福島を差別するゼロリスク信仰

2020年09月09日 16:00
池田 信夫
アゴラ研究所所長

原子力問題は、安倍政権が残した最大の宿題である。きのう(9月8日)のシンポジウムは、この厄介な問題に新政権がどう取り組むかを考える上で、いろいろな材料を提供できたと思う。ただ動画では質疑応答を割愛したので、質疑のポイントを補足しておく。

なぜ福島だけリスクをゼロにしなければならないのか

トリチウムを完全に分離する装置についての質問が出たが、これは無意味な問題である。トリチウムを処理水から除去する技術は経産省の小委員会でも検討されたが、どれも海洋放出よりはるかに大きなコストがかかるので却下された。

それより本質的な問題は、なぜ福島のトリチウムだけゼロにしなければならないのかということだ。柳ヶ瀬さんが示したように、日本各地の原発や再処理施設では、今でもトリチウムが海洋放出されている。

特に青森県六ヶ所村の再処理施設では、年間1300兆ベクレル以上のトリチウムが排出されているが、濃度は環境基準以下なので人体に害はない。風評被害で青森の魚が売れないということもない。なぜ福島の魚だけ風評被害が出るのか。

それはマスコミが福島の放射能だけ騒ぐからである。放射能は地球上どこにもあるが、ラジウム温泉で出る1ミリシーベルトより福島で出る1ミリシーベルトのほうがネタになるのでマスコミが騒ぎ、政治家もそれに迎合する。

細野さんが指摘したように、福島のトリチウムだけ危険だというのは差別であり、それが「福島は恐い」という風評を再生産している。これはインフルエンザのリスクを無視して、コロナのリスクだけをゼロにしようとするコロナ脳と同じだ。多くのリスクの中で特定のリスクだけを絶対化するゼロリスク信仰が、日本社会を停滞させているのだ。

風評被害の補償は「買い上げ方式」で

もう一つ出てきた質問は、補償問題である。これについては東電は公式には「漁業補償はすでにやっており、風評被害について追加の補償はできない」という立場だ。福島県漁連も「カネの問題ではない」というが、実際には風評被害の補償が焦点である。田原さんが東電の小早川社長から聞いた話では「風評被害も補償する」とのこことだ。

今の漁業補償は休業補償という方式で、事故前の所得の最大9割を補償するが、操業すると補償が出ない。大部分の漁民にとっては漁を休んだほうが楽なので、今は「試験操業」だけで通常の2割ぐらいの漁獲しかない。

福島の漁業をだめにしたのは、この休業補償の逆インセンティブである。漁協の中でも若い組合員には本格操業したいという意見が強いが、漁協の理事は高齢化しているので今のままのほうがいいという。その操業しない理由になっているのが風評被害である。

このジレンマを脱却するには、漁をすれば所得が上がるように補償制度を変える必要がある。たとえば自治体が魚を(風評被害の補償を上乗せして)高値で買い上げてはどうだろうか。その差額は東電が負担する。補償が多少増えても、20兆円を超える廃炉費用の中では大したコストではない。

カネの問題はタブーになっているが、生活の基盤を失った人々にとっては重要であり、西本さんも指摘したように、これを避けている限り処理水問題は動かない。そして処理水が動かないと原子力問題は動かない。これが今の閉塞状況を打開する鍵を握っていると思う。

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