原子力規制委員会によるバックフィット規制の問題点(下)

2014年02月24日 16:00
池田 信夫
アゴラ研究所所長

(全3回)()(

5.制度設計の欠陥

このような一連の規制が、法律はおろか通達も閣議決定もなしに行なわれてきたことは印象的である。行政手続法では官庁が行政指導を行なう場合にも文書化して根拠法を明示すべきだと規定しているので、これは行政指導ともいえない「個人的お願い」である。逆にいうと、民主党政権がこういう非公式の決定を繰り返したのは、彼らも根拠法がないことを知っていたためだろう。

しかも実質的な安全性は高まっていない。1000年に1度の震災に対する対策は過剰に実施されたが、それ以外のリスク(特に人的エラー)はほとんど想定していない。福島第一原発事故の最大の教訓は、政府事故調査委員会が指摘したように「想定外」のテールリスクをどう扱うかというリスク管理だった。それはGEPRでも書いたように認知的な問題で、官民癒着や「原子力村」を糾弾しても何も解決しない。

ところが規制委員会は「原子力村」を排除して組織されたため、既存の規制を理解している委員がおらず、独立性の強い三条委員会(国家行政組織法第三条に定める各省と同格の委員会)にしたため、他官庁の情報がほとんど入らなくなった。事務局は各官庁からの出向なので、実態は八条委員会とそれほど変わらないのだが、委員会が孤立して内閣にも手が出せない。霞ヶ関の膨大な人的資源が利用できないので、委員は「個人商店」で思い思いにやっている。

こういう制度設計は、民主党政権の意思を反映していた。2013年4月30日の北海道新聞のインタビューで、菅元首相はこう答えている。

[原発が]トントントンと元に戻るかといえば、戻りません。10基も20基も再稼働するなんてあり得ない。そう簡単に戻らない仕組みを民主党は残した。その象徴が原子力安全・保安院をつぶして原子力規制委員会をつくったことです。[…]独立した規制委の設置は自民党も賛成しました。いまさら元に戻すことはできない。

一般論でいうと規制当局が産業振興を行なう官庁から独立していることは望ましいが、それはアメリカのように多くの専門家が契約ベースで委員会に入って活動できる社会の話である。日本のような長期雇用の社会では、民間企業を辞めて行政委員会に勤務する人はほとんどいないので、スタッフの多くは官庁からの出向になる。つまり実態は八条委員会(官庁の下部機関)と同じなのに、それに責任を負う「親会社」が内閣以外にない「孤児」になってしまうのだ。

内閣には人事権以外の権限はないので、原子力のような専門的な問題について委員会を指揮することはできない。他の官庁の情報も入らず、協力も得られない。特に原子力規制委員会の場合は「原子力村」を排除しろという声に押されて反原発派を委員に任命し、他の官庁や学界との会合も「談合だ」として禁止した結果、規制委員会は霞ヶ関の中でも原子力業界でも孤立してしまった。工学部出身の田中委員長には、バックフィットが憲法違反になるおそれのある危険な規制だという認識もないようにみえる。

「自民党も賛成した」のは、三条委員会にしたのが自民党の塩崎恭久氏だからである。彼はアメリカのNRC(Nuclear Regulatory Committee)のような独立性の強い専門家集団を日本でもつくるべきだと主張し、民主党政権もそれに賛成したが、経産省はまったく協力しなかった。NRCは米民主党の反原発キャンペーンに利用され、30年以上もアメリカの原発建設を阻止してきた政治色の強い委員会である。福島事故のとき「80km以内は退避」という勧告を出したヤツコ委員長は過激な反原発派で、オバマ大統領に解任された。

日本の官僚が中立なのは長期雇用が保証されているからで、アメリカのように幹部が政治任用になると、政権への従属性は強まる。幹部人事は政権交代でリセットされるので、その結果を見て有権者が判断すればよい。これはよくも悪くも、政治主導の徹底したしくみである。このような「国のかたち」の違いを無視して制度設計だけをつまみ食いすると、今回のような暴走が起こる。内閣も他の官庁も田中委員長の非常識な運用を止めることができず、電力会社も委員会と相談すると「癒着だ」と批判されるので文句をいわない。

6.結論

安倍内閣は「規制委員会が安全性を確認した原発は再稼働する」という方針をとっているが、これは以上みたように誤解である。規制委員会は運転の安全性を審査しているのではなく、新しい規制基準に適合するかどうかを審査しているのである。原発を「絶対安全」にすることは、可能でも必要でもない。他の交通事故などのリスクより十分低い程度に収まればよく、既存の原発はその基準を満たしている。

多くの原発で定期検査は終わっているので、委員会が保安規定を認可すれば運転できる。現に大飯はそれで再稼動し、核燃料サイクル施設は運転しながら新基準の審査をしている。民主党政権は、大飯は「例外だ」として他の原発の再稼動を阻止したが、逆に大飯のように運転しながら安全審査を行なうことが原子炉等規制法に定める手続きなのだ。

しかし規制委員会は民主党政権の意向を受けて、田中私案で運転再開の条件を設置変更許可と工事認可にも拡大した。これには法的根拠がなく、憲法で禁じる法の遡及適用に当たるおそれが強い。この異常事態は、民主党政権の暴走と法令の欠陥と規制委員会の恣意的な運用が複合して起こった競合脱線のようなもので、ここに至る経緯はきわめて複雑だが、整理すると次のようになる。

  1. 原子炉等規制法では、安全審査は運転と並行して行なわれるもので、審査のために運転を止める必要はない。
  2. 法改正によって、第43条の3の23でバックフィットを求める規定ができ、法令違反があった場合は使用停止を命令できるようになった。
  3. どういう場合に停止命令を出すかについては委員会規則がないので、応急的に猶予期間をもうけて大飯を例外とする田中私案ができた。
  4. そのとき新基準への適合を運転開始の条件としたため、すべての原発の設置許可申請を出し直すことになり、多くの時間が浪費されている。

今回の原発停止は、東海地震のリスクが大きい浜岡原発に対する菅首相の行政指導で始まったのだから、他の原発の定期検査を延長する理由はない。当時の国民感情に配慮してストレステストを行なうとしても、その合格を区切りとして正常化するのが常識的な考え方だろう。ところが民主党政権は「脱原発」の世論が唯一の支持基盤なので、2012年初めにストレステストの結果が出ても、原発を通常どおり運転しなかった。

そのあとは、2012年夏の大飯の再稼動が正常化のきっかけだった。ストレステストに多くの原発が合格していたのだから、大飯以外も再稼動し、運転しながら安全審査をすべきだった。しかし野田首相は「電力が逼迫している」という政治決断で大飯だけを再稼動した。

そして2013年の再稼動のとき、使用前検査の法的条件を委員会規則などで決めるチャンスだったが、田中委員長は大飯を例外として処理するために田中私案を書き、ここで安全審査の合格を「運転の再開の前提条件」としたため、法的根拠なく止められている使用前検査が、無期限に延期されてしまった。この結果、莫大な燃料費が浪費され、貿易赤字が拡大しているが、安全性は高まらない。

バックフィットは技術的な問題のように見えるが、背景にあるのは法の支配という近代国家の根本原理である。法にもとづかないで国家権力を行使することはできず、個人も企業も法によって保護されるという思想が、日本人には定着していない。国会議員まで「法律より安全が大事だ」というが、安全が大事ならそれにふさわしい法改正を行なえばよい。その時間は十分あったのに、民主党政権がやったことは法的根拠のない「閣僚会議」などを開いて「私案」の類を乱発することだった。自民党政権も、それに呪縛されている。

「今さら争っても始まらない」というあきらめが電力会社には強いが、全国の原発の審査をすべて終えるには、今のペースでやると5年以上かかる。田中私案のような恣意的な規制を前例として認めると、今後もエスカレートするおそれが強い。田中委員長のいう「普遍的なシステム」にするためには、田中私案を撤回して、バックフィットをどの範囲まで適用するか、停止命令を出すか否か、事業者への補償をどうするかなどの条件を検討し、法令にもとづいた委員会規則をあらためて制定する必要がある。
*諸葛宗男氏・岡本孝司氏にいただいたコメントに感謝したい。

(2014年2月24日掲載)

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