原発事故、「甲状腺異常は全国に広がる」報道は間違い — デマを打ち消す行政の工夫を
批判されるべき煽り報道
「甲状腺異常が全国に広がっている」という記事が報道された。反響が広がったようだが、この記事は統計の解釈が誤っており、いたずらに放射能をめぐる不安を煽るものだ。また記事と同じような論拠で、いつものように不安を煽る一部の人々が現れた。
この記事では、不安を避けるために問題を解説すると共に、誤った情報が流布しないように行政に「伝える工夫をしてほしい」と提案をしたい。
福島県と他3県の甲状腺検査で何が示されたか
福島県は2月、福島原発事故で18歳以下の約13万人の甲状腺検査の結果を公表した。11年度の3万8000名の調査対象者を2次検査した結果、3人が甲状腺がんと診断され、7人が再検査という結果になった。(2月13日、県民健康管理調査検討委員会・資料2-1)検討委員会は原発事故による健康被害は確認されていないという立場で、この結果にも同様の見解を示した。
また環境省は、この検査と比較するために、青森県、長崎県、山梨県の3地域の18歳以下4500人を調べた。(福島県外3県における甲状腺有所見率調査結果について)これは「疫学調査」、つまり大規模に病気を統計的に調査する方法で、3地域は福島と比べるための「対象区」とされた。上記資料2-2に、その目的が書いてあって、原発事故の被害を全国で調査するためではない。これら3地域は、甲状腺がんを引き起こす一因となる放射線ヨウ素を、原発事故の影響で生活者が食事や暴露で人々が吸引しなかった地域だ。
福島の調査で嚢胞(のうほう)、結節(けっせつ)が認められたのは11年度に35%で、環境省調査の3地域では57%となった。ここでいう嚢胞、結節はいわゆる「しこり」などで、すべてがんにつながるものではない。この差を自然に解釈すれば、「福島県は他地域に比べて甲状腺異常が増えたという結果はなく、原発事故の人体への影響は少ないと見込まれる」という意味になる。
健康被害の増加を示す結果ではない
ところが、この調査の結果、原発事故の影響が全国に広がっているという解釈をする人が出た。これはおかしい。
また「甲状腺がんは100万人に1人で発生するもので、福島の発生率は高いので危険」とする人々がいる。確かに、上記委員会の発言、福島県立医大の論文によれば100万人に数例という発生数になっている。
ところが、これは人口比での発生数だ。通常の生活で、症状が出て、検査によって発見された例になる。福島の調査のように、ここまでの規模で、対象児童すべてに超音波による詳細な検査をした例は、過去の世界に類例はないという。チェルノブイリでも行われていない。
しかも甲状腺がんの多くは、生命に関わることの少ないタイプのがんとされる。自覚症状もなく、長生きする例も多いという。つまり「福島では詳細な調査によって、甲状腺がんが発見されやすくなっている」と状況になっている。
さらにこの母集団数では患者がこれまで1人が3人になっても、統計的手法では「有意」つまり関連があるとは評価できない。偶然に増えた可能性もあるということだ。もちろん原発事故の影響も可能性は極小だがあるかもしれず、断言はできない。
これまでGEPRで紹介してきた通り、チェルノブイリ原発事故では、周辺地域で6000人の子供が甲状腺がんにかかって15人が死亡した。子供の被害の増加は、汚染された牧草を食べた乳牛のミルクを飲んだためと原因がほぼ特定されている。原発事故直後に食品の流通を停止した日本で、同じ問題が起こる可能性は少ない。
まとめれば以下の3つが、今回の調査を参照した上で、今の段階で言えることだ。
「1・甲状腺の異常が全国に広がっていると、現時点で示す証拠はない」
「2・福島には他地域に比べて、甲状腺の異常の増加は観察されていない」
「3・福島の調査が詳細ゆえに、今まで発見できなかったような甲状腺がんが見つかった可能性がある」
これから考えると、「甲状腺異常が全国に広がっている」という報道は、不安を煽るミスリードと言えるだろう。
もちろん筆者には原発事故の被害を過少に評価する意図はない。危険があれば人々の健康被害を避けるためにそれを訴える。そして甲状腺調査を含めて、継続して福島県民、東日本の住人の健康調査を続けるべきであると思う。おそらく「現在の少ない事故影響の放射線量では、何も起こらない」という結果が出るだろう。しかし、それでも万が一に備え、そして住民の不安をなくすために行うべきだ。
不必要な不安による社会混乱は避けたい。福島と東日本大震災の被災地の復興のために、日本社会の活力と関心を向けるべきだ。上記報道のように、不安を煽るムダな報道は、国民の知る権利に奉仕するものではなく、社会的害悪にしかならないだろう。
伝える人の自省と行政の「伝える」工夫を
そして報道への反響が広がった姿を眺め、筆者はむなしくなった。「デマに踊らされ、不必要な不安に動揺する人々、デマを流す人々はいつになったらいなくなるのだろう」と。
それをなくすために、ここで2つの提案をしたい。まず一つ目は、メディア関係者、そして今やネットで発信者となった市民一人ひとりが、「福島と放射能をめぐる、誤った情報を流すことを止めるべき」ということだ。放射能について不正確な情報を垂れ流す事は、人の生活、命、健康に情報で害を与えかねない。特に、メディア関係者なら職業倫理上、絶対にデマの拡散に関与してはならない。勉強と取材をした上で慎重に報道すべきだ。
ただし、公権力による民間の言論活動への干渉は、最低限に留めなければならない。この提案は、結局は関係者の自省と良心に委ねざるを得ない問題だ。
そして二つ目の提案は、行政関係者、特に福島県、環境省、厚生省は、各種の調査結果の意味を、解釈を添え、分かりやすく市民に伝えることを考えてほしいということだ。
上記の福島県ホームページ、環境省ホームページを見てほしい。どこに何が書いてあるのか分からない。
そして一つひとつの文章には、大量のナマ情報が掲載されている。それを見ても、一般の人は、何が書いてあるか分からないだろう。
今回のデータの公表も分かりやすく意味を伝えられたなら、おかしな報道もなかったであろう。もちろん行政関係者の情報公開の努力は認めるが、伝えるという点では「下手」と思う。その証拠に人々の不安はなかなか消えない。意味が少ない福島の除染に2年で9000億円という膨大な税金を投じるなら、そのうちいくらかをもっと効果のありそうな「リスクコミュニケーション」に使うべきだ。
原発事故後に大量の情報が行政・東電から発信された。しかしその情報は加工されず分かりづらかった。解釈を伝えることを、民間の有志が自発的に行った。代表的な方が東京大学の早野龍伍教授、大阪大学の菊池誠教授などだ。それらの人々の努力に敬意を払うと同時に、政府と行政の「目立たなさ」はとても残念だ。行政や政治家は批判を恐れ、コミュニケーションの矢面に立たなかったように思える。
今からでも遅くはない。行政は、放射能情報の広報で、「分かりやすい伝え方」の工夫をしてほしい。
上記参考文献
『放射線医が語る被ばくと発がんの真実』中川恵一著、KKベストセラーズ
GEPR各種論文
(筆者注・上記の文章は、慎重に書いたつもりだが、専門家ではないので、誤りがある可能性がある。健康を巡る問題なので、事実関係の誤りあれば、専門家の方のご教示をいただきたい)
石井孝明 アゴラ研究所フェロー 環境ジャーナリスト ishii.takaaki1@gmail.com
(2013年4月8日掲載)

関連記事
-
熊本県、大分県を中心に地震が続く。それが止まり被災者の方の生活が再建されることを祈りたい。問題がある。九州電力川内原発(鹿児島県)の稼動中の2基の原子炉をめぐり、止めるべきと、主張する人たちがいる。
-
6月30日記事。環境研究者のマイケル・シェレンベルガー氏の寄稿。ディアプロ・キャニオン原発の閉鎖で、化石燃料の消費が拡大するという指摘だ。原題「How Not to Deal With Climate Change」。
-
電力料金の総括原価方式について、最近広がる電力自由化論の中で、問題になっている。これは電力料金の決定で用いられる考え方で、料金をその提供に必要な原価をまかなう水準に設定する値決め方式だ。戦後の電力改革(1951年)以来導入され、電力会社は経産省の認可を受けなければ料金を設定できない。日本の電力供給体制では、電力会社の地域独占、供給義務とともに、それを特徴づける制度だ。
-
英国イングランド銀行が、このままでは気候変動で53兆円の損失が出るとの試算を公表した。日本でも日経新聞が以下のように報道している。 英金融界、気候変動で損失53兆円も 初のストレステスト(日本経済新聞) 英イングランド銀
-
「海外の太陽、風力エネルギー資源への依存が不可欠」という認識に立った時、「海外の太陽、風力エネルギー資源を利用して、如何に大量かつ安価なエネルギーを製造し、それをどのように日本に運んでくるか」ということが重要な課題となります。
-
前回書いたように、英国GWPF研究所のコンスタブルは、英国の急進的な温暖化対策を毛沢東の「大躍進」になぞらえた。英国政府は「2050年CO2ゼロ」の目標を達成するためとして洋上風力の大量導入など野心的な目標を幾つも設定し
-
1996年に世界銀行でカーボンファンドを開始し、2005年には京都議定書クリーン開発メカニズム(CDM)に基づく最初の炭素クレジット発行に携わるなど、この30年間炭素クレジット市場を牽引し、一昨年まで世界最大のボランタリ
-
気候研究者 木本 協司 1960-1980年の気象状況 寒冷で異常気象が頻発した小氷河期(1300-1917)以降は太陽活動が活発化し温暖化しましたが、1950年頃からは再び低温化傾向が始まりました。人工衛星による北極海
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間