しきい値なし直線(Linear No-threshold)関係は放射線の生物的および実験データと矛盾する(論文要旨和訳)
低線量の電離放射線被曝による発がんリスクについては、議論が分かれる。低線量ではデータが正確ではなく、しばしば矛盾するため、疫学的方法のみでは評価することはできない。
1970年代から放射線防護に関係する人々の間では、通常はLNT(LNT: Linear No-threshold:しきい値なし直線)モデルを用い、高線量被曝によるリスク評価から推定する方法で低線量被曝のリスクを評価してきた。
LNTの関係とは放射線被曝と発がんリスクの比例性を示すものだ。この方法は一連のデータと2つの仮説から成り立っている。 (a) 生体内での被曝とDNA損傷の関係は、被爆時にH2AX(訳注:ヒストンというタンパク質)の変化によってDNAを構成する二本鎖の切断が引き起こされるとした場合に (この現象はDSBsと呼ばれているが、実際には常にこの通りには起こらない)、1mGyから100mGy の間では線形を示す。[1] (b) 被曝した際に同時に細胞内で起こるDNAの二本鎖の切断では、浴びた放射量とは関係なく、同じ確率で細胞形質の変化が起こると仮定されている。 (C) 形質が変化した細胞はそれぞれ、組織まで到達した放射線量とは無関係に、他組織を侵すがんへと発達する可能性が同程度ある、と仮定されている。発がん現象の解明やがんに対する防御反応の発見など、この20年間の放射線生物学における進歩は、 時代遅れのような印象のある LNT モデルと対立している。
生命は電離放射線と太陽光の紫外線を多量に浴びて進化しており、空気を必要とする生命組織をつくってきた。そのために (a) 生命活動を行う上で生じた活性酸素種(訳注:一部の活性酸素は人体に有害になる場合がある)に対する抗体、 (b) DNA 修復、(c) 損傷した細胞の排出という特徴を獲得してきた。いくつかのデータでは、高線量被曝よりも低線量被曝の方が、また、急照射よりも分割照射あるいは長期照射において、このような防御反応の有効性がはるかに高まることが示されている。
LNT モデルは放射線の防護基準をつくるための考えとして、使われてきた。[2] しかし、このモデルを用いることで、最低線量の被曝(ひとつの細胞に電子が一度通過する程度)ですら - 例えば診断用X線源からなども、発がん現象を引き起こすという主張がなされるに至った。この主張は仮定に基づくもので、結果として、医学的にも、経済的にも、そして他の社会的な側面にも損害を与えることとなった。
フランスの科学アカデミーおよび医学アカデミーの共同リポート[3]は、 LNT モデル、およびそれを低線量被曝に関連するリスク評価に用いることは科学的根拠に基づいたものではないと結論づけた。それとは対照的に、リポート「電離放射線の生物学的影響7」 (BEIR:Biological Effects of Ionising Radiation) VII) [4]および国際放射線防護委員会 (ICRP: International Commission on Radiological Protection)[5] のリポートは LNT モデルの採用を推奨している。我々は最近の放射線に関する生物学および疫学データを用いることでこの議論を考え直してみたい。
参考文献:
[1] Rothkamm K, Löbrich M. Evidence for a lack of DNA double-strand break repair in human cells exposed to very low x-ray doses. Proc Natl Acad Sci U S A 2003;100(9):5057–5062.
[2] Kathren RL. Pathway to a paradigm: the linear non-threshold dose-response model in historical context. The American Academy of Health Physics 1995;Radiology Centennial Hartman Oration. Health Phys 1996;70(5):621–635.
[3] Tubiana M, Aurengo A, Averbeck D, et al, eds. Dose-effect relationships and the estimation of the carcinogenic effects of low doses of ionizing radiation. Academy of Medicine (Paris) and Academy of Science (Paris) Joint Report No. 2, March 30, 2005.
[4] National Research Council, Committee to Assess Health Risks from Exposure to Low Levels of Ionizing Radiation. Health risks from low levels of ionizing radiation: BEIR VII, Phase 2. Washington, DC: The National Academies Press, 2006.
[5] International Commission on Radiological Protection. Low-dose extrapolation of radiation-related cancer risk. Publication 99. Amsterdam, the Netherlands: Elsevier, 2006.

関連記事
-
ようやく舵が切られたトリチウム処理水問題 福島第一原子力発電所(1F)のトリチウム処理水の海洋放出に政府がようやく踏み出す。 その背景には国際原子力機関(IAEA)の後押しがある。しかし、ここにきて隣国から物申す声が喧し
-
このコラムでは、1986年に原発事故の起こったチェルノブイリの現状、ウクライナの首都キエフにあるチェルノブイリ博物館、そして私がコーディネートして今年6月からこの博物館で行う福島展について紹介したい。
-
パリ協定は産業革命以降の温度上昇を1.5度~2度以内に抑えることを目的とし、今世紀後半のできるだけ早い時期に世界全体でネットゼロエミッションを目指すとしている。 ところが昨年10月にIPCCの1.5度特別報告書が出され、
-
ことの経緯 8月25日、東京電力はかねて懸案である第一原子力発電所に100万トン以上貯留されているトリチウム処理水の海洋放出の具体的な方法を発表した。処理水は、沖合1kmの放水口から放出される方針だという。 今年4月13
-
東京大学准教授、中川恵一氏のご厚意により、中川氏の著書『放射線医が語る被ばくと発がんの真実』(ベストセラーズ)に掲載されたロシア政府のチェルノブイリ原発事故の報告書を掲載する。原典はロシア科学アカデミー原子力エネルギー安全発展問題研究所ホームページ(ロシア語)。翻訳者は原口房枝氏。
-
はじめに 日立の英国原発凍結問題を機に原子力発電所の輸出問題が話題になることが多いので原発輸出問題を論考した。 原発輸出の歴史 原子力発電所の輸出国は図1の通りである。最初は英国のガス炉(GCR)が日本、イタリアに導入さ
-
今年5月9-13日、4年に一度開催される放射線防護学の国際会議IRPA(国際放射線防護学会:International Radiation Protection Association)が南アフリカ共和国で開催された。IRPA14ケープタウン会議である。私は福島軽水炉事象の20km圏内の低線量の現実を報告するために、片道30時間をかけて現地へ向かった。福島は国際核事象尺度INESでレベル6であると評価引き下げを提案した私の報告は議長をはじめ参加した専門家たちの賛同を得た。
-
東京電力の福島復興本社が本年1月1日に設立された。ようやく福島原発事故の後始末に、東電自らが立ち上がった感があるが、あの事故から2年近くも経った後での体制強化であり、事故当事者の動きとしては、あまりに遅いようにも映る。
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間