拙速な発送電分離は危険

2012年01月23日 15:00
澤 昭裕
国際環境経済研究所所長 21世紀政策研究所・研究主幹

福島第1原子力発電所の事故以降、メディアのみならず政府内でも、発送電分離論が再燃している。しかし、発送電分離とは余剰発電設備の存在を前提に、発電分野における競争を促進することを目的とするもので、余剰設備どころか電力不足が懸念されている状況下で議論する話ではない。

こうした状況にもかかわらず発送電分離論が浮上してきた理由は、極めて政治的なものではないだろうか。「東京電力をはじめとする電力会社が、自分たちに不利な情報を開示せず、閉鎖的な態度で原子力を進めてきた。こうした体質を変えなければならない」、あるいは「東京電力は原子力損害賠償のためにあらゆる資産を売却すべき」という世論の受け止め方があるなか、大規模な電力会社を「切り刻む」発送電分離論は有権者からの受けがよいという政治家の思惑が背景にあると思える。

こういった思惑から離れ、冷静に発送電分離の是非を検討する必要がある。まずは、発送電分離に関連して誤解されている点が多いことが問題だ。

「電力会社が送電網を開放していないことが問題だ」という認識が一部にあるが、まずもってこれが事実誤認である。既に日本では、託送料金を規制対象とし、料金算定基準をあらかじめ公開すること、託送に係る会計を分離し、会計監査を受けたうえで収支実績を公表することで確保している。このような会計・機能分離により送電網は新規参入者に公平に開放されており、その公平性は第三者機関による監視などで確保されている。

また、託送料金が割高だという指摘もあるが、日本は地形的理由からもともと送電線の敷設コストが高いため、託送料金が高いのは当然で、発送電分離や自由化の文脈では筋違いの指摘である。

「発送電分離により再生可能エネルギーの導入が進む」という、もっともらしい意見もある。しかし、発送電分離は電源間競争を促進する手段であるため、価格競争力のない再生可能エネルギーの普及を加速させることはあり得ない。

インフラ的な財・サービスは、公的機関が何らかの形で最終的な供給責任について関与していることが多い。例えば、金融では最後の貸し手となる日本銀行が存在し、また、石油は政府が直接、原油タンクと原油を備蓄している。電気も言うまでもなく生活必需品であり、供給停止時の社会的影響が甚大だ。この点を忘れてはならない。電気の場合は、需給を一致させられないと広域停電に至る可能性さえある。このような事態を起こさないよう供給責任を誰かが負わなければならないわけだが、電気は石油と異なり貯めておくことが難しいと言う特徴がある。よって、安定供給を達成するためには、需給ひっ迫時以外は余剰となっている設備が必要となるわけだが、発送電分離で市場競争にさらされる発電会社には、このような余剰設備を持つインセンティブはない。安定供給義務を誰にどのようなコスト負担の仕組みで負わせるのか。この点についての制度設計が難しいことが、発送電分離の最大の弱点だ。

今後は、原子力発電所の脱落や稼働率低下による電力ひっ迫状況の長期化で、電力会社間での広域融通の必要性が増すだろう。また、再生可能エネルギーの導入を進めるためにも、送電線の増設が電力政策の大きな課題になってくる。よりよい送電網の整備、運営方策、運営主体といった点をどのようにとらえ直すべきか、これが重要な検討課題である。

また、資源のない日本にとっては、燃料調達費の低減が大きな課題だ。このため、発送電分離で個々の発電会社の価格交渉力を弱めるよりも、買い手を大規模化して価格交渉力を高めることの方が重要だ。発送電分離を強力に進めた欧州のいくつかの国は、エネルギー自給率が高い国であり、日本とは状況が異なる。そもそも、欧米の結果を見る限り、発送電分離や電力自由化が成功しているとは言い難い。自由化で価格転嫁しやすくなり、低所得者層へのしわ寄せが政治的問題になっていたり、適切な電源形成が行えず安定供給に支障が生じていたりする事例もある。

端的に言って、日本の発送電分離や自由化は、世界で言えば周回遅れの議論だ。化石燃料の価格が低迷し、余剰設備が見られ、さらに温暖化対策という問題がまだ存在していなかった中で、欧米が自由化を進めた90年代。このときとは状況が異なり、すでに今の政策目的と一致していない。これに加え、安定供給の重要性がますます強くなり、また長期的視点の必要性や経済性だけで割り切れないエネルギー分野独特の事情などもある。

海外の先行事例や日本の既存体制・状況をよく検証し、考慮することが大切だ。政策論としての議論を深めないまま、政治的なムードに引きずられて発送配電が分離されれば、日本のエネルギー政策上取り返しがつかない状況になってしまいかねない。

This page as PDF
澤 昭裕
国際環境経済研究所所長 21世紀政策研究所・研究主幹

関連記事

  • 福島では原子力事故の後で、放射線量を年間被曝線量1ミリシーベルトにする目標を定めました。しかし、この結果、除染は遅々として進まず、復興が遅れています。現状を整理し、その見直しを訴える寄稿を、アゴラ研究所フェローのジャーナリスト、石井孝明氏が行いました。
  • 福島第一原発事故から3年3カ月。原発反対という声ばかりが目立ったが、ようやく「原子力の利用」を訴える声が出始めた。経済界の有志などでつくる原子力国民会議は6月1日都内で東京中央集会を開催。そこで電気料金の上昇に苦しむ企業の切実な声が伝えられた。「安い電力・エネルギーが、経済に必要である」。こうした願いは社会に広がるのだろうか。
  • 山梨県北杜市(ほくとし)における太陽光発電による景観と環境の破壊を、筆者は昨年7月にGEPR・アゴラで伝えた。閲覧数が合計で40万回以上となった。(写真1、写真2、北杜市内の様子。北杜市内のある場所の光景。突如森が切り開
  • 地球が将来100億人以上の人の住まいとなるならば、私たちが環境を扱う方法は著しく変わらなければならない。少なくとも有権者の一部でも基礎的な科学を知るように教育が適切に改善されない限り、「社会で何が行われるべきか」とか、「どのようにそれをすべきか」などが分からない。これは単に興味が持たれる科学を、メディアを通して広めるということではなく、私たちが自らの財政や家計を審査する際と同様に、正しい数値と自信を持って基礎教育を築く必要がある。
  • 小泉進次郎環境相の発言が話題になっている。あちこちのテレビ局のインタビューに応じてプラスチック新法をPRしている。彼によると、そのねらいは「すべての使い捨てプラスチックをなくす」ことだという。 (フジテレビ)今回の国会で
  • 電力料金の総括原価方式について、最近広がる電力自由化論の中で、問題になっている。これは電力料金の決定で用いられる考え方で、料金をその提供に必要な原価をまかなう水準に設定する値決め方式だ。戦後の電力改革(1951年)以来導入され、電力会社は経産省の認可を受けなければ料金を設定できない。日本の電力供給体制では、電力会社の地域独占、供給義務とともに、それを特徴づける制度だ。
  • 今年も3・11がやってきた。アゴラでは8年前から原発をめぐる動きを追跡してきたが、予想できたことと意外だったことがある。予想できたのは、福島第一原発事故の被害が実際よりはるかに大きく報道され、人々がパニックに陥ることだ。
  • 福島原発事故後、民間の事故調査委員会(福島原発事故独立検証委員会)の委員長をなさった北澤宏一先生の書かれた著書『日本は再生可能エネルギー大国になりうるか』(ディスカバー・トゥエンティワン)(以下本書と略記、文献1)を手に取って、非常に大きな違和感を持ったのは私だけであろうか?

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑