マイクロソフトの炭素除去撤退が示すもの:「善意」に依存した市場の限界

Yuriy Komarov/iStock
2026年4月、炭素除去(Carbon Removal)業界に激震が走った。業界最大の購入者であるマイクロソフトが、新規契約の一時停止を取引先に通知したのだ。同社は契約済み炭素除去量の約80%を単独で購入してきた、文字通り「市場そのもの」ともいえる存在だった。
マイクロソフトがこれほど積極的に炭素除去を購入してきた背景には、自社の気候目標がある。2030年までにカーボンネガティブを達成し、2050年までに創業以来の累積排出量に相当する量を大気中から除去するという野心的な約束だ。しかし現実は厳しかった。
AI投資の急拡大に伴いデータセンターの電力消費が膨らみ、2025年発表の報告書では2020年以降の自社排出量が23%以上増加したことが明らかになった。財政的考慮から調達ペースを落とすという判断は、企業経営としては合理的といえる。
問題は、そのしわ寄せが即座に業界全体に波及する構造にある。市場の8割を一社が支配していれば、その企業が方針を変えた瞬間に市場は機能不全に陥る。専門家が「炭素除去の育成の模範として自らを位置づけておきながら、新興産業をこれほど無責任に扱うことはできない」と批判するのも、この依存構造の危うさを指摘したものだ。
炭素除去の経済構造——成立困難性は最初からあった
しかし立ち止まって考えたい。炭素除去の経済的成立困難性は、マイクロソフトの撤退によって生じた問題ではない。この産業が生まれた当初から内在していた構造的欠陥である。
現状のコストを見れば明らかだ。直接空気回収(DAC)は1トンのCO₂除去に300〜600ドルを要し、バイオマスと二酸化炭素回収・貯留を組み合わせたBECCSでも100〜300ドル程度かかる。
一方、欧州の排出権取引市場(ETS)における炭素価格は長期的に見ても50〜100ドル程度だ。このコスト差を市場原理だけで埋める手段は存在しない。だからこそ、大企業の自発的購入か、政府補助金——すなわち税金——に頼るしかない構造が最初から存在していた。
政策義務化という「解決策」の問題点
ある専門家は、「炭素除去をスケールさせるために、見知らぬ人の善意に頼ることはできない」と述べ、排出者に義務を課す政策の必要性を訴えている。一見もっともな提言だが、これは新たな問題を呼び込む。
義務化が現実になれば、予測可能な連鎖が起きる。コスト増加→産業競争力の低下→補助金での穴埋め→財政負担の拡大、という負のループだ。さらに補助金の恩恵を受けるのは特定技術を持つ企業に限られ、政策が「勝者を選ぶ」歪みも生まれる。
「外部不経済の内部化」という経済学的論理はたしかに存在するが、そこで計算される「社会的コスト」は気候モデルの推計に全面依存しており、モデルの感度設定次第で大きく変動する。前提の不確実性がコスト正当化の根拠を揺るがす以上、義務化の論拠は盤石とはいえない。
より根本的な問いへ
ここで問わなければならないのは、そもそもCO₂を大気中から取り除く必要があるのか、という点だ。
CO₂は植物の光合成に不可欠な原料であり、大気中濃度の増加が農業生産性の向上に寄与している側面もある。炭素除去の必要性は、CO₂増加が危機的な温暖化をもたらすという気候モデルの予測に依拠しているが、そのモデルの気候感度には大きな不確実性が残り、観測データとの乖離も指摘されている。
感度を高く見積もるほど炭素除去の「必要性」は増す。しかしその前提が過大であれば、莫大なCAPEXとOPEXを要する炭素除去インフラへの投資は、費用対便益の観点から正当化できない。税金を投じて特定技術を維持することが本当に社会の最善手であるかどうかは、冷静な検証なしには答えられない。
結論
マイクロソフトの一時停止は、炭素除去業界に「善意頼みでは市場は持続しない」という警告を発した。だがその警告が指し示す先は、業界関係者が訴えるような「より強力な政策義務化」ではない。炭素除去に費やされるコストの根拠そのもの——気候感度の想定、モデルの信頼性、CO₂の「有害性」という前提——を問い直すことである。
工学的・経済的な視点から見れば、前提が揺らいだまま義務化と補助金の組み合わせで市場を人工的に維持しようとすることは、問題の先送りにすぎない。炭素除去政策の議論は、科学的不確実性と経済的現実を正面から織り込んだものでなければならない。
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