除染対策でコストと効果の分析を — 中西・池田対談【言論アリーナ要旨(下)】

2014年07月14日 23:00

本記、要旨(上)(中)

【記事のポイント】
1・反対派と話し合うことで、提案することが問題解決の鍵。
2・過去の環境保護運動では事実と証拠を重視した。今はムード重視の雰囲気が広がる。
3・国民が正確な情報に基づき、自分の意思で決断を重ねるとき。
4・除染対策ではコスト、効果の分析が必要。

反対ではなく提案が、日本の下水道を変えた

池田・どうすれば、リスク論が受け入れられ、社会を変えることができるのでしょうか。

中西・私の経験をお話しましょう。私は最初、下水道の研究から、環境問題に取り組みました。

私は当初、流域下水道という考えに反対していたんです。(東京都の説明)広域的な、川の流域で一括して下水を処理する考えです

私は循環型の下水道を考えていました。水は循環させないと、不足してしまうし、循環型にした方が、河川の汚れはコストが低い形で取り除けたのです。

ところが流域に、水道水源がある場合には、汚染水が水道水に混じる可能性があるので、循環しない方がいいのです。海まで汚染水を持って行った方がいいという、流域下水道の考えにも一理ありました。

流域下水道の反対運動をしながら、うまく答えられないケースがたくさんあることに気づいきました。どうしたらいいか。リスクを考え、比較して、調和を取るしかない。それをリスク評価の研究を進めていったのです。

池田・結果的にどうなったのでしょうか。

中西・流域下水道では「工場排水を入れるな」「大規模なものをつくるな」という主張をしました。そして研究をした上で、人口密度の低いところでは個人下水道をつくるべきだという主張も入れました。1ヘクタール当たり40人以下のところでは、一戸一戸に作った方が合理的であるという考えです。

40年が経過して、いずれもかなり政策に反映されています。工場排水を下水に入れないようになりました。流域下水道の形は残っているのですが、循環型も取り入れる見直しが一部で進みました。それから個人下水道は、ほぼ全国で採用されています。

池田・中西さんの考えが、日本の下水道をよい方向に変えたわけですね。合理的に考え、リスクを全体で減らすという発想が、結果として環境を改善する役に立つということ。絶対反対という人は気持ちがいいかもしれませんが、何も変えることはできないでしょう。

中西・そう思います。何で妥協するのだと、私はいろいろな問題で批判され続けました。けれども、相手側にも理屈があるのです。知恵を出し合って協力しあって、意義のある案をつくるべきなんですよ。反対派と話すと、「ああそうだ」と、自分の足りなかった考えや視点に気づくことがたくさんあります。それを取り入れ、提案していく。その提案は妥協的に見えても、形になります。

ゼロリスクをすべての人が主張し、物事が動かない

池田・世界各国で、環境保護運動は環境重視の政党が政権交代で政権に入ることもあって現実的なんですよね。ところが日本の場合には、絶対反対の人が今でも主流です。で、もっと問題なのは政府がゼロリスクを変えない。

中西・今までは、官僚組織の中で、マネージされていた面があったのです。事実上ゼロリスクではないのですが、「鉛筆をなめる」というか、建前と実行で違うことをやっていました。同時に環境活動家の言うことも取り入れたのです。裁量的に行政が行われる可能性があるので、本当はよくないのですが。すべて悪いわけでもなかったのです。

ところが今、官僚機構はとても力が弱くなってしまった。そうすると、彼らだって、リスクのあることのあることをやりたくない。そして法律に記された通りのゼロリスク政策が実行されてしまいます。そして混乱が、環境規制で起こっています。

国民の一人、自分の意思で、納得の上で、物事を議論し、調整し、選択するフェーズにきていると思うのです。しかし、それが行われない。誰もが善人。安全と安心のためにゼロリスクを主張します。リスクを議論と科学的な検証の上で、受け入れられるものは許容しましょうという考えが批判されます。そうすると、あらゆる物事で、社会全体が動かないという状況なんですね。

池田・どうすればいいのでしょうか。

中西・難しい問いですが、一つひとつ崩していかなければいけない。私の今までの経験からすると、「もうダメだ」という状況になったときに、自然と、急に変わることがあるんです。「ふとした」という表現があてはまるように。だから放射線の問題も、決してマイナス面だけでは終わらず、正しい意見の方に転換すると思います。もともと私は楽観主義なんですよ。

ただ、まだのようですね。あるメディアにコメントを求められました。「帰還困難区域では帰れない場所があるということを明確にした上で、帰れるところをはっきり示し、除染は限定した方がいいのです」と意見を述べたのですが、丸ごとカットされました。そして、ゼロリスクを追求するべきという方向に、報道は傾いてしまう。

池田・自分がマスコミにいた反省を言いますと、リスクゼロとか小さいリスクを過度に強調することは、報道しやすいんですよね。けれども、そうやって、環境問題が大騒ぎになる。PCB騒動、所沢ダイオキシン騒動、BSE騒動など、環境こうした話が続いています。

中西・そうした問題では、確かに健康被害の可能性があって、取り組みをする必要がありました。ところが、対策が過剰に行われてしまう傾向があります。結局、深刻な健康被害は起きなかったのに、金銭の面、そして社会混乱が生じてしまいます。ダイオキシン騒動のときは日本中のゴミ焼却炉を立て替えるという話になりました。そうしてもリスクは高まりませんでした。またこの時に、母乳をやめようという風説まで広がりました。それにはまったく根拠はなく、赤ちゃんの健康にはマイナスになったかもしれません。

池田・過剰反応は、いつも出てきます。しかし今回の福島の問題は、中西さんのこれまでの経験の中でも最大規模でしょう。金額の大きさ、巻き込まれる人の多さで。乗り越えるには何が必要でしょうか。

中西・今回の除染の問題では、放射線のリスクだけではなく、地元の人の生活の問題と絡みあい、複雑になっている面があります。お金や生活再建など人々の不安など、さまざまな問題が放として出ているという問題があります。地元の方の大半は放射線のリスクについてはよく勉強していて、認知の面では乗り越えている人が多いかもしれないのです。そういう周辺のことを一つひとつ、国が東電と共に解決してほしいです。

また風評被害がひどいです。私が悲しく思ったのが、東電の賠償の根拠が、「精神的な被害」なんです。以前は健康の被害に補償が行われました。必要のなかったかもしれないダメージの大きさを、とても残念なことに思うのです。

かつての環境保護運動、事実に基づいて戦った

池田・私は70年代に、伊方原発訴訟を取材しました。これは科学者の久米三四郎さんが中心になりましたが、政府を論破したほど、精緻な論証をしました。過去の反原発運動、そして環境保護運動の方が、科学的には精緻な分析をしていたように思えます。

中西・私もそうした印象を受けます。私たちがかつて、公害に向き合ったとき、武器は「ファクト」(事実)でしたし、それしか武器はなかったのです。このような汚染や環境被害、問題について、事実を示す証拠を積み重ね、相手の企業や国と向き合いました。今はムーディッシュ(印象的)ですよね。マスコミを使ったり、運動として大きくする技術は優れていますが、その元には「ファクト」があるべきであると思うのです。

池田・私の印象では、中西さんがやってきた反公害運動の経験が、うまく継承されていないように思うのです。

中西・ぜひ私たちの経験を知ってほしいです。対案の提示がなければ、世の中は動かないし、人々の支持も集まらない

高木仁三郎さん(物理学者、原子力)さんとか、宇井純さん(東大助手、琉球大学教授)とかも、対案を出そうとしていました。反対運動では、残念ながら、科学的に奇妙なことを主張する方はいます。高木さんは、そういう人と一緒にされることを嫌がっていました。

日本人自らの手で、世界で先駆的に基準をつくる

池田・国も変わらなければならないでしょうね。

中西・放射線問題の場合に、健康被害が起こるかどうかは、データがなく、仮説に基づいて議論しなければならない面があります。LNT仮説などを採用し、統計の分析、確率など、一般の方に、非常に分かりづらいところで議論が行われています。こうした新しい問題、またコミュニケーションに、対応しきれていない面があります。

低線量被ばくとどのように向き合うかという問題で、日本が世界の先例をつくっているのです。しかし、このままだと問題です。

例えば、海外の研究者が、日本の事故を私たちの研究所を訪問し一人当たりの除染の費用とか、費用と効果の分析などについて聞いてきます。「情報がない。情報を日本政府は隠しているのか」と言われたことがあります。実は、そうしたことを、しっかり考えているところがないまま、除染という大事業が行われています。そう説明すると、驚かれました。残念ながらこの状況は恥ずかしいことです。

日本では、これまで、自分たちで決めずに、「外国ではこういう基準だ」といって、規制を決めることが多かった面がありました。「WHOでは」とか、「米国のEPA(環境庁)では」とか。自分たちが苦しみながら、新しい基準をつくり、社会にどのように受け入れられるべきかを考えるべきでしょう。

特に、この問題では、コストとベネフィットを考えることが必要です。それを真剣に分析していませんでした。若い人は今、「コスパ」という言葉を使うでしょう。除染に2兆円以上を使うなら、もっと良いことに使えるはずです。

池田・今回は類例がチェルノブイリぐらいしかないのですから、自分の頭で考えるべきときでしょうね。私が、リスクを比較して考えようというと、冷たい人間と言われてしまいます。しかし、こうした発想には必要性があり、そうした考えに基づいて、中西さんが現実を良い方向に変えてきた事実を、ぜひ多くの方に知っていただきたいと思います。

(2014年7月14日掲載)

This page as PDF

関連記事

  • 東京電力福島第一原発の事故処理で、汚染水問題が騒がれている。このコラムで私は問題を考えるための図を2つ示し、以下の結論を示したい。
  • 東日本大震災で発生した災害廃棄物(がれき)の広域処理が進んでいない。現在受け入れているのは東京都と山形県だけで、検討を表明した自治体は、福島第1原発事故に伴う放射性物質が一緒に持ち込まれると懸念する住民の強い反発が生じた。放射能の影響はありえないが、東日本大震災からの復興を遅らせかねない。混乱した現状を紹介する。
  • 日本で大きく報道されることはなかったが、2012年10月末に米国東海岸に上陸したハリケーン・サンディは、ニューヨーク市を含め合計850万軒という過去最大規模の停電を引き起こした。ニューヨークでも計画停電の実施に加え、ほぼ1カ月間停電の続いた地域があったなど、被害の全貌が明らかになりつつある。
  • 低レベルあるいは中レベルの放射線量、および線量率に害はない。しかし、福島で起こったような事故を誤解することによる市民の健康への影響は、個人にとって、社会そして経済全体にとって危険なものである。放出された放射能によって健康被害がつきつけられるという認識は、過度に慎重な国際的「安全」基準によって強調されてきた。結果的に安心がなくなり、恐怖が広がったことは、人間生活における放射線の物理的影響とは関係がない。最近の国会事故調査委員会(以下事故調)の報告書に述べられている見解に反することだが、これは単に同調査委員会の示した「日本独自の問題」というものではなく、重要な国際的問題であるのだ。
  • 近代生物学の知見と矛盾するこの基準は、生物学的損傷は蓄積し、修正も保護もされず、どのような量、それが少量であっても放射線被曝は危険である、と仮定する。この考えは冷戦時代からの核による大虐殺の脅威という政治的緊急事態に対応したもので、懐柔政策の一つであって一般市民を安心させるための、科学的に論証可能ないかなる危険とも無関係なものである。国家の安全基準は国際委員会の勧告とその他の更なる審議に基づいている。これらの安全基準の有害な影響は、主にチェルノブイリと福島のいくつかの例で明らかである。
  • 日本経済新聞
    日本経済新聞3月27日記事。東芝の経営危機の主因である米原子力子会社、ウエスチングハウス(WH)が米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請する方針を決めたことが26日わかった。WHは適用申請後の支援先として韓国電力公社グループに協力を要請した。
  • 次世代自動車として期待される電気自動車(EV)の急速充電器の設置が着々と進んでいる。道の駅、高速道路、コンビニなどに15年度末で約6100台が置かれ「走行中の電池切れが不安」というユーザーの懸念は解消されつつある。
  • 低線量放射線の被ばくによる発がんを心配する人は多い。しかし、専門家は「発がんリスクは一般に広がった想像よりも、発がんリスクははるかに低い」と一致して指摘する。福島原発事故の後で、放射線との向き合い方について、専門家として知見を提供する中川恵一・東大准教授に聞いた。(全3回)

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑