「リスクコミュニケーション・パターン集」作成の試みー不安・懸念に寄り添うために

2012年09月03日 15:00
難波 美帆
早稲田大学大学院政治学研究科准教授

「リスクコミュニケーション」とは何か

昨年3月11日以降、福島第一原子力発電所の事故を受け、「リスクコミュニケーション」という言葉を耳にする機会が増えた。

リスクコミュニケーションとは健康への影響が心配される事柄について、社会で適切に管理していくために、企業や行政、専門家、市民が情報を共有し、相互に意見交換して合意形成していくことをさす。

政府や東京電力は、環境中に放出された有害性物質(放射性物質)について緊急時には速やかに暴露量の見積もりと回避手段を伝え、ひとまずの緊急時を過ぎれば有害性(可能性を含む)情報を丁寧に伝えた上で、国民が望む選択を共有していかなければならなかった。

ところが、情報収集の遅れから緊急情報の発信と避難誘導が遅れ、その後もマスメディアや専門家からの「安全だ」という判断を押し付けるような情報発信が相次いだことから、国民との間でコミュニケーションの前提となる信頼関係が大きく損なわれてしまった。

一方で、放射性物質やその健康影響の専門家ではないが、周辺領域の専門家やジャーナリストが、活発化しているソーシャルネットワークを使って、読者とコミュニケーションによる信頼を築き、積極的に情報提供を進めた。また、各地域においては、政府による除染の手が回らず、有志による環境放射線の測定、除染、勉強会が行われ、そこでは小中高の先生や科学ジャーナリスト、理系研究者が講師役やコミュニケーターを務めた。

リスコミをする人の不安に応える

このような中にあって、最前線でリスクコミュニケーションにあたる教員や研究者からは、科学的に不確実性のある情報を適切に発信するためにどのような点に留意してコミュニケーションすればよいか、自らの判断を求められた時や違う考え方をする人たちが鋭く対立してしまった時はどうすればよいか、などについて不安・懸念の声が聞かれる。

今夏、早稲田大学では、東日本大震災復興研究の一環として、さまざまなリスクコミュニケーション場面に見られる共通の形式を参加者の知見から抽出するワークショップ『では、どう伝えればよかったのか−リスクコミュニケーションの肝を考える』を実施した。これにより、ワークショップ参加者が、困難な状況を含む多様なリスクコミュニケーションの場面で、落ちついて対処できるようになるのみならず、成果物として、「パターン集」の作成を目指した。

ワークショップでは、情報編集、個人のリスク認知、社会のリスク管理手法等についての講義を受けた後、研究の進展により健康影響が顕在化しつつある「ナノ粒子」について研究者の情報提供を受け、講義の内容を参考に、約20名の参加者が1日半かけて、パターン集の作成に取り組んだ。

「デマに向き合うには?」−対応策の指針「パターンランゲージ」を作る

パターン集の作成では、まず、ナノ粒子の健康影響について直前に聞いた情報や情報提供者とのコミュニケーションをふりかえり、あわせて自身の体験を元にリスクコミュニケーションの場面で繰り返し起こりうる類型的・普遍的な問題やジレンマ状況の書き出しを行った。パターン集のフォーマットは、「パターンランゲージ」(慶応大学井庭崇氏のブログ『井庭崇のConcept Walk』)の手法を参考に「問題、状況、対処案」の構成要素を設けた。

本ワークショップでは、始めにフリーディスカッションでグループ内で問題を挙げ、それを個々人でワークシートに書き込む際に、その問題が起きる状況の抽出、対処案の提案を書き込んでもらった。書き込んだシートはグループ内で相互に添削した後、壁に張り出して全体共有し、グループ分けや同様の問題の統合等の作業を行った。

井庭氏の考案したパターンランゲージは、人間の経験知や暗黙知を平易でかつキャッチーな言葉で一般化、体系化してパターン集としてまとめているところに特徴がある。リスクコミュニケーションのパターン集でも、ワークシートに書き込んでいったパターンが、参加者の今後に役立つだけでなく、これを読む人々にとって参考になるように、グループや全体で推敲を重ね、記述を洗練させ、一般化・体系化を目指した。

例をあげてみよう。「社会で注目を集めるテーマではデマや反論を発信する人が常に存在する」という問題を提起した人がいた。問題抽出の次に、その問題が起きてしまう状況を考えシートに記入する。この問題が起きてしまう背景には、「発信者の思い込み」や「間違った情報で利益を得る人の存在」があるためという状況が書き込まれた。この参加者はジャーナリストで、東日本大震災以降、誤った情報の流通による社会混乱に向き合ったそうだ。

この問題提起に対して、グループ内で対処法の議論が行われた。「論争に巻き込まれない」「正しい情報を伝え続ける」「発信者の信頼を確保する」などの対応が提案されていた。ワークショップ企画者は、リスクコミュニケーションでは、唯一正解の対処案はなく、対処案によって新たなジレンマ状況が生まれることもあるという仮説を持ち、対処案にはメリット・デメリットも記入してもらった。

参加者の気づき「多様なリスク認識がある」

結果として、3日間のワークショップで60個のパターンを抽出することができた。参加者には、ワークの最初と最後に、それぞれ「学習目標シート」と「ふりかえりシート」を記入してもらい、ワークにどのような経験を求め、どのような成果を得られたのかを自己評価してもらった。これらを分析してみると、受講者たちのニーズは、主催者がワークショップの目標としていた「リスクコミュニケーションについての理解を深め、 多様なリスクコミュニケーション場面に対応できる『構え」を身につける』に合致しており、ワークショップに満足したことが記されていた。

参加者が学習目標シートに書き込んだ、「ワークショップで達成したいこと」として、回答が多かったのは次のような目標であった。

  • 他の参加者の意見を聞きたい。
  • リスクコミュニケーションを企画・実施したい。
  • リスクコミュニケーションとは何かを理解したい。

これに対してワークショップ後には次のようなふりかえりがあった。

  • リスクコミュニケーションには正確な答えはないが、今回のようなワークショップをやっていくことでさまざまなパターンランゲージが出てきて対処法が見出せていくと思いました。
  • リスクコミュニケーションと一口に言っても、伝える個人や内容によってコミュニケーションの上で考慮する問題や対処法がことなる想像力が必要。多くの人の考えや意見をきいて話すことで、解決の糸口になりそう。
  • さまざまな立場やバックグラウンドを持つ参加者と議論する機会により、自分の考えの偏向性と多様な視点に気付いた。
  • リスク認識も、リスクコミュニケーションの形も、自分が思っていたよりずっと多様だということ。

考え方が多種多様であるがゆえに、相手の立場を想像しながら議論することが必要であると、多くの人が書き記していた。このワークショップにより、参加者はリスクコミュニケーションの本質を理解し、一方的な情報伝達ではコミュニケーションがうまくいかないことを、自らの体験知の掘り起こしと議論から気づいたと言えるのではないだろうか。

「パターンランゲージ」の共有で適切な対話を

本ワークショップでは、議論の中で放射線のリスクコミュニケーションに話題が向くことを阻止することはなかったが、あえて、きっかけとなる話題提供は「ナノ粒子の健康影響」をとりあげた。これは震災以来、これまで数々のシンポジウムやパネルディスカッションなどで、原発利用の是非や低線量被曝の問題について、参加者の意見が二分され、双方に理解が進むことなく、物別れに終わってしまう様子を多々見てきたからである。

ナノ粒子という有害性自体が明らかになりつつある物質のリスクコミュニケーションを提示することで、放射性物質とそれについての自分の意見にこだわらず、より普遍的、一般的なリスクコミュニケーションの話をしてもらうことを狙った。実際、参加者の中には、さまざまな意見の方がいらしたが、上述したように、原発の是非において全く意見が違うメンバーとも、グループのなかで冷静に、自らの立場に固執せずにパターンの抽出が行われていた。

今回のワークショップの知見を活かし、以下の提案をしたい。

一つは、個別の有害物質の分野で、リスクコミュニケーションを企画したり、そこで情報提供する役割を果たしたりする専門家同士で集まり、今回のワークショップと同様に問題のパターンを検討するワークショップを実施すること。

これにより、参加者は立場の違う人とどの様に意見交換すれば信頼関係を失わずにコミュニケーションできるかについて、抽出過程において、体験的に学ぶことができる。ひいては実際のリスクコミュニケーションの企画・運営、情報提供を行うときに、難しい状況においての「心構え」を得ることができる。

その際、一からパターン抽出することは時間がかかるので、今回のワークショップで作成されるパターン集をサンプルに、検討・改訂するような方法でパターンの抽出をすることもできるだろう。

もう一つの提案は、既にあるリスクコミュニケーションの実践知見の社会での共有である。現在、我々の「パターン集」は作成途上だ。レクチャーの聴講含めて一からパターン集を作るには、3日間でも時間が足りず、一応の抽出を終えた60のパターンは、今後記述表現の推敲や体系化の作業を続けて完成に近づける作業を必要とする。今後の作業も有志を募って、グループ作業で進めて行く予定である。完成の後には、広く参考にしていただけるようにFacebookなどを使って公開したいと考えている。

リスクコミュニケーションについては、すでに環境、化学物質、食の安心・安全等の分野で省庁や関係研究機関等に蓄積がある。それらを一度棚卸しして、各地の最前線でリスクコミュニケーションにあたっている人、あたりたいと考えている人たちと共有していくことを呼びかけたい。

(2012年9月3日掲載)

This page as PDF
難波 美帆
早稲田大学大学院政治学研究科准教授

関連記事

  • オーストラリアは、1998年に公営の電気事業を発電・送電・小売に分割民営化し、電力市場を導入した。ここで言う電力市場は、全ての発電・小売会社が参加を強制される、強制プールモデルと言われるものである。電気を売りたい発電事業者は、前日の12時30分までに卸電力市場に入札することが求められ、翌日の想定需要に応じて、入札価格の安い順に落札電源が決定する。このとき、最後に落札した電源の入札価格が卸電力市場価格(電力プール価格)となる。(正確に言うと、需給直前まで一旦入札した内容を変更することもできるが、その際は変更理由も付すことが求められ、公正取引委員会が事後検証を行う。)
  • 震災から10ヶ月も経った今も、“放射線パニック“は収まるどころか、深刻さを増しているようである。涙ながらに危険を訴える学者、安全ばかり強調する医師など、専門家の立場も様々である。原発には利権がからむという“常識”もあってか、専門家の意見に対しても、多くの国民が懐疑的になっており、私なども、東電とも政府とも関係がないのに、すっかり、“御用学者”のレッテルを貼られる始末である。しかし、なぜ被ばくの影響について、専門家の意見がこれほど分かれるのであろうか?
  • 海は人間にとって身近でありながら、他方最も未知な存在とも言える。その海は未知が故に多くの可能性を秘めており、食料庫として利用しているのみならず、たくさんのエネルギー資源が存在している。
  • これは環境省の広域処理情報サイトのトップページにあるメッセージ。宮城県と岩手県のがれきの総量は、環境省の推計量で2045万トン。政府は2014年3月末までに、がれき処理を終わらせる目標を掲げている。
  • 次にくる問題は、国際関係の中での核燃料サイクル政策の在り方の問題である。すなわち、日本の核燃料サイクル政策が、日本国内だけの独立した問題であり得るかという問題である。
  • 台湾が5月15日から日本からの食品輸入規制を強化した。これに対して日本政府が抗議を申し入れた。しかし、今回の日本は、対応を間違えている。台湾に抗議することでなく、国内の食品基準を見直し、食品への信頼感を取り戻す事である。そのことで、国内の風評被害も減ることと思う。
  • フィナンシャル・タイムズ
    英フィナンシャル・タイムズ7月19日記事。シェールガスで大量の生産が始まった米国から産出の中心である中東へガスが輸出された。エネルギーの流れが変わろうとしている。
  • 無資源国日本の新エネルギー源として「燃える氷」と言われるメタンハイドレートが注目を集める。天然ガスと同じ成分で、日本近海で存在が確認されている。無資源国の日本にとって、自主資源となる期待がある。

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑