新型コロナウイルスという「分からなさ」を受容するために
新型コロナウイルスの緊急事態宣言が7都府県に発令されてから、およそ3週間が経ちました。様々な自粛要請がなされる中、宣言の解除予定である5月を心待ちにされている方もいらっしゃると思います。しかし、解除は可能なのでしょうか。また、もし宣言が解除されたとして、私たちはパンデミック前の生活に戻れるのでしょうか。
時間稼ぎという戦略
もし、今後主要都市での新規感染患者数が減れば、緊急事態宣言は5月に解除される可能性もあります。しかし、それは、私たちが新型コロナウイルスにかかりにくくなったことを意味しません。
前稿でも述べた通り、ある個人が免疫力を獲得した、ということを証明できる検査は、今のところ存在しません。もちろん現行の検査でも「人口の〇〇%が既に感染しているから、感染リスクは下がるだろう」という試算はできますが、それは、私たちが「ウイルスに暴露されても大丈夫」になるわけではない、ということは忘れてはいけません。たとえ感染の可能性が低くても、感染した際の重症化の予防や有効な治療法は未確立だからです。
では私たちが新型コロナウイルス感染の不安から解放される日はくるのでしょうか。考え得るシナリオは以下の5つだと思います。
1.重症肺炎への有効な治療薬が確立し、感染後のリスクが低くなる
2.ワクチンが開発されかつ十分な量が確保されることで、感染自体のリスクが低くなる
3.人口のある一定割合(60%と言われています)が感染し、いわゆる「集団免疫」が獲得される
4.インフルエンザのように、季節と共に一旦収束する
5.今知られていない何らかの因子により感染が収束する
このうち4のケースは執行猶予に過ぎません。季節が廻ればまた同じことが起こり得るからです。また3の場合には、集団免疫を獲得する過程で多くの方が重症肺炎で亡くなる可能性もあります。また、集団免疫というのはウイルスへの「接触しにくさ」を示すものであり、ある個人がウイルスに接触しても感染しないという事にはなりません。
つまり、現段階で私たちにできることは、1または2が達成されるまでの間、少しでも感染を抑え込み、時間を稼ぐことです。華もなく、始まりも終わりも曖昧模糊とした戦略ですが、医療崩壊を防ぎつつ被害を最小限に抑えるために目下のところ一番有効な方法と言えるでしょう。
それは、すなわち、私たちがこの見通しがない現状と数か月~数年という長期に付き合わなくてはならないことも意味します。しかし、今の日本では短期的な対策ばかりが議論され、不確定な未来と長期に向き合うためのコミュニケーションが非常に不足していると感じます。
「分からなさ」に耐えること
高度に情報化された現代を生きる私たちは、検索をすれば答えが与えられることにあまりに慣れ切っており、情報が手に入らないこと、未来が分からないことに対する耐性が非常に脆弱になっていると感じます。
新型コロナウイルス感染は今どの程度全国に広がっているのか。今後感染は広がっていくのか。もし感染した時に自分は、そして自分の大切な人たちは重症化するのか、しないのか。それは、誰にも分かりません。
もちろん一流の研究者により、未来についての様々な測定・試算・推測がなされています。しかし、試算はあくまで予測であり、その根底には「未知」が存在します。それが精度の低い検査値を元にした予測であればなおさらのことです。現状の「分からなさ」に耐えきれない人々はその前提を無視して、数値化された情報=既知の事実であるかのように扱ってしまいがちです。
「検査さえ行えばパンデミックは収束する」
「早急に検査をしてこの治療薬さえ投与していたら命は救えた」
まるで情報さえあれば、リスクがアンダーコントロールになるかのような言説が流布してしまうのも、すっきりした正解を得たい、という不安の表れなのだと思います。
しかし、非情なようですが、現行のどんな統計も確率も、個人の未来を断定することはできません。パンデミックとの長期戦において、私たちはまずこの「分からなさ」に耐える準備をする必要があると思います。
福島に学ぶコミュニケーションの役割
なぜ人は確率や試算を「既知の事実」「正解」と思ってしまうのでしょうか。私はここに、福島第一原子力発電所(原発)事故後と同じコミュニケーションの不足があると考えています。
以前、原発事故後のコミュニケーションについて私は以下のように述べたことがあります。
「統計データは個人の体験を伝え得ない。確率は未来を断定し得ない。これらは科学自身の内包する限界であり、この人知の及ばない『不可知』こそが科学の醍醐味とも言えます。しかし、この醍醐味である不可知について、科学者が社会に対し丁寧な説明をしてこなかったこともまた、福島の風評被害の一因となっているのではないでしょうか。科学者たちが『分かる』ことだけを説明しすぎてきた結果、社会が個体差や不確実性という不可知に正面から向き合って議論をする機会がどんどん失われている、と感じます」[1]。
今のパンデミックにおいても、ほぼ同じことが言えるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、日本における感染状況が今後どう広がり、医療がどの程度堪え得るのか。その中で自分と家族を守るためにはどうすればよいのか。そこに正解はありません。しかし、これまで専門家は、「分からない」という事で世間に叩かれることを恐れ、正解がないことについての対話を避けてきたように思います(もちろん世間が聞く耳を持たないという要素も多分にあるのですが)。その結果、「予測値」が「事実」と混同され、過剰な不安や安心を生む現状を生んでしまったのではないでしょうか。
不可知の中で暮らすために
「誰にも分からないのなら対話をする必要などないのではないか」
そう考える方もいるかもしれません。しかし、たとえ正解はなくとも、私たちは日々を暮らさなければなりません。暮らしには必ず行動の選択が伴います。朝起きて食事を摂り、買い物をして、人と会い、仕事をして、家族と過ごす。そのひとつひとつの行動に、ウイルス感染に限らず様々な健康リスクが生じます。私たちは無意識のうちにそのリスクを取捨選択して過ごしているのです。
今この日常の健康リスクの中に、新型コロナウイルスという新たなリスクが加わりました。その中で私たちが少しでも健康に生きていくためには、ウイルス感染のリスクを知ることだけではなく、感染を避けることで招き得るリスクを知ることも必要です。有事における専門家の役割は、そのリスク選択の正解を示すことではありません。個人が自分の人生観に従って健康リスクを選べるよう、起こり得るリスクをなるべくたくさん議論の俎上に載せること。それこそが、専門家の役割ではないか、というのが、原発事故以降変わらない、私の考えです。
そこで次稿では、原発事故後の福島で見られた健康影響を元に、新型コロナウイルスに対する自粛行動が引き起こし得る健康被害につき述べようと思います。
<引用文献>
[1] https://www.jaif.or.jp/crm_1709
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