低線量の放射線を長期間浴びると健康被害が起こるのか
福島の原発事故の参考に累積被曝を調査
福島の原発事故では、原発から漏れた放射性物質が私たちの健康にどのような影響を与えるかが問題になっている。内閣府によれば、福島県での住民の年間累積線量の事故による増加分は大半が外部被曝で第1年目5mSv(ミリシーベルト)以下、内部被曝で同1mSv以下とされる。この放射線量では健康被害は認められていない。
健康被害が瞬時に出るのは4000mSv(4Sv)以上の被曝だ。広島・長崎の原爆でがん、白血病などの可能性が高まったのは100mSv以上の被曝だった。またチェルノブイリ原発事故では、正確な個々の住民の累積線量は確認されていないものの、事故を起こした原発の周辺地域で、低線量の放射線を長期に浴びたことによる健康被害は観察されていない。同じ放射線の線量を浴びる場合では、ゆっくり浴びた方が、発がんなどの健康被害の可能性は一段と低下する。
福島と同じように低線量の放射線を長期にわたって浴びた場合に、健康にどのような影響があるのだろうか。GEPRでは、原発作業員の調査、自然放射線の高い場所での住民調査などを紹介してきた。(報告書一覧)
今回のリポートでは、原爆のような瞬間被曝ではなく、現在の福島や東日本の状況と同じように健康被害が即座に起きない程度の低線量の放射線を長期にわたって体に浴びた累積被曝の場合に、どのような人体の影響が出るのかについて、研究論文のリサーチを行った。
世界の高線量放射線地域の住民、飛行機のパイロット、放射線技師の調査では放射線の健康被害は観察されていない。例外として、放射性物質のラジウムを扱った時計職人に骨肉腫など放射線による健康被害があった。ただし、これは後述する特殊な理由によるものだ。
一方で医学的に証明はされていないが、低線量の放射線ではホルミシス効果があるとの指摘もある。
調査研究の紹介
1・自然放射能の高い場所での健康調査
私たちは自然放射線にさらされて生きている。世界では平均で、全世界平均では年間2.4 mSv、日本では1.4 mSv程度だ。しかし世界には高線量地域がある。それを検証した論文がある。
その1・インドのケララ州のカラナガッパリーでは、トリウムを含むモナザイトの砂があるため、年4mGy(ミリグレイ、およそミリシーベルトと同じ)から年70mGyの自然放射線量になる。同地域では理由は分からないが、住民の染色体の異常が増える傾向が観察されている。しかし6万9958例の健康調査で、発ガンの増加は観察されなかった。[1]
その2・中国の高線量地域(年間330ミリラド=およそ年3.3mSv)で、50歳から65歳の女性1005人に調査をした。他地域に比べて甲状腺結節、染色体の異常が出る率がわずかながら多い。しかしこうした地域に住んでも、甲状腺がんのリスクが高まる可能性は少ないと評価をしている。[2]
その3・中国の高線量地域である陽江は内部被曝を含み平均年6.4mSvの被曝がある。1987—95年の92万6226例を線量で分け、対象地域外の集団と比べたところ、他地域と比べたがんのリスクの増加は認められなかった。[3]
2・パイロットの調査
航空機での移動は地上より高い放射線を浴びる。ヨーロッパで、1万9184例の男性パイロットを調査した。年間被曝量は2-5mSvで累積生涯線量80 mSvを超えなかった。逆にがんなどの健康被害などのリスクは低かった。しかし、どのリスクが健康に影響したか、この調査からの推定は難しいことも論文は付記している。おそらくパイロットは平均人よりも肉体的に鍛えられていることが多いためであろう。[4]
3・放射線技師の調査
英国の17万人以上の放射線技師についての調査では、技師のがん死亡率は普通の人より低かった。[5]
4・時計職人の調査
時計で以前蛍光塗料にラジウムが含まれていた。1990までの米国での調査で、累積の推定被爆線量が10Svを超えた191人のうち、骨肉腫を発症した人が46人いた。10Sv以下ではいなかった。かつて文字盤を塗装するとき、筆の先をなめたことによる内部被曝が原因と思われる。[6]
5・ホルミシス効果の仮説
微量放射線はむしろ死亡率を低下させるという説もある。広島・長崎の被爆者について出した1000人あたりの累積癌死亡率だが、10mSv以下では死亡率が被曝量によって減少する傾向もあった。ホルミシス効果の仮説がある。現在のところ科学的には証明されていないが、微量の放射線が細胞を刺激して活性化させ、代謝を促進することが健康にプラスとなる可能性がある。[7]
結論
紹介した以上の調査から判断すると、現在の福島県、また東日本での低い放射線量で、がんが多発するなどの、住民の健康被害の可能性はほぼない。健康への影響は、プラス、マイナスいずれにしてもわずかなものだ。
福島などの放射性物質の除染費用は11年度補正予算で2200億円にもなる。今後の総額も現時点で不明で、数兆円規模になる可能性がある。福島原発事故の除染は、事故による放射線量の増加が主に年1mSv以上の地域を対象にしている。(環境省資料)この放射線量のレベルでは健康の悪影響が認められないことを考えれば、除染対象地域を見直すべきだ。国民的な議論が必要だ。
[1]Nair, Raghu Ram K.; Rajan, Balakrishnan; Akiba, Suminori; Jayalekshmi, P; Nair, M Krishnan; Gangadharan, P; Koga, Taeko; Morishima, Hiroshige; Nakamura, Seiichi; Sugahara, Tsutomu:
Background Radiation and Cancer Incidence in Kerala, India-Karanagappally Cohort Study (Abstract)「インドケララ州のカラナガッパリーにおける地域放射線の研究」
HEALTH PHYSICS. Volume 96. January 2009
[2]Zuoyuan Wang, John D. Boice Jr., Luxin Wei, Gilbert W. Beebe, Yongru Zha, Michael M. Kaplan, Zufan Too, Harry R. Maxon III, Shouzhi Zhang, Arthur B. Schneider, Bingde Tan, Terrence A. Wesseler, Deqing Chen, Abby G. Ershow, Ruth A. Kleinerman, L. Gayle Littlefield and Dale Preston:
Thyroid Nodularity and Chromosome Aberrations Among Women in Areas of High Background Radiation in China (Abstract)
「中国の高線量地域における女性の甲状腺結節ならびに染色体異常について」
JOURNAL OF THE NATIONAL CANCER INSTITUTE. Volume 82. March 21, 1990
[3]Zufan Tao, Yongru Zha, Suminori Akiba, Quanfu Sun, Jianming Zou, Jia Li, Yusheng Liu, Hiroo Kato, Tsutomu Sugahara, and Luxin Wei:
Cancer Mortality in the High Background Radiation Areas of Yangjiang, China during the Period between 1979 and 1995
「高線量地域である中国・陽江における1979年から95年におけるがん死亡率」
2000年、日本政府 科学技術情報発信・流通総合システム検索より
[4]Langner I, Blettner M, Gundesrup M, Storm H, Aspholm R, Auvien A, Pukkala E, Hammer GP, Zeeb H, Hrafnkelsson J, Rafnsson V,Tulinius H, De Angelis G, Verdecchia A, Haldorsen T, Tveten U, Eliasch H, Hammar N, Linnersjo A:
Cosmic radiation and cancer mortality among airline pilots: results from a European cohort study(abstract)
「航空機パイロットのがん死亡率:ヨーロッパ疫学調査から」
2004, from US National library of medicine
[5]R Muirhead, J A O’Hagan, R G E Haylock, M A Phillipson,T Willcock, G L C Berridge, and W Zhang:
Mortality and cancer incidence following occupational radiation exposure: third analysis of the National Registry for Radiation Workers (abstract)
「がん死亡者と患者と放射線に関する研究:国家登録簿に記載された放射線関連労働者について(3次調査)」
2009 January, British Journal of Cancer
[6]R.Roland:
Bone Sarcoma in Humans Induced by Radium: A Threshold Response?
「ラジウムによって引き起こされた人間の骨肉腫の研究:しきい値による反応はあるのか」
1996, Argonne National Laboratory, US.
[7]T.Luckey,
Biological Effects of Ionizing Radiation: a Perspective for Japan
「電子放射線の生物学的効果:日本に送る一視点」
2011, Journal of American Physicians and Surgeons Volume 16
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