もんじゅ判定の疑問、規制国際標準をなぜ守らないのか

2016年03月07日 11:00
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元原子力発電環境整備機構(NUMO)理事、元核燃料サイクル開発機構(JNC)理事

「等級別扱い」:目的と手段の均衡を求める規制の基本理念

IAEA(国際原子力機関)の策定する安全基準の一つに「政府、法律および規制の安全に対する枠組み」という文書がある。タイトルからもわかるように、国の安全規制の在り方を決める重要文書で、「GSR Part1」(日本語版)という略称で呼ばれることもある。

この文書の最初に出てくる規定(要件1)は「安全に対する国の政策と戦略」との見出しで、政府が安全に関する政策と戦略を策定することを求め、その実施においては、「施設及び活動に付随する放射線リスクに応じた等級別扱いに従わなければならない」としている。

この文章に現れる「等級別扱い」という言葉は英語の “graded approach” の日本語訳で、「事の軽重に釣り合った扱い」といった意味になる。上記規定の下線部分は、平たく言えば「規制の厳しさは、違反や事故・故障などの正常状態からの逸脱の起こりやすさと、その結果想定される影響や放射線リスクの大きさに釣り合ったものでなければならない」という意味で、安全規制のあり方のもっとも重要な基本理念を示している。

民主国家の刑法や行政法には「比例原則」という大事な原則がある。ある目的を達成しようとするとき、より規制の程度が軽い手段で目的を達成できるのなら、その軽い手段によるべきという原則だ。過度の規制を戒め、目的と手段の均衡を求める原則である。上述の「等級別扱い」はこの「比例原則」の原子力規制版と言える。「比例原則」はしばしば「雀を撃つのに大砲を使ってはならない」という言葉で説明されている。

「雀を大砲で撃った」規制委勧告

昨年11月の原子力規制委員会(規制委)の勧告で、日本原子力研究開発機構(原子力機構)は、度重なる保安規定違反を理由に「もんじゅ」の運転主体からの退場を迫られている。裁判でいえば極刑判決を受けたのに等しい。

しかし、事の発端となった点検時期超過問題は停止中のプラントにあっては重大事故につながる可能性はまったくない。その後続出した保安規定違反も、ほとんどが品質保証上の齟齬の類で、保全計画上は憂慮すべき問題ではあるが、プラントの安全性を直接損なう性格のものではない。一連の問題の根本原因が、原子力機構が拙速導入した保全計画の欠陥にあることはGEPRの2月1日付の別稿「もんじゅ退場勧告、規制委判断への疑問」に述べたとおりであり、極刑を下さずとも、十分な時間的裕度を与えて保全計画の根本見直しをさせるという、より穏やかな解決策がある。

こうした状況下で、「極刑」勧告を出すのは、明らかにIAEA安全基準でいう「等級別扱い」の基本理念に違反している。福島第一原発事故後、世間が注目する中で発足した規制委は、厳格な規制を振舞うことに熱心なあまり、規制の最も大事な基本理念をすっかり置き去りにしてしまった。雀を戦車に見立て、大砲で撃ったのである。

規制委勧告は「一事不再理」原則にも違反

規制委勧告が厳しい内容になった理由として、田中規制委員長は「今回の保安規定違反だけの判断ではなく、長期にわたる経緯も踏まえた判断である」と述べている。20年前のナトリウム漏れ事故から東日本大震災までの間の事案を持ち出し、この間の規制の再三の指導にもかかわらず「具体的な成果を上げることなく推移してき」と断罪して量刑を重くしたのである。

しかし事実はその間、原子力機構(当時は核燃料サイクル開発機構)は5回にわたり「安全総点検に係る対処及び報告」を提出し、最終的に2010年2月に当時の保安院から「安全総点検の指摘等をふまえた改善が適切に行われている」「試運転再開に当たって、安全確保を十分行い得る体制となっている」との評価を得ているのである。

このように、震災以前の古い事案は、規制との間で落着済みで、裁判でいえば結審済みの事案である。今回の勧告では、それらを再び持ち出し、数え上げることで量刑を重くしているわけであるが、それは刑法でいう「一事不再理」原則に反している。刑法の「一事不再理」原則は、近代民主国家をつくる平等原則や人権擁護の理念の表象であり、規制委の審判でもこうした重要な原則は当然共有されるべきだろう。

事業者との相互信頼が築けない検察的規制

昨年12月9日、NHK「クローズアップ現代」で規制委勧告が取り上げられた。番組に登場した田坂広志多摩大教授は「規制委がやっているのは世界の原子力規制のある意味では原則に則っている」として勧告を好意的に評価した。規制はひたすら厳しい立場を貫くのが世界標準だと言っているのである。しかし事実はまったくそうではない。

先に述べたGSR Part 1の要件1では、安全に関する国の政策と戦略を定める際の留意事項として7項目を挙げており、その内の1つに「社会面及び経済面の進展を考慮するための適切な仕組み」を挙げている。経済的進展への一定の配慮の必要性を認めているのである。

また、規制と事業者側との連携につい規定する要件21では、事業者との間の公式・非公式の対話の仕組みを、専門的で建設的な連携をはかりながら構築し、さらに公式ながら率直で開放的な関係を通じて、相互の理解と敬意を醸成することを求めている。相互信頼に基づく「協業」的関係を求めているのである。

一方、もんじゅ問題に対する現在の規制委の対応を見る限り、厳格な検察的姿勢のみが目立ち、率直な対話は不可能で、相互の敬意醸成や建設的連携の構築など望むべくもない。今の規制委は、IAEA安全基準が求める姿からは程遠い、前時代的規制なのである。

TMI事故後のNRCの過ちを学ばない規制委

米国の原子力規制委員会(NRC)は、スリーマイル島原子力発電所(TMI)事故後、事業者の品質保証計画への適合性確認検査(適合検査)の厳格化で安全性の強化を図ろうとした時期があった。その結果、多くは安全上本質的でない不適合が次々と摘出され、制裁が加えられることで、発電所の稼働率は大幅に低下した。今の「もんじゅ」が置かれている状況によく似ている。

こうした事態は、やがてNRCの規制のありかた自体への厳しい批判を惹起することとなった。その反省からNRCは、品質保証計画に関する検査を、書類偏重のアラ捜しに陥りがちな適合検査から、事業者の自律的活動を信頼した実績評価型の検査に重点を移した。その結果、事業者側の士気が向上して不適合が減少し、稼働率の大幅な向上が図られ、大成功を収めた。今日のNRCは「We trust licensees, but verify them」(事業者を信頼するが検証する)を基本姿勢としており、GSR Part 1要件21に完全に合致している。

一方でわが国の規制委の適合検査は旧保安院時代に導入されたものであるが、TMI事故後の米国以上に厳しい検査となっており、規制と事業者の双方に過大な負担を強いるとともに、両者間に過度の緊張関係を生み、安全性向上に必要な双方向対話を不能にしている。こうした状況を憂慮した日本保全学会は、2012年9月に、事業者信頼に基づく実績検査への転換を勧告したが、規制委はまったく貸す耳を持たない。

望まれる規制委改革と勧告の第三者評価

規制委は去る1月にIAEAの統合規制評価サービス(IRRS)を受けた。評価チームの委員長は、作業終了後、規制委が短期のうちに新規制基準を整備したことや独立性を高めたことを高く評価する一方、人材確保や職員の資質向上の点でなお一層の努力が望まれるとのコメントを残して行った。外形的進展については合格点だが、組織の資質面ではまだ未熟との評価である。

実際、前述したように規制委勧告は、IAEA安全基準が定める「等級別扱い」の基本理念に明らかに違反している。厳格な規制を振舞おうとするあまり、規制委員全員が規制の最も大事な基本理念を放擲してしまっている。組織的にも資質的にも由々しき状態にある。保全計画のもとで行われるPDCA活動には、原子炉安全に直結しないような事項も多く含まれる。そのすべてを対象に厳格な適合検査を行うことは、検査の力点を分散させ、本来の安全問題への注力をより困難にする。そうしたやり方は、規制の方法論としても「等級別扱い」の基本理念から外れている。

規制委員会設置法第1条(目的)では、「確立された国際的な基準を踏まえて原子力利用における安全の確保を図るため必要な施策を策定し、また実施する事務を一元的につかさどるとともに、・・・」と規定されている。このことは、わが国の規制もIAEA安全基準に準拠することを法的に義務付けているに等しいが、それが守られていない。規制委設置法、IAEA安全基準の最重要課題の違反を犯しているのである。

今の規制委は、独立性に拘泥するあまり、事業者との双方向対話が不能な状態に陥っている。こうした状態は、相互信頼に基づく建設的連携を求めるGSR Part 1の要件21の規定から完全に逸脱している。

以上のように、残念ながら今の規制委は、IAEA安全基準に満たない未熟な組織と言わざるを得ず、組織の資質面での早急な改革が望まれる。

昨年末から文科省が設置した「もんじゅ」の在り方に関する検討会の活動が進みつつある。しかし、その議論の前提となる規制委勧告には前述のように重大な欠陥がある。ここであらためて政府が適切な場を設け、規制委勧告の第三者検証を行うことが強く望まれる。

(2016年3月7日掲載)

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元原子力発電環境整備機構(NUMO)理事、元核燃料サイクル開発機構(JNC)理事

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