チェルノブイリ原発事故、現状と教訓(上)-日本で活かされぬ失敗経験
1986年に世界を震撼させたチェルノブイリ原発事故。筆者は14年11月に作家の東浩紀氏が経営する出版社のゲンロンが主催したツアーを利用して事故現場を訪問し、関係者と話す機会を得た。福島原発事故を経験した日本にとって学ぶべき点がたくさんあった。そこで得た教訓を紹介したい。
結論を示すと、筆者は以下のことを考えた。
1・膨大な除染の負担、恐怖感による社会混乱、デマによる風評被害、避難者のストレスなどチェルノブイリの経験が、日本の福島事故で似た形で繰り返されている。特に「失敗した」と評価できる悪い面においてだ。日本はウクライナの経験を学ぶべきだった。そして今からでも参考にすべきだ。
2・現実を見聞すると、ある対象について脳裏でつくられた「イメージ」は変わる。チェルノブイリは実情以上に悪いイメージがつくられ、それがウクライナと全世界に定着してしまった。福島事故をめぐって、私たち日本人は観光という形を含めて事故現場と情報を正確な形で公開し、悪しきイメージが定着しないように細心の注意を払うべきだ。福島の未来のために。
1・チェルノブイリ原発事故とは何か
ここで事故を簡単に振り返る。(詳細は高度情報科学技術研究機構(RIST)の運営する原子力百科事典ATOMICA「チェルノブイリ原子力発電所事故の概要」)
1986年4月26日午前1時23分、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所4号機で事故が発生した。同機の外部電源の喪失時の制御と配電設備のテストを行っていたところ、原子炉が不安定な状況になった。緊急停止システムを稼働させたが、それでも核反応が制御できなかった。そして原子炉が加熱し爆発した。
4号機は1979年着工で83年に運転を開始した。ソ連特有の「RBMK型(黒鉛減速軽水沸騰冷却型)」と呼ばれるタイプだった。核反応を抑制する減速材に黒鉛を使い、西側の原発と違って原子炉の格納容器がなかった。炉の爆発で数千トンの屋根が吹き飛んだ。そして炉と建屋が破壊され、黒鉛による火災が発生し、放射性物質が拡散した。
十分な放射線防護装備のないまま消防士が消火に当たり、火は翌日までにほぼ鎮火。運転作業員、消防士が急性被ばくによって50人が死亡した。(GEPR「ロシア政府報告書最終章」)事故の処理には軍が投入された。86年夏から石棺(これは日本語通称で、ロシア語で「覆うオブジェ」という意味)と呼ばれるコンクリートの構造物で、むき出しの炉を覆う工事が行われた。
事故は複合要因とされる。制御棒の挿入による反応の抑制が不十分なところに、運転員が誤操作を行い、原子炉が暴走したとされる。また設計上の安全システム、事故を想定した放射線の拡散を防ぐ設備も不十分だった。
筆者は、事故を起こした4号機と同型で、当時とほぼ同じ3号機の制御室を視察した。制御室の計器はデジタル化されておらず、計測情報が計器で示されるアナログの形だった。制御棒の挿入状況を示す計器もそうだった。チェルノブイリ型の原発の運用は、人の裁量が影響するものであることがうかがえた。
また3号機と壁を隔てた場所に立った。炉心までわずか数十メートルのところだ。放射線の空間線量は毎時30〜40マイクロシーベルト(μSv)と、自然放射線に比べて高いものの、すぐに健康被害を及ぼすものではなかった。
ソ連は4号機の上に「石棺」と呼ばれるコンクリートの覆いをかぶせた。石棺の老朽化が問題になっていた。その上に新石棺と呼ばれる巨大なアーチ状の建造物を来年までにかぶせる計画がある。現在建設中で、約6.5億ユーロ(約910億円)かかる。崩壊した炉の中には20トンの溶解した核燃料が残る。その取り出しは技術的に方法が確立しておらず、時期は未定だ。
2・事故の周辺住民、作業員への健康影響
チェルノブイリ事故は言論の自由のなかったソ連時代に発生した。事故発生の発表は3日後だった。報道は事故の影響は軽微として、そして復旧活動にあたった消防士や軍の英雄的活動の顕彰が中心だった。報道は社会パニックを起こさないことを目的にし、真実を伝えなかった。
しかし口コミでデマや情報が広がり、社会混乱が起こった。この事故を契機に人々が政府当局の発表と活動に不信感を抱き、政府を信頼しなくなった。旧ソ連を語る場合に、事故の発生と情報公開の遅れによる政府への不信が1991年のソ連崩壊の原因になったという指摘が多い。
チェルノブイリで放出した放射線量は520万テラベクレルと、福島の90万テラベクレルの6倍弱だった。さらに事故直後は、全世界で放射線の増加が観察された。
事故の実態が明らかになったのはソ連崩壊の後だ。チェルノブイリはウクライナにあり、首都キエフからは200キロの北方にある。そしてベラルーシ、ロシアとの国境近辺にある。近郊は沼沢地で、人口密度はかなり少ない。強制避難措置の対象になったのは3国で約11万6000人。ウクライナでは、周辺30キロの94の村、2つの市から市民が強制退去となった。事故被災者は、3国で500万人とされている。ウクライナでは原則として避難者以外に補償金は払われていない。
筆者は、英語・日本語で事故による健康被害の実態を調べたが、全貌は分からなかった。ロシア、ウクライナでは記録を詳細に取って検証する社会文化がないように見える。また旧ソ連体制では社会不安を恐れて事故情報を隠蔽した。そして健康は多様な要因が影響するので、放射線による影響だけを特定することは難しい。旧ソ連邦各国では、90年代の社会混乱を背景に住民の健康が悪化した。平均寿命の低下やストレスによる自殺増、罹病率の上昇が観察されている。それに隠れてしまった面がある。
ロシア政府報告書(GEPR「最終章・結論」(日本語訳))、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ3国とIAEA(国際原子力委員会)や国連の報告書「チェルノブイリの遺産」(要約版・日本語訳)では、事故後に汚染されたミルク・乳製品が流通したことによって子どもを中心に4000人が甲状腺被ばくによるがんになり、10人が亡くなったとされる。事故の処理作業に関わった人では、急性被ばくで約50人が亡くなったとされる。
そして低線量被ばくによっての健康被害は観察されていないという。放射線の被害よりも、「住民の精神的ストレスが健康に悪影響を及ぼした」「疾患は旧ソ連の平均を著しく上回っていない」「年100mSv以下の低線量被ばくによって健康被害は観察されていない」との評価が記されている。
今回の訪問で当時チェルノブイリ原発の職員だった人、当時の周辺住民に話を聞いた。それぞれの人の被ばく量はよく分からないそうだ。また事故処理作業の従事者、事故直後に近郊にいた住民の間では病気が多発しているという。ただし、この証言は統計情報に裏付けられたものではない。
健康被害はあったのだろうか。全体像は総じて各報告書の描く通りなのだろう。しかし事故直後に被ばくした人を中心に、知られざる健康被害はかなりあるもようだ。
現在はチェルノブイリ周辺では人間の手がほとんど入らないために、野生動物の宝庫になっている。また訪問では事故現場から30キロ圏内に住む、帰還者(サマショール)とも会話できた。「ストレスがないので元気にやっている。避難は嫌だった」と話している。こうしたサマショールは、事故直後に1000人ほどだったが、もともと高齢者が多かったために、現在は100人程度に減っている。
また実態は不明だが、当時のウクライナでは社会パニックが広がり、数千件の中絶が事故直後にあったという。被ばくによる胎児への悪影響を恐れたものだが、おそらくその必要はなかったであろう。痛ましい悲劇だ。
福島原発事故では、避難によるストレスで震災関連死が増えている。さらに健康をめぐる風評被害が広がった。情報を日本政府は積極的に隠蔽しなかったが、正確な情報の発信は不十分だった。さらに民間人や一部メディアがデマによる恐怖を拡散した。チェルノブイリの過ちを繰り返しているように思う。とても残念なことだ。
3・動き続けるチェルノブイリ原発
チェルノブイリ原発は現在も現役の電力施設である。4号機の事故後の夏から1-3号機は順次運転を再開。3号機は2000年まで運転を続けた。建設中の5、6号機は放射能汚染のために、それが中止された。
チェルノブイリ発電所は発電所であると同時に、送電のハブ(中心地)になっていた。そのために、事故後も数千人の人が働き続け、近くの人口都市プリピャチも2000年ごろまで、許可を受けた人は住み続けた。現在でも廃炉措置、そして送電のために数千人の人がウクライナ電力公社の管轄にあるチェルノブイリ原発で働く。
ウクライナは91年の独立直後、近日中の脱原発と新規建設を凍結することを国会で決議した。しかし93年にその決議を撤回した。独立後に原子炉3機を新設し、現在15機の原子炉が稼働して電力需要の半分をまかなう。
同国は石炭以外の天然資源が少ない。そして天然ガス、石油を供給するのは、隣国のロシアだ。ロシアとウクライナの関係は緊張が続き、ロシアは政治的な圧力をかける手段として天然ガスを使う。そのために原発に対する反感は根強くあっても、使わざるを得ない状況に追い込まれたようだ。
日本人のツアー参加者は「原発に賛成ですか、反対ですか」という質問を会う人に行った。興味深いことに、どの立場の人も、賛否をめぐる単純な答えを示さなかった。まず自分のチェルノブイリをめぐる経験を語り、その上で賛成、反対の意見を述べた。これは福島の被災者へのインタビューと同じだ。まず生活という現実があり、それに忙しく、原発の是非を簡単に結論づけられないのだろう。
「毎日考える中で慣れてしまい、原発の是非を深く考えなくなった面があると思う」と、ツアー会社の社長は述べた。自主帰還者の77才の男性は被災者であるにもかかわらず「原子力には反対で危険と思う。しかし電気が必要な以上、原発は仕方なしに、安全に使っていかなければならないと思う」と話した。
28年間の時間の流れによって、ウクライナの人々は冷静に原発事故を受け止められるようになった面があるのかもしれない。
(2014年11月25日掲載)
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