非科学的な原子力規制委員会の行動を憂う — 不公正を許してはならない

2013年05月13日 12:20
森本 紀行
HCアセットマネジメント社長

不存在の証明は不可能である

原子力規制委員会は、今年7月の施行を目指して、新しい原子力発電の安全基準づくりを進めている。そして現存する原子力施設の地下に活断層が存在するかどうかについて、熱心な議論を展開している。この活断層の上部にプラントをつくってはならないという方針が、新安全基準でも取り入れられる見込みだ。

ここで「安全性とは何か」をまず考えてみよう。そもそもあらゆることにおいて完全な安全性の証明は不可能である。哲学的にいうと「不存在の証明は不可能である」ということだ。

超巨大な隕石が原子力施設の中核部を直撃して原子炉を破壊することを、絶対に起き得ないことを証明できるかというと、それは不可能だ。極限的微小であっても理論的な可能性としては、あり得るからだ。無限小は、どこまでいっても零にはならない。論理上は、零は連続を超えた飛躍となる。

そうだとするならば、活断層の詮議は科学の地平において可能なものなのか。活断層の不存在を証明することは論理的に不可能である。そもそも活断層の定義自体が、専門家によって異なり、明確に定まらないのだ。

それを考えると規制委員会は、科学の名のもとに何か科学とはまったく次元の異なることを論議していると認識できる。議論されるべき活断層の定義は、地質学という科学の問題ではなくて、あくまでも原子力安全基準との関連におけるものだ。施設の立地を制限するという政策目的に従属した行政の問題、まさに政治の問題なのである。

原子力に限らず安全性の問題は、完全な安全性の証明や保証があり得ない以上、残された微小な危険を総合的な利益考量のなかで国民として受け入れるかどうかという政治決断に帰着するわけだ。

危険性の許容範囲の議論をなぜしないのか

東京電力福島第一原子力発電所の事故に関して、人は事故の背景にある「安全神話」を強く批判した。これは、あり得ない完全な安全性の神話的仮構のもとに、原子力発電が行われてきたことへの批判であった。

それならば「安全神話」を否定するということは、神話の裏にある危険性に正面から目を向けることである。危険性の国民的許容の範囲こそが、議論の焦点でなければならないわけだ。

では「危険性を議論する」とは、どういうことであろうか。規制委員会は科学的検証の名のもとに、危険の存在を認定し、それを除去しようと努めている。活断層の認定も、「科学的に」と表明している。一見すると、国民受けしてかっこいい姿勢だ。

しかし実のところ完全な危険の除去などできない。これは、単に大衆迎合的な演技にすぎない。危険が完全に除去できるかのような偽装のもとに、科学的には断じて正当化し得ない欺瞞のもとに、まさに形を変えた「安全神話」を振り撒こうとしているのだ。

危険を正面から議論するとは、危険が完全には除去できないとの前提で、どの程度までに危険が制御されたならば、その危険を受け入れることができるのか、という一種の社会的合意の形成を目指すことでなければならない。

活断層を例にとれば「活断層であるかどうか」ということは誰にもいい切れないであろう。残る危険について、現在の原子力工学や建築工学の技術に照らして、万が一の地震などの災害の可能性に対して、施設の安全性を守れるかどうかという建設的な、そして真に科学的な議論こそが、行われるべきなのだ。

また危険性が社会的に許容範囲内かどうかについては、確定的に白黒をつけることができず、どこまでも程度に関する合意の問題にとどまるであろう。そのために丁寧な総合的な知見の集積を踏まえた議論が必要なのである。その上で、偏向を排した意見を取りまとめること、これが規制委員会の本来の役割である。

「お白洲」に原子力事業者を引き出す異様さ

ところが現在の規制委員会の議論の方法と手続きは、本来の役割とはまったく異なる。

活断層の議論で、規制委員会は「活断層ではないとの積極的証明がなされない限り、活断層と判定せざるを得ない」という立場を明瞭にしている。現在、立地の下に活断層が存在する可能性を指摘されている敦賀と東通の原子力発電所について、その議論の延長線上に、活断層を認定して原子炉を廃炉にしようと動いている。

しかも廃炉については規定が明確でなく規制委員会は法的権限がないのに「活断層の上に重要施設の設置は建てない」という趣旨の現行法規の規定を拡大解釈して、廃炉に持ち込もうとしている。

原子力規制委員会は、活断層の不存在の証明という不可能を、原子力事業者に強いているわけだ。

審理をする場合に、それはあくまでも対論、公平の構造でなされるべきである。しかし原発の活断層と安全基準をめぐる規制委員会の審理構造は違う。行政機関の地位の明瞭な優越のもとに、原子力事業者が裁かれている。古い時代の反民主主義的な刑事裁判のようだ。

規制委員会は、検事兼裁判官のような役割を持つように見える。原子力事業者に「これは活断層だろう」という嫌疑をぶつけ、「反論があるなら、その嫌疑を自分で晴らせ」と言うようなもの。その上で、「反論は不十分だから、嫌疑通りの廃炉という裁きを受けろ」と命じる。そのような構図に見える。原子力事業者はお白洲に土下座させられているようなものであって、お奉行様に嫌疑をもたれたら、もうお終いということだ。

規制委員会は、法律を越えて活動できてしまう。内閣総理大臣の安倍晋三氏や、法律を決める国会よりも「偉い」ことになる。そんなことはあってはならない。

ここで強調するが、私は規制委員会の議論の内容を否定する気持ちはない。私の批判は「科学的偽装のもとで非科学を論じるという方法論」と「手続きの不適切さ」に向けられたものだ。

政府の放置の中で政治決断が行われる異様さ

なぜ、そうなるのか。一連の規制委員会の非科学的な手法と高圧的な手続きについて、世論も政府も放置しているからだ。

私は、原子力事業者とは利害関係もないし、支援しているわけでもない。強く声を大きくして批判したいのは、審理の科学性と公平性を欠いた原子力規制委員会の方法であり、結果として導かれる著しく政治的な結論だ。

この一連の動きを私は、不公正であると考える。これは原子力推進、反原子力などという立場の差を超えた問題である。
 

政府も政治家も、原子力事業者寄りにみなされることは政治状況的に好ましくないとの判断で、風向きに敏感な風見鶏を決め込んでいるのであろう。低俗な大衆迎合政治の行き着くところ、悲劇が待ち受けていることは歴史が繰り返し証明している。

根源的問題に帰れば、原子力規制は、原子力事業の存在を前提とし、その安全性の確保を目的としたものだ。そうであれば、規制の本質は、危険性を許容限界に収めることであって、安全性を証明することではない。

原子力規制委員会は、自己の役割に忠実に、上に述べた意味での安全な、原子力事業の健全な発展のために尽力するべきなのだ。

森本 紀行(もりもと・のりゆき)
HCアセットマネジメント 代表取締役社長。東京大学文学部哲学科卒。三井生命、ワイアット株式会社(現タワーズワトソン)を経て2002年11月に、資産運用会社のHCアセットマネジメントを設立。原子力、電力改革にも積極的な発言を行っている。著書に『福島原子力事故の責任 法律の正義と社会的公正』(日本電気協会出版部)など。

(2013年5月13日掲載)

This page as PDF
森本 紀行
HCアセットマネジメント社長

関連記事

  • 今年3月11日、東日本大震災から一年を迎え、深い哀悼の意が東北の人々に寄せられた。しかしながら、今被災者が直面している更なる危機に対して何も行動が取られないのであれば、折角の哀悼の意も多くの意味を持たないことになってしまう。今現在の危機は、あの大津波とは異なり、日本に住む人々が防ぐことのできるものである。
  • 「原子力ムラ」という言葉がある。漠然としているが「政官学財に巣食い、癒着し、閉鎖的で、利権をむさぼる悪の結社」という意味を込め、批判の文脈で使う人が多いようだ。
  • 世の中には「電力自由化」がいいことだと思っている人がいるようだ。企業の規制をなくす自由化は、一般論としては望ましいが、民主党政権のもとで経産省がやった電力自由化は最悪の部類に入る。自由化の最大の目的は電気代を下げることだ
  • 関西電力は、6月21日に「関西電力管外の大口のお客さまを対象としたネガワット取引について」というプレスリリースを行った。詳細は、関西電力のホームページで、プレスリリースそのものを読んでいただきたいが、その主旨は、関西電力が、5月28日に発表していた、関西電力管内での「ネガワットプラン」と称する「ネガワット取引」と同様の取引を関西電力管外の60Hz(ヘルツ)地域の一部である、中部電力、北陸電力、中国電力の管内にまで拡大するということである。
  • 1997年に開催された国連気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)で採択された京都議定書は、我が国の誇る古都の名前を冠していることもあり、強い思い入れを持っている方もいるだろう。先進国に拘束力ある排出削減義務を負わせた仕組みは、温暖化対策の第一歩としては非常に大きな意義があったと言える。しかし、採択から15年が経って世界経済の牽引役は先進国から新興国に代わり、国際政治の構造も様変わりした。今後世界全体での温室効果ガス排出削減はどのような枠組を志向していくべきなのか。京都議定書第1約束期間を振り返りつつ、今後の展望を考える。
  • 後半では核燃料サイクルの問題を取り上げます。まず核燃料サイクルを簡単に説明しましょう。核燃料の95%は再利用できるので、それを使う構想です。また使用済み核燃料の中には1-2%、核物質のプルトニウムが発生します。
  • 福島第一原子力発電所の災害が起きて、日本は将来の原子力エネルギーの役割について再考を迫られている。ところがなぜか、その近くにある女川(おながわ)原発(宮城県)が深刻な事故を起こさなかったことついては、あまり目が向けられていない。2011年3月11日の地震と津波の際に女川で何が起こらなかったのかは、福島で何が起こったかより以上に、重要だ。
  • 16日に行われた衆議院議員選挙で、自民党が480議席中、294議席を獲得して、民主党から政権が交代します。エネルギー政策では「脱原発」に軸足を切った民主党政権の政策から転換することを期待する向きが多いのですが、実現するのでしょうか。GEPR編集部は問題を整理するため、「政権交代、エネルギー政策は正常化するのか?自民党に残る曖昧さ」をまとめました。

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑