IEAの脱炭素ファンタジーに沿って交渉戦術を考える

2021年06月12日 07:00
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キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

国際エネルギー機関(IEA)が「2050年にネットゼロ」シナリオを発表した。英国政府の要請で作成されたものだ。急速な技術進歩によって、世界全体で2050年までにCO2の実質ゼロ、日本の流行りの言葉で言えば「脱炭素」を達成する、としている。しかもそれが経済成長にプラスだと宣っている。まるで環境運動家の作文だ。

技術的な想定は相当に無茶なもので、出来っこないよ、バカバカしい、というのがエネルギーや技術を知る人の反応だ。サウジアラビアのエネルギー相アブドゥラジズ・ビン・サルマン王子は、ファンタジー映画のタイトルにちなんで「ラ・ラ・ランド・シナリオ」と嘲笑った

SIphotography/iStock

しかし国際政治は恐るべし。こんなシナリオでも、英国は年末に主催する国連気候会議(COP26)に持ち出してくるだろうし、西欧諸国と米国バイデン政権はこれに沿ってCO2を減らすべし、と世界各国に排出削減の目標を押し付けてくるのだ。

だとすれば、この攻勢を上手く捌く方法は無いものか? 柔道の国ニッポンらしく、敵の態勢を読んで隙を突いてみよう。

まずこのシナリオ、世界が一斉にCO2を減らすため、天然ガス価格が暴落する:

日本の天然ガス価格は2030年に4.4ドル(100万Btu当たり。Btuは熱量の単位)となっている。これは2010年の12.9ドルの約3分の1だ。

これだと天然ガス火力発電のコストもとても安くなる。

政府の発電コスト試算(p51)によると、2030年の天然ガス火力発電コストは天然ガス価格が13.9ドルのときに、燃料費8.2円プラス設備費・運転維持費1.4円で合計9.6円(kWhあたり)となっている。

この燃料費が4.4/13.9 *8.2 = 2.6円になってしまうので、天然ガス火力の発電コストはなんと2.6+1.4=4円になる!

これなら他の発電方式は一切不要で、石炭火力を使う必要すらない。もちろん現実には安定供給や安全保障の問題があるので石炭火力は一定程度必要だけれども、このラ・ラ・ランド・シナリオでは、世界が一致協力して脱炭素に邁進するぐらいだから、当然に東アジアでも中東でも地政学的な不安などは全て解決していると「前提」し、先に進もう。

さて2050年に向けてはどうしようか。シナリオを見ると、2030年以降は、DAC(Direct Air Capture、直接空気回収技術。大気中からCO2を捕集して地中に埋める技術)が導入されることになっている。2050年には10億トンのCO2をこれで処分する、となっている。これは現在の日本の年間排出量に匹敵する量だ。

この技術がどのぐらいのコストか、報告書には書いていないが、2030年に導入開始されているということは、下記の炭素価格の表と見比べるならば、この時点で、すでにコストはCO2の1トン当たりで130ドル、つまり約13000円以下になっているということだ。

日本の今のCO2排出量は年間約12億トン。2050年までは天然ガスや原子力に頑張ってもらって何とか半分の6億トンまで減らし、その6億トンをDACで大気から回収して処分することを考えてみよう。

すると毎年のコストは6億×13000=7.8兆円、となる。いますでに日本は再生可能エネルギー賦課金で2.4兆円を国民が負担しているが、この約3倍となる。GDPを500兆円とすると、その1.6%。経済成長の1年分となる。決して安くはないが、これだけで済むならそう悪くはない。下手をすれば国家予算に匹敵する費用がかかるという試算があるぐらい、もっとずっとコストのかかる温暖化対策は山ほどあるからだ。

DACの適地は日本には乏しいが、DACは何処で実施しても大気中のCO2削減の効果は同じ事なので、日本が全額負担して海外で実施すればよい。

以上をまとめると、日本には以下のような公約の仕方がありうる:

  • 「日本は2050年までに、以下の工程で脱炭素します」と宣言する。
  • 2030年までに、「世界全体の協力を前提に(=地政学上の懸念が解消し、かつ天然ガス価格が暴落する)」、大規模な天然ガスシフトをする。
  • 2050年までに、DACの大量導入によって脱炭素を達成する。

筆者はこんな前提は成立しないと思うが、IEAが成立すると言っているのだから、それに沿って考えればこの様な公約が立派に在り得ることになる。

所要の費用は2030年まではほぼゼロで、2050年断面では年間7.8兆円となる。

以上は「天然ガス」「DAC」に着目して捌いてみたが、もっと上手があるかもしれない。

例えば、同報告によれば、太陽光発電も電力系統用バッテリーもとても安くなるようだから、2050年が近くなったらそれを大量に買えばよいだけかもしれない。

あるいは、水素が世界の最終エネルギーの10%を占めるというシナリオになっているから、東アジアにも水素パイプラインが出来ていることだろう。ならばそれをサハリンや韓国から日本にも越境してパイプラインで引いてくればよいのかもしれない。

いずれも、現時点では荒唐無稽な話だが、ラ・ラ・ランド・シナリオではすべての技術が実現し、安価になっている。

そうすると、慌てて未だ高価な太陽光発電を大量導入したり、あせって電気自動車に切り替える必要は全く無いわけだ。世界全体で価格が安くなるまでまって、ゆっくり導入すればよい。

もちろん、ラ・ラ・ランド建設のためにはあれこれ技術が必要であろうから、そこへの日本の技術の売り込みは忘れないようにしよう。

地球温暖化のファクトフルネス

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キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

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