なぜ水素は何度も「夢」になるのか

2026年01月07日 06:50
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技術士事務所代表

Scharfsinn86/iStock

脱炭素、ネットゼロ、水素社会。ここ数年、これらの言葉を耳にしない日はない。水素は「次世代エネルギーの本命」として語られ、ブルー水素やグリーン水素は、脱炭素・ネットゼロを実現するための生命線とまで位置づけられている。

しかし、水素が「夢」として語られるのは、今回が初めてではない。過去を振り返れば、水素は何度も脚光を浴び、そのたびに期待が先行し、やがて現実との距離に直面してきた。

では、なぜ水素は、これほど繰り返し「次こそは」と言われ続けるのか。そこには、技術そのものではなく、政策と意思決定の構造に起因する理由がある。

理論的に美しすぎるエネルギー

水素が「夢」になりやすい最大の理由は、その理論的な美しさにある。

水素は燃やしても水になる。さまざまな一次エネルギーから製造でき、電力とも相互変換が可能だ。エネルギーキャリアとして見れば、これほど都合のよい存在はない。

この「美しさ」は、技術者だけでなく、政策担当者や社会全体に強い魅力を放つ。エネルギー安全保障、環境対策、産業振興といった複数の目的を、一つの技術で同時に満たせるように見えるからだ。

しかし、問題はその先にある。

水素は「色」で分類されることが多いが、どの方式であっても、製造・分離・輸送という物理化学的制約から逃れることはできない。

物理・化学法則が突きつける現実

水素はエネルギー源ではなく、エネルギーキャリアである。つまり、必ずどこかでエネルギーを投入して製造しなければならない。

ブルー水素であれば、天然ガスの改質、CO₂の分離・回収・圧縮が必要になる。グリーン水素であれば、再生可能エネルギーによる発電と水電解、さらに圧縮・貯蔵・輸送が必要だ。

これらの工程では、エネルギー損失とコスト増加を避けることはできない。質量保存則やエネルギー保存則、熱力学第二法則が支配する世界に、魔法は存在しない。

実際、技術開発の現場では必ずコスト試算を行う。原料費に加え、設備投資(CAPEX)、運転費(OPEX)、輸送費、保険、利潤などを積み上げれば、水素や水素由来製品の価格になる。通常、この価格が既存市場価格を上回ることは、計算の時点でほぼ明らかになる。それでも水素は「成立する前提」で語られる。このねじれが、次の問題を生む。

2023年時点において、グリーン水素は世界中のどの市場でも、グレー水素より高コストであることが示されている。技術や政策の違いを超えて、物理とコスト構造が結果を支配している。

ご参考までに、政府は、水素価格の目標値を設定しており、2030年までに30円/Nm3(336円/kg-H2)、普及するためには2050年までに20円/Nm3(224円/kg-H2)を掲げている。為替を1ドル=150円とすれば、$2.24~$1.49/kilogram H2となる。

「無視」ではなく「棚上げ」

政策議論において、物理・化学法則が本当に無視されているわけではない。多くの関係者は、コストが高く、エネルギー効率に限界があることを理解している。

それでも議論が前に進むのは、物理法則が「否定」されているのではなく、「棚上げ」されているからだ。

将来の技術革新が解決する。スケールアップでコストは下がる。炭素価格を導入すれば相対的に有利になる。

こうした言葉によって、現時点での不利は一時的な問題として処理される。結果として、現実の制約を直視する議論は先送りされる。

繰り返される国主導技術開発の構造

この構図は、水素に限った話ではない。

1980年代、日本では石油危機を背景に、国主導で石炭液化技術の開発が進められた。2000億円を超える資金が投じられ、技術的には一定の成果を上げたが、最終的に商業化には至らなかった。

2010年代には、クリーンコール技術の海外展開が模索されたが、やはり市場競争力の壁に突き当たった。

共通しているのは、「技術的にはできる」「しかし経済的には成立しない」という結果である。

問題は失敗そのものではない。技術開発には成功と失敗がつきものだ。問題は、「成立しないと分かった後」に、撤退や軌道修正を合理的に判断する仕組みが欠けていることにある。

なぜ「やめられない」のか

国主導プロジェクトでは、撤退は単なる技術判断では済まない。

過去の政策判断との整合性、投入された予算、国際的な約束、関係者の説明責任――これらが絡み合い、「やめる」という選択肢は極めて取りにくくなる。

結果として、進められないが、やめられない。夢は信じられなくなったが、否定もできない。この「宙づり状態」が長く続く。

水素は間違った技術なのか

ここで強調しておきたい。水素は「間違った技術」ではない。

特定の用途、特定の条件下では、今後も重要な役割を果たすだろう。問題は、水素を万能解のように扱い、あらゆる分野で主役に据えようとする発想にある。

技術には、それぞれ適した時代と役割がある。その見極めを誤ると、技術は「夢」として語られ続けることになる。

夢を見続けないために

水素が何度も夢になる理由は、技術の未熟さではない。判断の仕組みが、夢から醒めることを許さないからだ。

物理・化学の制約を前提に据え、市場価格との関係を正面から示し、撤退や縮小を「失敗」ではなく「合理的判断」として評価する。

その仕組みを持たない限り、水素に限らず、次の技術もまた「夢」になるだろう。

水素が夢で終わるか、現実の一部として定着するか。その分かれ目は、技術ではなく、私たちの意思決定のあり方にあると思われる。

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