「脱炭素」に代わる目標は?

2021年06月06日 07:00
アバター画像
元静岡大学工学部化学バイオ工学科

元静岡大学工学部化学バイオ工学科 松田 智

前稿で「脱炭素社会法」には意味がないと述べた。

その根拠として、

  1. 実測データでの気温上昇率は100年当り0.7〜1.4℃しかなく、今世紀末までの80年足らずの間に3〜5℃もの気温上昇が起きるとは考えにくい(つまり、何もしなくて良い)
  2. 大気中CO2濃度の変化と気温変化の相関性が低く、大気中CO2濃度が気温に影響する割合は小さい
  3. 人類の放出するCO2が大気中CO2濃度変化に及ぼす割合は5%程度以下に過ぎず、世界の3%しか占めない日本がどう頑張っても地球レベルの脱CO2効果はほとんど期待できない

の3点である。いずれも、観測事実に基づく推論である。

故に、2050年CO2排出ゼロが仮に(実質でなく正味で)達成できたとしても、全然メデタクないのである。それまでに一体どれだけの税金をつぎ込むことになるやら・・。

では、CO2排出削減政策など止めてしまえば、万事メデタシかと言えば、そうではない。なぜなら、我々の今の生活は、石油その他化石燃料の中にドップリと浸かりきっているが、その石油等は、いずれ枯渇してしまうからである。そこで、前稿で述べた問題②「脱炭素社会とは、どんな世界なのか?orどんな社会であるべきなのか?」を真剣に考えなければならなくなる。

mikkelwilliam/iStock

実は、脱炭素社会の具体像は、さほど明確には描かれていない。小泉環境大臣が「46%削減はボンヤリと見えている」と言って批判されたが、彼は正直に現実を述べただけなのだ。

5月31日付けの朝日新聞社説には「温暖化対策法 実質ゼロの歩み加速を」とあるが、中身としては再エネの推進と情報公開の拡大を訴える程度で、あとは「排出を実質ゼロにする目標の実現は容易でない」とあるだけだ。再エネが拡大すれば、脱炭素社会が完成するとでも思っているのだろうか?

また、水素やアンモニア事業に名乗りを上げる企業が続々と出ているが、何度も述べたように、これらは「脱炭素」にさえ、有効性がほとんどない事業である。商売ベースで成り立つとは考えられず、補助金頼み、つまり税金依存事業である。止めるなら、今のうちである。

やや唐突に思われるかも知れないが、ここで先に結論を述べておこう。目標とすべきは、脱炭素社会ではなく、脱化石燃料社会であると。

両者は、似て非なるものである。確かに、化石燃料がなくなれば、CCSや森林吸収などに頼らずとも「CO2排出ゼロ」が実現する。故に脱化石燃料は、自動的に脱炭素にもなるが、脱炭素でCO2排出ゼロだけを目指すと、水素・森林吸収・CCS・排出権取引など、持続可能な脱化石燃料社会造りには何の関係もないものが紛れ込んでしまう。

「脱炭素」だけに注目すると、本質的に大事な部分が見過ごされてしまう=本筋から離れてしまうのが問題なのである。本質的な部分とは、現代の我々が石油漬けであり、石油ナシでは生きて行けない生活様式に陥っている事実である。

そのためか、環境論者や温暖化論者たちは「化石燃料に今すぐサヨナラを言おう!」などと意気込むわけだが、そんな、簡単に言って貰っては困る。自分たちの社会・生活が、一体どれほど化石燃料依存になっているかを振り返っていただきたい。

まず、現代日本の一次エネルギーの約9割が化石燃料である。「脱化石」では、これを何で賄うのか?化石燃料以外の一次エネルギーは、自然エネルギーと原子力しかない(二次エネルギーでしかない「水素」などを持ち出すのは論外。無論、燃料電池も)。原子力の是非は、意見が分かれると思うが、筆者は原子力依存に賛成しない。安全性向上は技術進歩でいくらか可能になるとしても、使用済み核燃料の問題、すなわち高レベル放射性廃棄物の問題が解決できない限り、未来の世代に対して重大な責任放置をすることになるからである。また地震国日本では「10万年以上厳重に保管」など現実的ではない。

故に、一次エネルギーとしては、太陽光・風力などの自然エネしかなくなるが、原子力も含めて、現在の発電設備・装置類は化石燃料を使って造っているので、化石燃料枯渇後の世界では、再エネ電力を用いて全ての工業製品を製造しなければならない。当然、製造工程の大幅な変更を余儀なくされる。

まず、素材産業。鉄鋼・非鉄金属工業は、エネルギー多消費分野でもあり、化石燃料依存からの脱却は大変だと予想する。水素を用いた製鉄なども模索されているが、高温の銑鉄と水素ガスの接触を安全に進めるには、非常に高度な技術開発が要るだろう(無人化も必要?)。素材ができれば、自動車その他各種機械工業は電化が進んでいるから、製造工程に大きな変化はないと思う。その他の繊維・窯業・紙パルプ・ゴムなどの工業は、有機・無機化学工業への依存度が大きく、脱化石燃料には大きな労苦を要するはずだ。

化学工業は、各種薬品やプラスチックなどの素材を提供しており、地味だが社会を根底から支えている産業の一つである。このうち、現代の有機化学工業とは石油化学工業の別名であり、脱化石燃料とは、石油化学工業がなくなる世界を意味する。プラスチックも合成ゴムもなし。電線の被覆物や半導体基板の素材にも事欠くことになる。プラスチック廃棄物による環境汚染も大きな問題ではあるが、現代の生活から今すぐプラスチックゼロの状況を作り出すのは困難だろう。今、プラ製品が無くなったら、容器包装材の多くが無くなり、文房具屋さんからは、製品がほとんど無くなってしまう。家電・生活用品・スポーツ用品・衣料品の一部などもそうである。医療の分野でも、使い捨て製品の大半はプラスチック製である。これらの代替品を、どう開発するか・・・?

なお、石油化学を石炭化学に変更することは技術的に可能であるし(例えばC1化学)、プラスチックなど非エネルギー利用は化石燃料全体の1割強に過ぎないから、化石燃料の使用を非エネルギー用途に限定すれば、化石燃料の寿命は大幅に延びる。石炭を使える間は、人類は化石燃料にさほど不自由しないのであるが、それを邪魔しているのが「脱炭素・石炭は悪者」説なのである。

このように、脱化石燃料とは、社会のあらゆる分野に影響する大変動であり、科学技術の分野にとどまらず、政治・経済・交通・労働など様々な分野に直接的な変革をもたらすだろう。従って、その議論も多岐にわたることは避けがたく、またもちろん、筆者一人の手には余る。

今後、時間をかけて衆知を集めて議論を進めるきっかけになればとの思いで、本稿を書いている。今回は、ことの発端として工業(の一部)を取り上げたが、次回以降、もう少し詳しく論じたい。

松田 智
2020年3月まで静岡大学工学部勤務、同月定年退官。専門は化学環境工学。主な研究分野は、応用微生物工学(生ゴミ処理など)、バイオマスなど再生可能エネルギー利用関連

This page as PDF
アバター画像
元静岡大学工学部化学バイオ工学科

関連記事

  • 6月20日のWSJに、こういう全面広告が出た。出稿したのはClimate Leadership Council。昨年の記事でも紹介した、マンキューやフェルドシュタインなどの創設した、炭素税を提唱するシンクタンクだが、注目
  • IPCCの報告がこの8月に出た。これは第1部会報告と呼ばれるもので、地球温暖化の科学的知見についてまとめたものだ。何度かに分けて、気になった論点をまとめてゆこう。 今回は理系マニア向け。 「温室効果って、そもそも存在する
  • 2021年8月に出たIPCCの報告の要約の図Figure TS.9を見ると、CO2濃度上昇し、過去200万年で最高の水準に達した、としている。こう言うと、まるで未曽有の危険領域に達したかのようだ。 けれども、本文をひっく
  • 「2020年までに地球温暖化で甚大な悪影響が起きる」とした不吉な予測は多くなされたが、大外れだらけだった。以下、米国でトランプ政権に仕えたスティーブ・ミロイが集めたランキング(平易な解説はこちら。但し、いずれも英文)から
  • 以前も書いたが、北極のシロクマが増えていることは、最新の報告書でも再確認された(報告書、記事)。 今回の報告書では新しい知見もあった。 少なくとも2004年以降、ハドソン湾西部のホッキョクグマの数には統計的に有意な傾向が
  • 「エネルギー資源小国の日本では、国策で開発したナトリウム冷却高速炉の技術を次代に継承して実用化させなければならない。それには高速増殖原型炉『もんじゅ』を運転して、技術力を維持しなければならない。軽水炉の運転で生ずるプルトニウムと劣化ウランを減らすためにも、ナトリウム冷却高速炉の実用化が必要だ」
  • IPCCの報告がこの8月に出た。これは第1部会報告と呼ばれるもので、地球温暖化の科学的知見についてまとめたものだ。何度かに分けて、気になった論点をまとめてゆこう。 前回の論点㉑に続いて「政策決定者向け要約」を読む。 今回
  • 新聞は「不偏不党、中立公正」を掲げていたが、原子力報道を見ると、すっかり変わった。朝日、毎日は反対、読売、産経は推進姿勢が固定した。

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑