総合的リスク低減が原子力規制の目的 — 規制委員会の誤った活動を憂う
日本とアメリカの原子力規制委員会
日本の原子力規制委員会(NRA)は、アメリカの原子力規制委員会(NRC)と同じ名前を使っています。残念ながら、その中身は大きく違います。
NRCは、原子力安全に影響するリスクを正面からとらえて、リスクを物差しとして発電所の安全を確保するために、事業者の活動を絶え間なく監査しています。職員は専門職で、原子力専門家として集中的かつ継続的な教育を進めることで世界トップクラスの人材を養成しています。
委員も総合的な立場から、意思決定を行い、その意思決定には責任を負います。NRCの考え方を示す2つのキーワードがあります。
「我々は事業者を信頼する、しかし監査する」
「何がリスク上重要か?」
一方の、日本の原子力規制委員会は、目の前に見えるリスクにこだわり、とにかく厳しければ良いという規制にこだわっています。職員は役人で、中には原子力の専門家もいますが、各自の専門の蛸壺(たこつぼ)に籠り、俯瞰的な視野でリスクを見る事ができる人材は非常に少ないようです。
4月に東京で行われた国際会議で、委員の一人は、活断層リスクに対する質問に対して専門外であることを強調し、まともに答えませんでした。NRCでは考えられない事です。規制庁だけではなく規制委員会まで信用を落としました。
原子力安全は、発電所の総合的リスクを低減することによってのみ達成されます。しかし、現場や関係者との議論を避け、小さなリスクにこだわり、結果的に発電所の総合的リスクを増大させているのではないかと危惧します。
原子力規制の歴史
原子力の規制を誤ると、重大事故に直結する事から、規制は継続的に発展を続けてきています。アメリカも、TMI事故(スリーマイル島原発事故、1979年)が起きた後は、事業者の一挙手一投足を見て、少しでも変な事をすると罰金を科すというやり方によって、事業者の活動を規制していました。
1980年代後半から90年代初頭にかけて、このままでは、原子力安全が担保できないのではないかという事で、規制当局と事業者とが議論を進めました。原子力が安全であればあるだけ、稼働率が上昇して事業者は経済的に有利になります。また、原子力が安全であれば、規制当局も国民の健康を守ることができます。
当たり前のことですが、原子力発電所を安全にする方向の「カイゼン」が行われることによって、規制も事業者も同じインセンティブがある事に気がついたわけです。北風ではなく、太陽にすることで、事業者は自ら、原子力安全を向上しようとするようになりました。
このとき、リスクの概念を導入し、リスク低減のための活動に、規制も事業者も集中投資を行うようになりました。この事によって、アメリカの原子力発電所はより安全になり、また、稼働率も90%を超えています。今も、事業者の活動を中心に評価し、リスクを大きく高める方向への活動に対して、集中的に規制を進めています。
一方、このようにアメリカの規制が大きく改善が進み、原子力安全を高めてリスクを低減する活動を集中的に見るようになってきたのに対して、1990年代および2000年代の日本では、原子力安全は横において、それには必ずしも直接つながらない法律を決めて、それを遵守する事が最も重要であるかのような規制が進められてきました。ある意味改悪でした。
JCO事故(1999年)や東電の情報隠蔽問題(2002年発覚)などがあり、事業者の活動をしっかり見ることが重要であるという認識が高まったことは良いことでした。しかし、活動を見るという意味を間違え、ちゃんとマニュアル通りにやっていることだけを確認する事になりました。リスクを考慮して活動を見るのではなく、単に一挙手一投足を見ていた、アメリカの80年代に逆戻りしたのです。
原子力安全に繋がる活動をやろうとすると、マニュアルにないことをやることになりますから、非常にハードルが高くなります。大変なので、安全に繋がるカイゼンは実施せずに、マニュアル通りにやっておけば良いという事になります。
安全とは、常にカイゼンを進めなくては担保できません。何もしないと劣化していきます。日本の規制は、「カイゼン」を促すのではなく、「改善しない事」、つまり従来通りのマニュアル通りに業務が進められていることが良い事であるとの規制を進めてきたことから、どんどんと安全が劣化してきていたのです。日本の規制は、30年以上遅れていました。さらに厄介なことに、この考え方は発電所の隅々にまで浸透してしまったのです。間違った規制を続けると、事業者が疲弊し、改善などもってのほかという雰囲気が発電所を支配していました。福島第一事故の根本原因は、事故前の間違った規制システムと、それによる事業者の疲弊にあるといっても良いかもしれません。
新しく出来た規制委員会と規制庁に対しては、過去の間違った考え方を十分に反省して、世界最高水準の規制を目指していただけるものと思っていたのですが、必ずしもそうではないようです。過去の規制を間違えた張本人である保安院のメンバーがそのまま残り、自分たちの失敗を棚に上げて、同じ間違いを犯しているように思えます。このままでは、規制によって事故が誘発されるのではないかと危惧します。
総合的リスクの低減
一番の間違いが、厳しい規制を目指すという考え方です。厳しい規制は発電所のリスクを高め、事故を誘発します。一部だけを厳しくすると別の部分にリスクが導入されるので、本来は総合的なリスクを低減する努力を行わなくてはならないのです。
すべての対策は対象とするリスクを低減できますが、別のところに必ずリスクを導入します。9.11のあと、飛行機ではなく車で移動する対策をとったことにより、交通事故死が増加したことは有名な話です。ところが、今やっていることは、規制庁内のある人が思いついた一部のリスクだけにこだわり、そこだけを見て規制しようとしています。悪い事に、規制に飼いならされてしまった事業者は、総合的なリスクは増大しても、目をつぶって言われたことだけをやろうとします。改善をしようとするインセンティブなど全く働きません。規制委員会は事業者の改善を促すといっていますが、やっていることは改善をさせない規制に見えます。言っていることとやっていることが全く矛盾しているように思えます。
リスクを重視するといっていますが、結果的に、総合的リスクを考えない規制になっています。ハードウエア偏重で、一部のリスクに無意味にこだわっています。フィルタードベントなどはその最たるもので、アメリカでは設置は義務付けず、別の手法で対策することになりました。発電所によっては、総合的なリスクを高める事がわかっているからです。一律な設置の義務付けは間違いです。日本でも発電所によっては明らかにリスクを増やします。しかし、規制庁は総合的なリスクを高めてでも、一部のリスクを下げる事に熱心です。
原子力規制委員会と民主党
今の規制庁は、民主党政権と一緒です。素人が思い付きによって一部のリスクにだけこだわり、日本全体のリスクを高めてしまいました。選挙によって素人は退場し、プロによって全体のリスクを見た政治が進められて日本の未来は少し明るくなってきました。規制庁は役人なので、入れ替える事ができないので、非常に危険です。民主党政権がずっと続く日本を想像していただければ、どれだけ危険かがよくわかるかと思います。
規制庁と事業者は原子力安全に対して対等なのです。既設プラントは、現場至上主義です。規制庁は決してえらくありません。権限を持っているからと言って暴走すれば、それは民主党と一緒です。
規制庁と事業者は同じ原子力安全(総合的リスクの低減)という目標に向かって議論をし、安全を高める努力を継続していく事が必須なのです。
岡本孝司(おかもと・こうじ) 東京大学教授。専門は、原子力熱流動、原子力安全、可視化など。近著に「証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?」(共著、新潮社)
(2013年4月22日掲載)

関連記事
-
IPCCの報告がこの8月に出た。これは第1部会報告と呼ばれるもので、地球温暖化の科学的知見についてまとめたものだ。何度かに分けて、気になった論点をまとめてゆこう。 エルニーニョ現象、ラニーニャ現象は、世界の気象を大きく変
-
以前、米国のメディアは分断されており、共和党寄りのFox News等と、民主党系のCNN、MSNBC、ABC、CBS、およびNBC等に分かれていて、有権者はそれぞれ自分の属する党派のニュースが正しいと信じる傾向にあること
-
GPIFがサステナ投資方針を月末公表へ、ESGの姿勢明確化―関係者 ブルームバーグ 年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、サステナビリティー(持続可能性)投資に関する方針を初めて策定し、次期基本ポートフォリオ(資
-
はじめに 気候変動への対策として「脱炭素化」が世界的な課題となる中、化石燃料に依存しない新たなエネルギー源として注目されているのがe-fuel(合成燃料)である。自動車産業における脱炭素化の切り札として各国が政策的な後押
-
政府は停止中の大飯原発3号機、4号機の再稼動を6月16日に決めた。しかし再稼動をしても、エネルギーと原発をめぐる解決しなければならない問題は山積している。
-
福島第一原発の後で、エネルギーと原発をめぐる議論が盛り上がった。当初、筆者はすばらしいことと受け止めた。エネルギーは重要な問題であり、人々のライフライン(生命線)である。それにもかかわらず、人々は積極的に関心を示さなかったためだ。
-
原子力発電施設など大規模な地域社会の変容(これを変容特性と呼ぶ)は、施設の投資規模、内容にまず依存するが(これを投資特性と呼ぶ)、その具体的な現れ方は、地域の地理的条件や開発の意欲、主体的な働きかけなど(これを地域特性と呼ぶ)によって多様な態様を示す。
-
米国が最近のシェールガス、シェールオイルの生産ブームによって将来エネルギー(石油・ガス)の輸入国でなくなり、これまで国の目標であるエネルギー独立(Energy Independence)が達成できるという報道がなされ、多くの人々がそれを信じている。本当に生産は増え続けるのであろうか?
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間