ファントム電気に切り込むドイツ政界のジャンヌ・ダルク

2026年05月07日 06:50
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作家・独ライプツィヒ在住

Flory/iStock

国民に見放されるメルツ政権

まもなく発足後1年になるCDU(キリスト教民主同盟)のメルツ政権だが、メルツ首相の不人気は歴代首相の中でも抜群。4月末発表の政治家の人気指数では、しんがりの20位。与党の支持率も地に落ちており、連立の社民党と合わせてもたったの36%だ(CDU・24%、社民党が史上最低の12%)。政府の仕事に「満足している」はたったの18%で、「不満である」が80%の大台に乗った。要するに、ドイツ政府は国民にほぼ愛想を尽かされている。

理由は明白で、メルツ首相が約束したことをことごとく破るからだ。例えば、選挙中は大声で、「自分が政権を取ったらその翌日から国境を閉じる」と言ったけれど、選挙後はすぐに「そんなことは言っていない」。

「私が政権を取ったら新しい借金はしない」と言ったけれど、選挙後は、新しい議会を発足させないうちに、前の議会を使って5000億ユーロという史上最高の借金を通した。

「私が政権を取ったら増税はせず、財政の健全化を図る」と言ったが、今では高所得者への増税のほか、タバコ税、アルコール税の増税、さらには砂糖税という「国民の健康を守るため」の新しい税金まで作る予定。

官僚機構を簡素化すると言ったが、そのための新しい部署を作ったので、構造はさらに複雑化し、コストも増えた。

去年の秋には「秋の構造大改革」を宣言したが、結局、何も起こらず、社会保障費の増加も止まらない。例えば、医療保険料は値上げで、医療サービスは縮小。メルツ首相は「これでしばらくは医療保険の値上げはない」と言っているが、また嘘だろうと皆が不信の念を募らせている。

しかし、国会議員の給料は、例年通り、7月1日から値上げ(今年は4.2%上がって12,330ユーロとなる予定)。国民が匙を投げるのは当然だろう。

倒産ラッシュが示すドイツの脱産業化

エネルギー価格は現在、電気も、ガスも、ガソリンもEU最高で、2025年、全国の地方裁判所に登録された企業の倒産件数は2.4万件を超えた。ドイツ商工会議所の算出によると、現在22分ごとに1件が倒産している計算になるそうで、産業界はこれを、産業の停滞ではなく、完全な脱産業への道だと言っている。

しかし、メルツ首相本人はこの政権をあと3年も持たせるつもりらしく、社民党のご機嫌取りに必死。ところが今、「もう、いい加減にしろ!」とばかりに社民党の副首相兼財相のラース・クリンクバイル氏(48)を攻撃し始めたCDUの政治家が出現。カタリーナ・ライヒェ経済相(53)だ。

ライヒェ氏というのは、お目々ぱっちり、身のこなしは優雅でフェミニン。まるでディズニーの夢の世界から出てきたお姫様のようなふんわりした雰囲気だが、実はすごい切れ者。専門は化学で、産業界での経験もあれば、政治歴もかなり長い。

そのライヒェ氏が、「産業界が苦しんでいるのは、社民党がおかしなことをやっているのに、CDUが修正しないからだ。だったら私が始めましょう」と言わんばかりに、クリンクバイル氏と火花を散らし始めた。

メルツ氏にしてみれば、自分の配下にあるはずの大臣2人がつかみ合いを始めたわけで、面目丸潰れだ。ちなみに私はライヒェ氏を、ドイツ政界のジャンヌ・ダルクと呼んでいる。

再エネ政策のタブーを破ったライヒェ経済相

そもそもドイツの産業がここまで落ちぶれたのは、行き過ぎた脱炭素政策と過剰な再エネ発電に起因するところが多いが、これまで政治家の間では、それを言うことはタブーだった。

ところが、ジャンヌ・ダルクことライヒェ氏がそのタブーを破った。そのため、氏のところには今、社民党や緑の党はもちろん、環境保護団体や、再エネロビー、さらにメディアからも、バンバン弾が飛んできている。彼らに言わせれば、ライヒェ氏は環境政策の足を引っ張るとんでもない政治家なのである。

ただ実際には、氏の言っていることは、ごく当たり前のことばかり。例えば、「今後、受電能力が十分にない場所での再エネ施設の建設は許可しない」し、「発電されていない電気は買い取らない」。

実は、これまでは、風車や太陽光パネルの建設はほぼどこでも認可された。しかし、太陽が出て風況の良い日に、人里離れた送電線の希薄な場所で大量に電気ができると、受電能力不足になるため、発電が制限されるという事態が起こる。

ただ、送電線の敷設は発電事業者の仕事ではない上、再エネ発電の事業者は、発電した分すべてを買い取ってもらえるという法律がある。そこで、発電制限が掛かった場合も発電したものとみなして、買い取り価格と同等の補償が支払われる。無いのにあることにされるから、通称「ファントム電気(お化け電気)」。はっきり言って、こっちの方がよっぽどおかしい。

2024年はこのお化け電気の補償分だけで5億4,300万ユーロ、再エネの増減をカバーするための調整費(リディスパッチ)も含めると、6億6,700万ユーロに達した。

買い取りや送電線建設費など、再エネの補助総額はさらに膨大で、今年は180億ユーロに達すると予想されている。これがすべて税金、あるいは国の借金で賄われる。しかも今のところ、再エネは増えれば増えるほど電気代が上がるのだから、ドイツの納税者は踏んだり蹴ったりだ。

実は、以前はこのコストは再エネ賦課金として電気代に入っていたが、あまりにも目立ち過ぎるようになったので、2022年7月からは税金の中に隠して徴収されている。どちらにしても国民負担であることは変わらず、要するに、再エネ業者の莫大な儲けも国民が捻出しているわけだ。だからこそライヒェ氏は、再エネのこれ以上の無制限な拡張を止めようとしている。氏いわく、「20年間、利益が保証されている商売が他にあるなら教えてほしい」。

つまり、ようやく再エネ業界と与しない政治家が出てきたわけだが、しかし、これは、ドイツが金科玉条として掲げてきた「エネルギー転換」の完全否定に等しい。社民党や緑の党が目の色を変えて氏を責め立てているのは、当然のことだろう。

ファントム電気に切り込むジャンヌ・ダルク

4月10日、クリンクバイル氏は現在のエネルギー危機についての対策を練るため(あるいは訓を垂れるため)、産業界の大物らを財務省に招いた。やはり招待されていたライヒェ氏がそれを断ったところまでは良かったが、なんと同日、氏は臨時会見を開き、記者たちの前で優雅に言った。「我々の連立相手がこのところ、ある提案を広めているようです。それは、高いばかりで効果に乏しく、しかも、違憲であることが疑われるような提案です」と。

名前こそ出さなかったが、この強烈なアッパーカットを食らったのは、もちろん社民党のクリンクバイル氏。

社民党というのは、常に大きな政府を目指し、大企業からも国民からもさまざまな理由でなるべくたくさんお金を取り上げ、それを再分配することを自分たちの使命だと思っている。だから今回もガソリンに掛かっている税金を少し下げるために、儲け過ぎていると思われる石油業界から過剰利益分を取り上げようとしていた。それをライヒェ氏は違憲だと批判し、火花を散らしたのである(結局、これは法案にはならなかった)。

ドイツ経済は過去6年間、実質成長はしていない。国外に逃避する企業は急増している。この動きを止めるためには、まず電気代を下げなくてはならない。産業界にしてみれば、今ようやく正論をちゃんと述べ、肝心なところにメスを入れようとする大臣が現れたわけで、ライヒェ氏にかける期待は大きい。

一方、政府にとってのライヒェ氏は、危うい連立をさらに危うくする危険人物で、更迭しろという声が上がっているというのも然もありなん。

ただ、氏の後ろ盾はすでに産業界がしっかり固めており、さらにいえば、氏はたとえ大臣をクビになってもへっちゃらなのだろう。それどころか、「私はポストにしがみつく誰かさんとは違います」といった雰囲気さえ醸し出している。

ブラヴォー、ライヒェ氏! 四方からの圧力にどうか負けないでほしい。そして、火あぶりにされないよう、くれぐれも注意してほしい。

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