原子力を挫折させた三つの錯覚

2019年05月27日 18:00
アバター画像
アゴラ研究所所長

日経新聞によると、経済産業省はフランスと共同開発している高速炉ASTRIDの開発を断念したようだ。こうなることは高速増殖炉(FBR)の原型炉「もんじゅ」を廃炉にしたときからわかっていた。

高速増殖炉もんじゅ(Wikipediaより)

高速増殖炉もんじゅ(Wikipediaより)

原子力開発の60年は、人類史を変える壮大な夢とその挫折の歴史だった。1954年にアメリカ原子力委員会(AEC)のストラウス委員長は原子力によって「電力は測るには安すぎるエネルギーになるだろう」と予想し、1971年にシーボーグAEC委員長は「20世紀中には世界の電力のほとんどが原子力で発電されるだろう」というビジョンを語った。

彼らのビジョンは70年代までは順調に実現するように見えたが、1979年のスリーマイル島原発事故と1986年のチェルノブイリ原発事故で、世界の原子力開発は大きく後退した。

原子力産業にとってさらに本質的な問題は、核燃料サイクルの挫折だった。1977年にカーター大統領が核燃料の再処理をやめる方針に転換したため、主流になるはずだったFBRの開発が失敗に終わり、当初は過渡的な技術だった軽水炉が主流になった。

そして致命的な打撃が福島第一原発事故だった。日本は今もその打撃から立ち直れない。この挫折の最大の原因は、技術ではなく政治である。原発には、多くの国民の錯覚を誘発する特徴があるからだ。

第一の錯覚は、原爆と原発の混同である。原子力の最大の不幸は、それが原子爆弾という形でデビューしたことにある。核分裂は最初は発電技術として研究されたが、1942年にアメリカのルーズベルト大統領がマンハッタン計画を立ち上げ、それからわずか3年で広島と長崎に原爆が投下された。

原子力が短期間で実用化したのは、軍事技術として開発され、政府が研究開発投資を負担したためだが、これがその短所ともなった。科学者にとっては原子炉で核爆発が起こらないことは自明だが、ほとんどの国民にはわからない。福島事故では建屋が水素爆発しただけだったが、第一報では世界に「原発が爆発した」と報じられた。

第二の錯覚は、放射線障害の過大評価である。1954年にビキニ環礁の水爆実験で起こった第五福竜丸の事故では、船員23人が強い放射線を被曝し、無線長が死亡した。この事故は世界に放射能への恐怖を植えつけたが、無線長の死因は放射線障害ではなかった。

しかし世界のメディアが「死の灰の恐怖」を報道したため、放射線のリスクが過大評価されるようになった。福島でも低線量被曝による死亡率の増加はありえないが、今も農産物などの風評被害として大きな後遺症が残っている。

第三の錯覚は、原発事故のリスクとハザードの混同である。リスクを評価するには、1回の事故の被害(ハザード)ではなく、それに確率をかけた期待値を計算するという方法論が、多くの国民には理解できないのだ。

小泉純一郎氏が繰り返しているのもこの錯覚だが、こういう感情は人々の潜在意識に刷り込まれているので、論理的な説得で変えることはできない。感情に迎合して技術開発を止めるべきではないが、人々の錯覚を誘発しやすい技術の開発には国民の支持が得られない。

この点でFBRには難点があった。ナトリウムは水や空気にふれると、爆発的に反応して大事故に見えるのだ。フランスで運転に成功したFBR「スーパーフェニックス」も、爆発事故の多発を理由に廃炉に追い込まれた。もんじゅの事故も単なる配管系のナトリウム漏洩だったが、その対策が立てられず、最終的に廃炉に至った。

ASTRIDはナトリウム型高速炉の最後の生き残りの道だったが、その設計は従来のFBRと本質的な違いがなく、行き詰まるのは時間の問題だった。エネルギー問題の専門家として著名なバーツラフ・シュミルも「ナトリウムを使う原子炉は成功したことがなく、今後も成功する可能性はない」と断定している。

日本では1970年代以降、軽水炉からFBRへという次世代炉のロードマップが決まっていたが、残念ながらその道は閉ざされた。しかし原子力の可能性は大きく、次世代技術のオプションはナトリウム型高速炉だけではない(日立はナトリウムを使わない高速炉を開発しているようだ)。

日本の産業が化石燃料から脱却するためには原子力技術を温存することが重要だが、軍事的な核開発のできない日本では、商業利用だけの目的で新たな原子力技術を開発するコストは民間企業には重すぎる。

次世代技術の開発に財政資金を投入することは、一つの選択肢だろう。日本が原子力開発を放棄すると技術が中国に流出し、製造業がエネルギーコストで国際競争力を失うおそれが強い。長期的な成長力を維持するためにも、原子力政策の見直しが必要である。

This page as PDF

関連記事

  • 今年は、太平洋戦争(大東亜戦争)終結70周年であると同時に、ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)終結40周年でもある。サイゴン陥落(1975年4月30日)と言う極めてドラマティックな形で終わったあの悲劇的な戦争については、立場や年齢によって各人それぞれの思いがあろうが、筆者にとっても特別な思いがある。
  • 2013年6月14日に全米で公開された、原子力を題材にしたドキュメンタリー映画「パンドラの約束(Pandora’s Promise)」を紹介したい。筆者は抜粋の映像を見たが、全編は未見だ。しかし、これを見た在米のエネルギー研究者から内容の報告があったので、それを参考にまとめた。この映画の伝える情報は、日本に必要であると思う。
  • 1997年に開催された国連気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)で採択された京都議定書は、我が国の誇る古都の名前を冠していることもあり、強い思い入れを持っている方もいるだろう。先進国に拘束力ある排出削減義務を負わせた仕組みは、温暖化対策の第一歩としては非常に大きな意義があったと言える。しかし、採択から15年が経って世界経済の牽引役は先進国から新興国に代わり、国際政治の構造も様変わりした。今後世界全体での温室効果ガス排出削減はどのような枠組を志向していくべきなのか。京都議定書第1約束期間を振り返りつつ、今後の展望を考える。
  • 原子力発電所の安全目標は長年店晒しだった 福一事故の前、2003年に旧原子力安全委員会が安全目標案を示している。この時の安全目標は以下の3項目から構成されている。 ①定性的目標:原子力利用活動に伴って放射線の放射や放射性
  • 日本での報道は少ないが、世界では昨年オランダで起こった窒素問題が注目を集めている。 この最中、2023年3月15日にオランダ地方選挙が行われ、BBB(BoerBurgerBeweging:農民市民運動党)がオランダの1つ
  • IPCCの報告がこの8月に出た。これは第1部会報告と呼ばれるもので、地球温暖化の科学的知見についてまとめたものだ。何度かに分けて、気になった論点をまとめてゆこう。 今回のIPCC報告では、新機軸として、古気候のシミュレー
  • 福島第1原発のALPS処理水タンク(経済産業省・資源エネルギー庁サイトより:編集部)
    はじめに トリチウム問題解決の鍵は風評被害対策である。問題になるのはトリチウムを放出する海で獲れる海産物の汚染である。地元が最も懸念しているのは8年半かけて復興しつつある漁業を風評被害で台無しにされることである。 その対
  • サプライヤーへの脱炭素要請は優越的地位の濫用にあたらないか? 企業の脱炭素に向けた取り組みが、自社の企業行動指針に反する可能性があります。2回に分けて述べます。 2050年脱炭素や2030年CO2半減を宣言する日本企業が

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑