社会に貢献する米国科学界(上)-遺伝子組み換え作物を例に
米国の農業を米国穀物協会の取材支援によって8月に現地取材できた。それを全4回に渡って紹介する。(第1回、全4回)
米国科学アカデミー(NAS)は5月、「遺伝子組み換え作物-経験と見通し」(Genetically Engineered Crops – Experience and Prospects)という報告書を発表した。この作物を総合的に評価するものだ。(NASの特設サイト)
(写真1)リポート
特別委員会の委員長であるノースカロライナ州立大学教授のフレッド・グルード教授にインタビューした。グルード博士は、昆虫学とその農業への利用での研究で、世界での第一人者として知られる。
(写真2)クルード博士
委員会は、20人の多様な背景の委員らの共同執筆。そして、この作物栽培の反対派まで含めて多くの人の意見を聞き、委員会の知見が一般の人に広がるように努力している。(クルード博士のプレゼン資料)
そうした米国と日本の科学界を対比すると、専門家、研究者の違いに悲しくなる。日本は専門家の知見の必要な科学的な問題が、社会にあふれている。遺伝子組み換え作物、狂牛病、食品の安全、福島の復興と放射線への不安の問題などだ。
政府も専門家も、こうした社会問題に情報の発信はしている。しかし、これから紹介するNASや集まった専門家の態度に比べると、努力が足りないと思う。適切かつ積極的な情報発信ではない。特に福島原発事故の後で原子力発電や放射能拡散への不安で、社会混乱が発生した。その際に科学者などの専門家の発信力、影響力は弱かった。責任がある専門家の中には一時的に「逃亡」した人もいた。受け入れる社会も問題だった。デマ拡散者、おかしな意見に踊った一部の人々が専門家に対して言論上の攻撃を仕掛け、冷静な議論をする状況ではなくなった。
政府に科学的知見を提供する役割を果たすのは、文部科学省が管轄する日本学術会議だ。ところが、この団体は福島事故の後に、重要な福島事故や放射能の不安を払拭する問題に取り組まなかった。そして原子力について、意味不明のリポートを公表した。(参考記事・池田信夫氏「放射性廃棄物についての学術会議報告への疑問」)福島事故をめぐる社会問題を解決するのに、何の役にも立っていない。
日本の科学界は、米国のそれと違って、社会問題に向き合いそれを解決する態度が乏しすぎないだろうか。壊れやすい科学への信頼を、進んで維持し、コミュニケーションを深める努力をしていないのではないか。
余談ながら、クルード博士の案内で、広大なノースカロライナ州立大学(NCU)の敷地の一部、図書館を見学した。100万冊の本を所蔵し、その大半が自動ロボットで取り出せ、24時間学生と研究者に開放されている2013年開設の図書館を見た。
(写真3)
(写真4)
ノースカロライナ州は、20世紀初頭に農業やたばこ産業が盛んで、その産業界との関係の中から製薬、バイオ産業の研究所が集まっている。大学はその研究で重要な役割を果たしている。また寄付などで、設備が大変充実している。NUCは米国の大学の研究ランキングの上位校(理系で20位前後)という。米国の科学界の奥深さ、社会との関係の深さ、専門家の社会問題の解決に寄与しようとする意識の高さは、こういう背景から生まれている。
日本の科学界は、米国の科学界から学ぶべきところがたくさんあるように思う。その実績を生み出す制度や設備も優れているが、その奥底にある研究者の開かれた精神と探究心、社会性への配慮というソフトパワーも参考にするべきだろう。
遺伝子組み換え作物、社会の不安に応える
問・このリポートが作られた背景を教えてください。
クルード博士・1996年に米国で、遺伝子組み換え作物が商業製品として投入されてから20年になりました。モンサント社などの米国企業の力によって、それは世界に広がりました。それで利益を得る人が増える一方で、接する機会が増えて、不安を持つ人、もしくは実情を知りたいという人の数も拡大しています。米国科学アカデミーの中でも、科学的な知見を集めるべきだという意見が広がり、特別委員会の設置が決まり、委員長に指名されました
問・結論はどのようなものでしょうか。
クルード博士・遺伝子組み換え技術は、これまでの農作物で行われてきた品種改良と、影響の点では明確に区別できるものではないということです。
また遺伝子組み換え技術による利益とリスクは共に存在するということです。
人間の健康への影響面では、これまで、それによる健康被害は確認されていません。また環境への影響については、これまでのところ確認されていません。しかし、技術が変化しているので、引き続き調査が必要です。
経済面では、米国の農家にはワタ、ダイズ、トウモロコシで、害虫を減らすなどして収穫を増やし、経済的利益をもたらしました。米国全体でも、収穫は気候に影響を受けるものの、その普及によって収穫は増えています。世界各国でもそのようなプラス面があります。
社会的影響では、その技術が急速に代わるので、その規制手法を進化させるについての対応が必要であると思います。
問・リポートの作成では、どんなことに気をつけましたか。
クルード博士・米国の科学アカデミーが以前に、「リスクを理解する-民主主義社会における決定の情報提供のために」(Understanding Risk: Informing Decisions in a Democratic Society)というタイトルのリポートを発表しました。その一節が、さまざまな場所で引用されています。
「リスクをめぐる純粋な技術的な評価は、間違った質問にも答えを提供してしまうし、意思決定者にほとんど使われなくなってしまう」
A purely technical assessment of risk can result in an analysis that accurately answered the wrong questions and will be of little use to decision makers.
つまり問題のリスクだけを取り出して評価しても、その数字や確率が問題から切り離されて使われたり、社会にまったく使われなかったりするなど、意味を持たないものに成りかねないということを言っています。
遺伝子組み換え作物の問題でも、それが人体にどのようなリスクがあるかという、狭い分野で議論しても、意味を持たないだろうと考えました。広い視点から問題を考えることが必要と考えました。そのために、15章、398ページという大部の報告書になりました。作成に2年かかりましたし、関連調査は別に公開するという、大変な量になっています。
またNASには報告書作成の手引きがあります。
「対象の問題に関係する人、もしくは知識を持つ人に情報の提供をうながすように常に配慮されなければならない」
「報告書は、問題に関わるすべての信用される見解に支えられるべきである」
専門家、利害関係者の関与は必要です。しかし、それは時に「信用」と両立することが難しくなります。「利害関係があるのではないか」「お金をもらっているのではないか」という疑念は、提供された科学的に正しい情報であっても、信用性に影響を与えてしまいます。「信用」を維持するのは、大変難しいことです。
(下)に続く
(2016年8月23日更新)

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筆者は1960年代後半に大学院(機械工学専攻)を卒業し、重工業メーカーで約30年間にわたり原子力発電所の設計、開発、保守に携わってきた。2004年に第一線を退いてから原子力技術者OBの団体であるエネルギー問題に発言する会(通称:エネルギー会)に入会し、次世代層への技術伝承・人材育成、政策提言、マスコミ報道へ意見、雑誌などへ投稿、シンポジウムの開催など行なってきた。
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