放射線量の高い福島産イノシシ肉を食べてみた

2014年12月22日 15:00
アバター画像
経済ジャーナリスト

「福島で捕れたイノシシのボタン鍋を食べませんか。肉の放射線量は1キロ当たり800ベクレルです」

こんなEメールが東京工業大学助教の澤田哲生さんから来た。私は参加し、食べることで福島の今を考えた。

生きることと密接に結びつく食という営みが、福島では制約を課せられている。それも必要ない国の規制や人々の心の壁によってだ。それを少しずつ取り除きたいと、食べながら私は願った。

(写真)筆者の食べたイノシシ肉、赤身が多い。

どんな味? 福島産イノシシ

東京都内のある場所に12月19日夜、福島の人を含め10人ほどがこの鍋を食べるために集まった。(ちなみにニコニコ生放送で放送した。「800ベクレル福島産イノシシ鍋を食する会 生中継」(有料))

主催した澤田さんは原発事故の後で原子力の必要性を訴え「御用学者」と批判を受け続けた。ただし別の意見の人と対話をし、福島では放射能のリスクについて、説明を続けている。その努力に私は敬意を持つ。「食べることで、考えるきっかけをつくる」。それが澤田さんの狙いという。澤田さんは原子力反対の人や、福島の放射線量を危険と叫ぶ人に呼びかけたけれど、残念ながら出席しなかったそうだ。

出された肉は今年の春先に捕れた若いもの、そして11月に捕れた大人のもの。性別は不明だ。ボタン鍋とはイノシシの肉鍋だ。福島では野菜と共に味噌を入れた出汁(だし)で食べる。イノシシ肉は独特の匂いがあるので、それを消すためだ。

さっそく肉を食べた。私は、イノシシ肉は初めてだ。味は脂身が少ないが、あっさりして多少固い。地鶏と豚を合わせたような食感だ。匂いは味噌のせいか気にならなかった。福島の猟師は秋のイノシシ肉を味が良いので好むという。11月の肉の方が捕れて時間が経っていないこともあって、複雑な味がしておいしかった。肉にうまみ、甘みがあるように思った。

11月の肉の放射線量はキログラム当たり800ベクレル、春先の肉のそれは40ベクレル程度だった。出席者は皆、気にせずに食べていた。私は不安はないものの、食べながら「この肉の放射線量は普通の肉より高い」と、意識は向いていた。考えすぎると食事は楽しめなくなるが、おいしさゆえに、その意識も次第に消えてしまった。

私はジビエ(野生動物を食べる料理)が好きではない。偽善と言われるかもしれないが食事中に「動物の命を奪い、その肉を食べている」と、意識することが好きではないためだ。肉食も減らしている。今回は自然とそれを考えた。このイノシシが福島の山林でどのような生活を送っていたのか、想像をめぐらせた。

日本は福島原発事故の後の2012年に、食品の放射線量を、世界で一番厳しくした。1キロ当たり、飲料水10ベクレル、一般食品100ベクレル、乳児用50ベクレルだ。この肉は、それを大きく上回る。

国際的な食品規格を決めるWHO(世界保健機関)のコーデックス委員会は一般食品・乳児用とも1000ベクレルにしており、EU(欧州連合)、米国も、基準は総じてそれに準じる。100でも1000でも健康には影響しない。しかし規制を厳しくすれば、流通には手間がかかり、農水産業、食品業は打撃を受ける。日本でも国の審議会で専門家はそろって、厳しくする必要はないとした。それなのに、民主党の小宮山洋子厚生労働大臣(当時)が政治主導で、反対意見に迎合して、科学的根拠がないのに決めてしまったとされる。

しかし福島の農業関係者は、農作業で注意をして作物を育て、また作物の検査を行っている。そして厳しい基準をすべての流通する農作物でクリアした。悪しき政策の失敗を乗り越えたのだ。

福島の食の現状

福島県からイノシシ肉を持参したのは、同県伊達市のNPO「りょうぜん里山がっこう」の代表理事である高野金助さんと、田村市に住み、いくつかの周辺自治体で「地域メディエーター」をする塾経営の半谷輝己さんだ。(半谷さんのGEPR寄稿「福島の不安に向き合う」()())ちなみに二人とも、原発には反対している。

福島県伊達市は、事故を起こした福島第一原子力発電所から西北にある。高野さんはそこの霊山(りょうぜん)町で、宿泊や体験のできる施設をNPOの形で運営している。事故の後に霊山町では、地区と食品の放射線量が、まったく分からなかった。そこで自分たちで学び、放射線測定のための機材を買い、人々の要請によって、土壌や農作物の計測を始めた。計測器の周りを鉛で遮蔽するなど、正確な計測を心がけている。イノシシ肉もそこで放射線量を計測した。福島では、放射線のことに触れようとしない人も多いそうだ。しかし高野さんは「正確な事実を知りたい」と正面から現実に向き合っている。

2頭のイノシシは、伊達市内の別々の場所で捕れた。原発事故による放射性物質の拡散状況は、土地によってまったく異なるし、野生動物の行動も異なる。そのために肉の線量も違う。イノシシは事故後に捕らなくなったためにかなり増えたが、昨年に地元猟友会などが大量に狩って、かなり減ったそうだ。

高野さんは福島県各地で、農作物の出荷前に放射能の測定を農家、農協が行っており、厳しい基準をすべてクリアしていると強調した。しかし風評被害の現実がある。「福島のありのままを見てほしい」と、願いを述べた。

半谷さんは「地域メディエーター」をしている。放射能問題で、専門家や行政と一般の人の中間に入り、双方の意見を伝える仲立ちをする。「行政がやればいい」と、その仕事に思う人がいるかもしれない。しかし私はこの立場の活動が必要と思う。福島では、行政の行う一律の説明や「ただちに健康への影響はない」という紋切り型の決めつけで不安が広がった。こうした中立の人が、コミュニケーションを深める必要がある。

ボタン鍋2杯、余命損失30秒?

半谷さんは福井大学の岡敏広教授の協力を得て損失余命という考えを人々の説明で紹介しているという。食品や行動と発がん、健康被害の関係については、これまで膨大な研究がある。それを使って、ある行動をしたときに、どの程度の寿命が減るか、可能性を示すものだ。

もちろん、この考えはおおざっぱな数字であり、仮定の置き方で結果が変わること、そして寿命が減ると仮定することで聞き手に恐怖を与えかねないことを、半谷さんも認識している。しかし講演を重ねると「この方法が聴衆の関心を集め評判がよかった」という。半谷さんの講演にUNSCER(原子放射線に関する国連科学委員会)も注目し、放射能のリスク説明の手段として損失余命を使う研究を始めたそうだ。

損失余命の考えによって、今回のボタン鍋のリスクを、半谷さんは示した。800ベクレルの肉は、お椀に2杯で80ベクレル程度の放射線量だ。リスク推計をかなり高めても、20才の若者は30秒、50才代の人は5秒程度、余命を失う計算になる。

ちなみにコーヒーは膀胱(ぼうこう)がんを誘発するリスクを高めるために1杯で20秒、たばこは1本では8分も余命が減るそうだ。それに比べると、今回の肉のリスクはかなり小さい。ちなみに、多くの食品に健康リスクはある。しかし、日本の平均余命は医療の進歩で伸び続けている。

半谷さんは、価値判断を他人に押しつけることなく、事実を示し、説明しようと努力を重ねている。「それぞれの人が何を食べるかは、自分で決めるべきです。ただ、このおいしい肉を考えれば、小さなリスクなら受け入れてもいいと考える人がいるかもしれません」。放射能をめぐる問題では、共通の「ものさし」がないために議論が進まなかった。損失余命の考えは、その一つになるかもしれない。

半谷さんは「摂取基準、つまり地元の人が食べるものについては規制をしないでほしい」と、国などに働きかける意向だ。国や各自治体によって法律上の制約はないものの、福島の野生の食材を食べないようにという自主規制の呼びかけがある。福島の山間地域では、イノシシ、キノコ、山菜などを食べる習慣がある。それを食べる住民の自主的な選択が妨げられている。

福島県内には、100ベクレルの出荷基準は厳しいという声がある。ただし半谷さんは出荷基準の緩和は現時点で主張しないそうだ。反対する人々との論争を生みかねないためという。

「福島では、放射能をめぐって、いろんな意見や思惑、また相手の立場を考える福島県民の気質があって、自由に話しあえない雰囲気があります」(半谷さん)。もし議論できない状況があるなら、食べることと、そこから生まれる談笑から、それを変えることができるかもしれない。

まず、福島の食材を食べてみよう

私は福島原発事故をさまざまな形で伝えてきたが、これまで「味覚」「嗅覚」は、問題を考える際に使わなかった。今回、それを使い、新しい視点で問題を考えた。食べるとは、別の生命を体内に取り込むこと。福島の大地で生きた動物の肉を食べ、さまざまな想像が広がった。

体で実感したのは、「食はその地域の社会や文化、生活と密接に結びつく」ということだ。福島では放射能による健康被害の発生リスクはすさまじく小さい。それなのに、極小のリスクに目を向けるあまり、住民、その地域以外の人が、食べるという営みを含めた自由な選択をすることが妨げられている。これは不幸なことだ。

食の選択を狭めているのは、具体的には民主党政権の時に定めた、食品衛生法上の厳重すぎる流通の規制だ。また偏見や思い込みによる「福島の食べ物は危険」という一部の人々の誤った主張だ。例えそれが「子どもたちを放射能のリスクから守りたい」という善意から出発したものであっても、それはリスクを過度に誇張し、選択の自由を妨げている。

福島の食材を食べない選択をしたいなら、自由に行えばよい。しかし「福島の食が危険」という主張をしたり、リスクを過重に見積もった不必要な規制を行ったりすることは、他人に誤った情報と価値観を押しつける危険な行為だ。

また原発の是非の問題と、福島の放射能のリスクの評価は、まったく別の問題だ。前者は自由にやればいい。それなのに両者を混同して、「福島は危険だ」という論理を、反原発の一部の人が強調した。これも必要がない、そして人々の生活を侵害する行為だ。

私たちは、脳内につくった福島ではなく、今ある現実を直視し、それに基づいて福島と日本の放射線リスクを考えるべきだ。食は、そうした思索のきっかけになるだろう。福島の食材は、放射能の安全基準をクリアしている。安心して自分の味覚を喜ばせながら、福島を食べて応援し復興を支えられる。

しかし私がこれまで述べた小理屈は必要ないかもしれない。無駄な心配は、福島の食材のおいしさの前に、消し飛んでしまうはずだ。私は震災前も後も、福島産の桃を取り寄せて、楽しみながら食べている。福島市の知人宅では漁師から分けてもらったというヒラメを食べた。魚は流通していないが、これもおいしかった。

機会があれば、福島の食材を食べてみようではないか。

(2014年12月22日掲載)

This page as PDF

関連記事

  • 1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所原子炉の事故は、原子力発電産業においてこれまで起きた中でもっとも深刻な事故であった。原子炉は事故により破壊され、大気中に相当量の放射性物質が放出された。事故によって数週間のうちに、30名の作業員が死亡し、100人以上が放射線傷害による被害を受けた。事故を受けて当時のソ連政府は、1986年に原子炉近辺地域に住むおよそ11万5000人を、1986年以降にはベラルーシ、ロシア連邦、ウクライナの国民およそ22万人を避難させ、その後に移住させた。この事故は、人々の生活に深刻な社会的心理的混乱を与え、当該地域全体に非常に大きな経済的損失を与えた事故であった。上にあげた3カ国の広い範囲が放射性物質により汚染され、チェルノブイリから放出された放射性核種は北半球全ての国で観測された。
  • 朝日新聞
    2017年3月21日記事。電力需要の減少と再生可能エネルギーの伸びで、2030年に日本国内の火力発電所の発電量が15年比で4割減るとの分析を、米研究機関「エネルギー経済・財務分析研究所」(IEEFA)が21日付の報告書で発表した。
  • 福島第1原発のALPS処理水タンク(経済産業省・資源エネルギー庁サイトより:編集部)
    トリチウムを大気や海に放出する場合の安全性については、処理水取り扱いに関する小委員会報告書で、仮にタンクに貯蔵中の全量相当のトリチウムを毎年放出し続けた場合でも、公衆の被ばくは日本人の自然界からの年間被ばくの千分の一以下
  • 福島の原発事故では、原発から漏れた放射性物質が私たちの健康にどのような影響を与えるかが問題になっている。内閣府によれば、福島県での住民の年間累積線量の事故による増加分は大半が外部被曝で第1年目5mSv(ミリシーベルト)以下、内部被曝で同1mSv以下とされる。この放射線量では健康被害の可能性はない。
  • 使用済み核燃料の処理問題の関心が集まる。しかしどの国も地中処分を目指すが、世界の大半の国で処分地が住民の反対などがあって決まらない。フィンランドは世界で初めて、使用済み核燃料の処分場の場所を決め、操業開始を目指す。
  • アゴラ研究所は10月20日、原子力産業や研究会の出身者からなる「原子力学界シニアネットワーク」と、「エネルギー問題に発言する会」の合同勉強会に参加した。 そしてアゴラ研究所所長の池田信夫さんが、小野章昌さん(エネルギーコ
  • 10月21日(月)、全学自由研究ゼミナール「再生可能エネルギー実践講座」3回目の講義のテーマは、地熱発電です。地熱は季節や天候に関係なく安定した自然エネルギーで、日本は活火山数119個を有し、地熱資源量は2347万kWと米国、インドネシアに次ぐ世界第3位の地熱資源大国です。
  • 福島第一原子力発電所の津波と核事故が昨年3月に発生して以来、筆者は放射線防護学の専門科学者として、どこの組織とも独立した形で現地に赴き、自由に放射線衛生調査をしてまいりました。最初に、最も危惧された短期核ハザード(危険要因)としての放射性ヨウ素の甲状腺線量について、4月に浪江町からの避難者40人をはじめ、二本松市、飯舘村の住民を検査しました。その66人の結果、8ミリシーベルト以下の低線量を確認したのです。これは、チェルノブイリ事故の最大甲状腺線量50シーベルトのおよそ1千分の1です。

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑