所の運営するエネルギーのバーチャルシンクタンクであるGEPR(グローバルエナジー・ポリシーリサーチ)はサイトを更新しました。
  • 経済産業省は東電の原子力部門を分離して事実上の国営にする方向のようだが、これは順序が違う。柏崎刈羽原発を普通に動かせば、福島事故の賠償や廃炉のコストは十分まかなえるので、まず経産省が今までの「逃げ」の姿勢を改め、バックフ
  • 米国では発送電分離による電力自由化が進展している上に、スマートメーターやデマンドレスポンスの技術が普及するなどスマートグリッド化が進展しており、それに比べると日本の電力システムは立ち遅れている、あるいは日本では電力会社がガラバゴス的な電力システムを作りあげているなどの報道をよく耳にする。しかし米国内の事情通に聞くと、必ずしもそうではないようだ。実際のところはどうなのだろうか。今回は米国在住の若手電気系エンジニアからの報告を掲載する。

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

まだデータがありません。

まだデータがありません。

まだデータがありません。

過去の記事

ページの先頭に戻る↑