豊洲への早期移転が望ましい理由

2017年03月08日 16:10
中西 準子
産業技術総合研究所名誉フェロー

~厳しすぎる土壌環境基準、環境対策にお金と時間をかけすぎてはいけない~

豊洲市場に水道はあるの?

小池百合子東京都知事の登場で、豊洲市場予定地の安全問題について、私の周囲にいる高齢者の女性たちの関心も高まり、昨年の秋口は集まるとその話題という状況だった。誰もが「もう、安心してマグロの刺身もダメね」というような心配を口にしていた。筆者は、あるとき、聞いてみた。どうして、と。「あんな水で洗った刺身なんか食べられない」。地下水は、市場では使わないと説明すると、「では、水はどうするの?」となり、掃除も含めて水道水を使うと答えると、「水道があるのか」とつぶやくような声になった。そこにいた他の人も、大半は、市場では井戸水で魚や、まな板を洗うと考えて、ニュースを聴いていたようだった。

もちろん、これは完全な間違いである。

東京都は「豊洲市場において地下水の飲用その他の利用は予定していないため、問題は生じない」とはっきり言っているし、土壌汚染対策法(以下、土対法)でも、地下水利用はないということで対策が議論されている。豊洲市場予定地は有害物質が残っていることが分かっており、土対法に拠って汚染物が除去されてきた。それでも、まだ完全ではないという疑いは常に流布されている。

確かに、全く有害物がないとはいえない。こういう場合に一番重要なのは、もし、そこに有害物があった時、どの経路で、どのくらいの量が人体に入るか、そして、何が起きるかを決めることである。それが、リスク評価である。

飲食物の場合は、直接体内に入るから、摂取の経路についての議論は不要だが、環境汚染の場合には、摂取経路の確定を真っ先に行わなければならない。しかるに、豊洲市場の場合、摂取経路が分からぬまま議論されている。これでは将来に禍根を残すのではないだろうか。

土壌汚染対策法とは何か?

環境省が出しているパンフレット「土壌汚染のしくみ」(VER.4, 2016.8)には、「土壌汚染があっても、すぐに私たちの健康に悪い影響があるわけではありません」「土壌汚染対策法は、これらの健康リスクをきちんと管理するために作られました」と、同法の精神が述べられている。

同法では、まず汚染を認定するか否かの「認定段階」があり、ここで汚染と認定された場合に、人の健康に対するリスクを判断する「リスク分類段階」になる。判断には、3つの基準が使われる。有害物質含有量基準(以下、含有量基準)、有害物質溶出量基準(以下、溶出量基準)、そして地下水水質基準である。

含有量と溶出量が基準を超過した場合に、「土壌汚染あり」と認定するのが認定段階。次のリスク分類段階では、摂取経路を判断し、飲用の経路ありとなれば「地下水水質基準」と比較し、また、直接摂取の経路がある場合には「含有量基準」と比較してリスクの有無を判断する。

「おそれあり(リスクあり)」の場合には「要措置区域」となり、汚染の除去や封じ込めが必要になる。「おそれなし(リスク無し)」の場合には、「形質変更時要届出区域」となり、除去や封じ込めは求められず、大きな工事などの場合に届出が必要なだけである 。

環境基準が抱える問題点

新聞やTVは、しばしば環境基準の何倍と言うが、環境基準とは何か?

本来、豊洲市場のような場合、環境基準は土壌環境基準であるべきである。そして、そのスポットが安全か否かは、地下水の水質で判断されるべきではなく、土壌 溶出量で判断されるべきである。もし、環境基準の何倍というなら、(土壌溶出量)÷(土壌環境基準)の比の値でなければならない。

ところが、いつの間にか、(地下水の水質)÷(地下水の環境基準)の値をとりあげて、問題だということになっている。

何故、こういうことになってしまったのか? 実は、土壌の溶出量を量るのはたいへんなので、間接的ながら、地下水の水質を指標にすることがしばしばある。

これはやむを得ないことだが、大変大きな問題がある。わが国では、土壌の環境基準と地下水の環境基準の数値が同じなのである。

つまり、数値だけ考えると、わが国の法律では、以下の関係式が成り立っている。

水道水水質基準=地下水の飲料基準・・・(1)

水道水水質基準=地下水の環境基準・・・・・・・・・・・(2)

水道水水質基準=土壌溶出量基準・・・・・・・・・・・・(3)

水道水水質基準=土壌の環境基準・・・・・・・・・・・・(4)

(1)は納得できる。(2)も努力目標として理解できる。(3)は、はっきり言っておかしい。

例えば、鉛の水道水水質基準は0.01mg/L以下である。そして、土壌溶出量基準も同じだ。鉛だけでなく、すべての項目で土壌溶出量基準は水道水水質基準と数値が同じである。

ただ、土壌溶出量は「検液当たりの濃度」となっている。この検液とは何だろうか。土対法規則を調べると、100グラムの土壌を1Lの水の中に入れて、振とう機で6時間振とうした後の上澄み液をろ過したものとなっている。この溶液の鉛の濃度が水道水の基準を超えたら、汚染土壌だと認定される。この法律ができた時、筆者はこう言った。「環境省は、1Lの水に100gの土を入れて、6時間振とうし、その上澄みをとって、お茶を飲み、味噌汁を作り、ご飯を炊くことを、3食70年続けても安全というレベルにまで、日本中の土をピカピカにしたいらしい」と。

土壌溶出基準が水道水質基準と同じになってしまったことで、土対法はきわめて厳しいものになり、土地の売買を妨げ、さらには、土地の値段の高騰をもたらしているが、このことは他稿に譲るとして、次に進みたい。

豊洲市場用地除染の経緯

こういう法律の下で、豊洲市場の土壌はどういう経過をたどったか?

東京都は、売りたくないという東京ガス(株)を説き伏せて、工場の跡地を入手した。東京ガスが調査に着手したのは1998年、対策終了は2007年である。その時のデータは、2007年に開かれた「第1回豊洲新市場予定地における土壌汚染対策に関する専門家会議」(旧専門家会議)資料の一つとして、公開されている。土対法が制定されたのは、調査着手後の2002年である。この資料を見ると、東京ガスの調査と汚染は、その当時としては、かなり丁寧に行われたことが伺える。

それを受け取った東京都は、市場であるという特殊性や、規制の変化も考慮して、土壌の掘削を含む対策を提案したが、あくまでも、地下水の飲用によるリスクは存在しないという前提のものだった。対策のための計測と工事は膨大で、10平方メートル区画で、深度方向では地点によっては10m近くまで、1m刻みの調査が行われた。調査地点数は4122地点となった。ただし、自然由来の汚染地点では、調査は実施されていない。

その調査と汚染土壌改良工事が2014年10月に完了し、11月から201の井戸で、地下水のモニタリングが8回行われ、ほぼ地下水環境基準以内の結果となった。ところが、2年間の最後の9回目では基準値超えが多く出て大騒ぎになり、現在、再調査が行われている。

2007年以降の工事については、旧専門家会議の意見も多数反映された。途中の議論には、紆余曲折があるが、最終的には、揚水した際に処理を行うことなく下水に放流できる濃度レベル(地下水環境基準の10倍)で地下水管理を実施し、建物建設地では、ベンゼン、シアン化合物の濃度が地下水環境基準に適合することをめざすと整理されている(第1回、新専門家会議、2016)。地下水中のベンゼンやシアンについて、やや厳しい措置が加えられたのは、大気に拡散する場合のリスクの懸念からであったが、現実には、このリスクはきわめて小さいことが示され(第6回旧専門家会議、2008)、この付加措置は不要であったことが明らかになっている。このように、リスク計算はきちんと行われた。その意味で、豊洲市場の予定地の安全性は、十分証明されている。

ただ、同会議の過程で、土壌対策の効果が地下水の観測で分かる、しかも、その結果、地下水環境基準(水道水基準)以内に収まらなければならないという雰囲気が社会的に形成されていった。議事録を見ると、事務局や都の説明も、地下水環境基準超の値の場合、「基準値を超える」と言っているし、文書にも、何も注釈を加えずに、基準値0.01mg/Lなどと書いてある。いつの間にか、皆が、地下水水質で土壌の汚染が分かる、地下水環境基準を守らねばならないと思い込むようになっていったのが、よく分かる。

2014年11月から始まった2年間の地下水モニタリングも法的に不要なものだったが、豊洲市場の安全性評価が、そこに集約されているような雰囲気ができていった。対策の目標は健康リスクの低下なのだということが、いつの間にか忘れ去られていった。

この議論とは別に、2年間の地下水水質モニタリングで、最後の9回目だけ、8回目までと比べると、とても高い値がでたことについては、やはり、筆者も何か腑に落ちない。1月末、専門家会議のメンバーが参加しての調査がおこなわれているので、その結果をみて考えたいが、化学分析の方法がおかしいとか、採水の方法がおかしいとは考えにくい。地下水や空気の何らかの物理的な動きだとは思うが、地下水水質がある程度高い値がありうるという前提で考えてもいいのではないか。今回の結果も、地下水環境基準の79倍というスポットがあったが、実は10倍を超えた地点はきわめて少ない。そもそも、地下水環境基準の10倍程度で管理してもリスクに関係しないということが分かっていることを考慮したい。この間、社会的には、盛り土や地下ピットのことが大きな問題になったが、ここでは省略した。

では、どう考えればいいのか?

地下水の水質は土壌溶出量とは別のものではあるが、土壌対策後の効果と異常を知るためには、これを目安にするのが手軽である。したがって、その限界を知って使うのがいい。豊洲市場については、これまで専門家会議などが主張してきたことで進める以外にないが、地下水経由のリスクがないときでもこのような入念な調査が必要という風潮が出るとすれば、それは別の問題を生む。

先日、筆者は築地市場を見学した。余りの古さにたじろいだ。もちろん、古いから残すという考えもありうるが、文化的な財産とは意味が違うし、何よりもビジネスの場所だから、どう考えても早く移転するのがいいと思った。

豊洲市場の汚染対策に、これまで数千億の資金が投じられていると聞く。膨大な費用がかかることは、環境破壊をしていることになることを是非認識してほしい。これまでの環境対策にはこの視点がかけていた。

安全の対策にお金がかかることを問題視すると、お金より命が大事でしょという人も多い。よく社会を見て欲しい、お金がないために命を縮めている人がどれだけ多いかを。また、お金がかかる、時間がかかるは、エネルギーを使っていることでもある。エネルギーを得るために、私たちはどのくらい環境破壊をしているか。エネルギーを節約すれば、それだけ環境負荷を減らすことができる。だから、効率良く安全対策や環境対策をしなければならない。そのためには、リスクと言う概念がとても重要だ。

ある、政策を施した時に、ある資金を投入した時に、どのくらいリスクを減らすことができたかを考えれば、効率的な環境対策になる。日本の土対法の精神は、この考えでできている。水質汚濁防止法や大気汚染防止法には、この考えがない。水をきれいにする、食物を安全にするなどと違って、土をきれいにするという目標をもった時には、より頭脳が必要である。効果が間接的なので、お金をかければきりがないからである。土対法の精神は優れているのに、土壌の環境基準の決め方が余りにも厳しかったために、その良い所が生かされていない点が残念だ。

1960年代の終わりごろから始まった日本の環境対策は、公害をなくし、すてきな環境を作ることに成功した。しかし、お金も、エネルギーも使い放題という体質になっている。ここらで、環境対策50年をふり返り、直すべき時期にきていると思う。そういう視野をもちながら、この豊洲市場の土壌汚染対策を考えてほしい。

本小論は、筆者個人の見解です。

中西準子(なかにし・じゅんこ) 産業技術総合研究所名誉フェロー
産業技術総合研究所名誉フェロー。東京大学工学系大学院博士課程修了。工学博士。東京大学教授、横浜国立大学大学院教授などを経て産業技術総合研究所フェロー。現在は一線を退いた。専門は環境リスク論。『環境リスク学』(日本評論社)で毎日出版文化賞。2010年、文化功労者に選ばれた。


朝日新聞が運営するウェブメディア「WEBRONZA」に2017年2月13日に掲載された特集「豊洲市場はダメなのか?」から転載

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中西 準子
産業技術総合研究所名誉フェロー

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