映画「パンドラの約束」 — 米環境派、原子力否定から容認への軌跡

2013年07月08日 14:00

2013年6月14日に全米で公開された、原子力を題材にしたドキュメンタリー映画「パンドラの約束(Pandora’s Promise)」を紹介したい。筆者は抜粋の映像を見たが、全編は未見だ。しかし、これを見た在米のエネルギー研究者から内容の報告があったので、それを参考にまとめた。この映画の伝える情報は、日本に必要であると思う。

この映画が注目を集めているのは、かつて原子力に対して批判的な立場を取った米国の環境派の知識人たちが、原子力の使用を容認に転じた軌跡を追っていることだ。


ニューヨーク・タイムスより。この映画で掲載された、アメリカなど6カ所の放射能測定値。福島の0・1〜0・2マイクロ・シーベルトアワーより、多い場所も、少ない場所もある。

1・はじめに

パンドラの約束は、ロバート・ストーン監督によって製作され、今年1月に米国のサンダンス映画祭で初演。その後6月12日にニューヨーク、6月14日に全米で公開された。

監督は、1988年にアカデミー賞候補となった太平洋で実施された核実験の影響に関する調査を行ったドキュメンタリー映画「ラジオ・ビキニ」でも知られ、かつては原子力に反対の立場をとってきた。しかしエネルギー・環境問題を理解するうちに、原子力を推進することが、地球規模の諸問題を解決する一番効果的な方法との主張に転換した人物である。

また、この映画の主なスポンサーは、個人の投資家(マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏)などであり、原子力業界からの支援は一切受けていない。

2・映画の内容

映画は、監督と同様にかつては原子力に反対する立場にあり、後にその主張を原子力支持に転換した5名の人物が、下記のテーマについてメッセージを発信するという形で進行する。

その中には、スティーブ・ジョブス氏が生と死、若者の未来について語ったスタンフォード大学卒業式スピーチをきっかけに再評価された「ホールアース(全地球)カタログ」を制作した、環境活動家であるスチュアート・ブランド氏も登場する。最終号に掲載されていたキャッチコピー「Stay Hungry, Stay Foolish」(貪欲であれ、愚直であれ)をジョブス氏は引用した。

映画のテーマは大きく2つだ。

1つ目は、新興国や途上国の発展による人口の急増、それに伴うエネルギー需要の高まりに対して、大気汚染や気候変動を抑える電源として私たちは何を選択すべきか。

2つ目は、原子力発電や放射性物質による人体への影響というものが、東西冷戦といった時代背景のもと、核実験など恐怖を煽るような意図的な報道・情報によっていかに間違ったあるいは偏った扱いを受けてきたか。

具体的には、以下のようなメッセージが発信されている。

<大気汚染・気候変動の問題>

▼現状の風力、太陽光による発電では、化石燃料、原子力から供給される膨大な量の電源を代替するのは不可能である。また風力、太陽光は、天候による供給不安定性(低い設備利用率)を補うためにガス火力のような化石燃料によるバックアップが必要となる。温暖化を抑制するために、二酸化炭素排出軽減という課題の根本的な解決にもならない。

▼原子力は今後増大する世界規模での電力需要に対して、環境汚染、気候変動の観点から、二酸化炭素をほとんど排出せずに、かつ大きな需要に対してエネルギーを供給できるもっとも効果的な手段である。

▼大気汚染に起因するぜんそくなどでの毎年死亡者数(米国・世界)と原子力発電に起因する放射線(汚染)による死亡者数(米国ではゼロ)の比較などから、原子力は、化石燃料に対してはもちろんのこと、パネルの製作段階などで多くの化学物質を使用する太陽光よりも安全な手段である。風力に次いで2番目に安全と主張している。

<放射性物質による人体への影響>

▼低線量被ばくに焦点をあて、世界各地でのサーベイメータによる自然放射線の測定結果を実際に数値で見せた。チェルノブイリ原発近郊や福島第一原発近郊の避難区域の放射線の線量率は、そのほとんどの場所で他の地域と大差がない。

▼チェルノブイル事故後にその近くの街に戻ることを決心し、戻ってから25年を経過した住民へのインタビューなどを通じて、事故後1年(撮影当時)が経過した福島第一近郊でこれほど大規模かつ長期間の住民避難が必要なのかという問題提起をした。チェルノブイリでは、大多数の住民への放射能による健康への影響は、現時点では観察されていない。それどころか避難や社会混乱による精神的な負担が健康被害をもたらしていた。

▼原発事故に直面した福島のガンの増加の可能性は、仮にあるとして、0・0002%〜0・0000の間だ。それなのに人々は避難を強制され、毎日表示されるガイガーカウンターの数値に囲まれ、除染作業で住民帰還のめどは立たない。このように、今の過剰な安全策の採用された福島の放射線防護対策を批判的に紹介した。

映画では映画での放射線の線量率測定の様子が記されていた。単位はマイクロシーベルト/1時間(以下、「マイクロSv/h」と表記)0・11マイクロSv/hが約1ミリSv/年に相当する。自然(宇宙線、大地、食べ物、呼吸等)からの受ける放射線量は、合計で年間2・4ミリSv(世界平均)になる。

また、上記の以外の場所での線量率も映像で紹介されていた。

▼ブラジルのガラパリの海岸:30マイクロSv/h。自然放射線が高い地域として有名だが、天然の放射性物質(鉱石)を多く含む砂浜での撮影であり、同地域でも特に線量率が高い場所と推測。住民が普通にその海岸で遊んでいる光景も紹介した。

▼福島第1近郊の避難地域:0・1〜0・2マイクロSv/hの範囲。局所的に線量率が高い場所(40マイクロSv/h)が存在することも紹介した。

▼チェルノブイリ原発の近く:0・2マイクロSv/h。

米国から日本への飛行機内:2・2マイクロSv/h。取材で日本に向かう飛行機の中と推測される。

これらから考えると、福島原発事故による周辺の放射能で、それによる健康被害の可能性は大変低いと改めて考えられる。

3・米国での反響


写真はロバート・ストーン監督

6月12日の公開前後にニューヨーク・タイムス、ワシントンポストなど主要紙の他、NEI(原子力エネルギー協会)、サイエンティフィック・アメリカン(Scientific American:著名な科学雑誌)、原子力支持および反原子力の団体や個人などが、この映画を記事にしている。

米国でも東部のリベラル色の強い新聞は原子力に批判的な論調が多い。紹介記事では特に支持、不支持という立場は示さず、映画の内容や映画祭での評価などを淡々に記載していた。他は、NEIなど原子力支持の団体は映画の内容を賞賛・推奨し、反対派は否定的なコメントを残しているという状況である。

同映画へのコメントとして、的を得ていると感じた記事の一部を紹介する。

<ニューヨーク・タイムス(6月14日の記事抜粋)>
ドキュメンタリーやそれを制作する自主映画には、制作者と意見を一つにする観客を狙った作品が多く、釈迦に説法といった非難の声が寄せられる。政治的に保守的な観客に向けたドキュメンタリー映画は少なく、映画祭での成功を模索しても、成功の度合いは様々である。その意味において、「パンドラの約束」はサンダンス映画祭とTrue・False映画祭(ドキュメンタリー映画の米国映画祭)で素晴らしい功績を残している。

<サイエンティフィック・アメリカン(6月11日の記事抜粋)>
「パンドラの約束」は、私たちのリスク認知に感情に訴えかけるようなイメージを効果的に活用することで、我々に影響を与える説得力のある作品となっている。「冷戦時代など歴史的背景からの原子力の何に対しても恐怖を持っている」、そして「反原子力団体と非常に強く結びついたアイデンティティを持っている」ベビーブーム世代の環境保護活動家の心を変えることはできないかもしれない。しかし若い世代や寛容な心を持った観客がこの作品を見ることにより、この重要なクリーンエネルギーの資源(原子力)に関してよく知られている反対の理由だけでなく、大いに賛成する理由が議論されるきっかけとなるのかもしれない。

では、実際の客の入りはどうかというと、客はまばらという話ばかりだった。一般市民レベルでの反響が大きいかといえば、それは違うという。

4・どのように評価するべきか

筆者は、この報告者に評価を聞いた。

「この映画が環境保護活動家や政治家など限られた対象へのメッセージを発信した映画だという印象を持った」という。米国では、NEIの定期的な世論調査でも福島事故以降も原子力を重要なエネルギー源の一つと考える米国民の割合は約70%もいて、原子力の運営を社会の支持が支えている。その公衆に原子力推進を啓蒙するような映画に興味を持って足を運んでくれということ自体難しいのかもしれない。

同時に、ドキュメンタリーの質は確かに高かったという。心に残ったメッセージとして、この報告者は「メッセージを発信しているのが、「かつて原子力に反対していながら、現在は原子力支持に変わった人間である」という事実である」と答えた。

気候変動も低線量被ばくの影響も日本でこれまで説明や議論がなかった話題ではない。しかし日本ではどうしても原子力関係者、つまりその主張で利のある立場の者が説明するということが中心になってきた。これは海外でも同じだ。そして福島事故後、その立場の人は沈黙してしまった。

この点において、この映画では、中立な立場の人々が、原子力について語った。そのために、この映画で発信されるメッセージは、見る者に説得力を持ったものとなって伝わってくるようだ。

5・筆者の考え–バランスの取れた議論のきっかけに

実は筆者も、ストーン監督と同じ思索の軌跡をたどった。エネルギー・環境問題で、当初原子力に感じたものは「気味の悪さ」だ。幼少のころ報道で知ったチェルノブイリ事故、そして日本国民が必ず学ぶ、広島・長崎の原爆の悲惨さを知ったため、原子力には違和感が今でもある。福島事故では国土を汚染した事故にたいする怒り、そして直後の放射能をめぐる恐怖を、他の日本国民と一緒に抱いた。

しかし福島事故前から筆者はエネルギー・環境問題を学んでいた。学ぶほど、原子力について、日本の未来のため使うことを考えなければならない選択肢であると考えてきた。そのために今の日本では批判を受けるかもしれないが、中立性と客観性を追求すべきジャーナリストとして、冷静に原子力とエネルギーをめぐる情報を提供しようとしてきた。

そして福島事故後の社会混乱を観察した。さまざまな問題があるが、そこで以下の2つの動きが特に社会に悪影響を与えたに生じたと考えている。

「低線量の放射線の影響、福島の現状について必要以上に不安をあおる情報の拡散」

「過度の安全性を求め、エネルギー選択で原子力をなくすという極論の広がり」

放射能と原子力に対する恐怖は今でも風評被害、そして過剰な除染による復興の遅れをもたらしている。原子力を使わないことによってもたらされた「安全」と引き換えに、日本国民は2011年から13年まで、9兆6000億円を原発の代わりとして、天然ガス購入のために負担する見込みだ。

原発を巡るどのような考えを持とうと自由だ。しかし今、日本では流れる情報が一方向に傾きすぎている。バランスの取れた検討をするために、この映画は評価される価値はあるだろう。

(お知らせ)アゴラ研究所・GEPRは、この日本公開を準備するグループを支援している。公開について詳細が決まったら、読者の皆さまにお伝えする。

GEPR編集部 石井孝明

(2013年7月8日掲載)

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