EUの炭素国境調整措置で炭素税導入を煽ってはいけない

2021年08月29日 07:00
手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員

去る7月14日、欧州委員会は2050年カーボンニュートラル、2030年温室効果ガス55%削減(90年比)の目標に向けた13の気候変動対策関連法令案を含むFit for 55パッケージを発表した。その中には、厳しい気候変動対策に取り組むEU域内産業を、対策の緩い海外からの輸入品から守るための、炭素国境調整措置(EU-CBAM)を導入することが盛り込まれている。

EUが掲げた厳しい削減目標を達成するため、EU域内の主要な産業は、排出権取引制度(EU-ETS)により年間のCO2排出枠に上限が設定され、さらに事業活動に必要な排出枠を毎年政府からオークションで購入する必要がある。またETSの対象外のセクターについても加盟各国で炭素税が課されており、高いカーボンプライスを負担して事業を行っているとされている。そうしたカーボンプライスの負担をしていない域外の事業者の製品が域内に輸入される際には、国境通過時に、応分のカーボンプライスを賦課することで、域内産業との公平性を確保し、また環境規制が緩い国へのCO2排出の移転(リーケージ)を防止するということがこのEICBAMに期待されている。

Christian Horz/iStock

これを受けて日本国内では、一部のメディアや関係者が、日本もEU並みに厳しい温暖化対策を導入して、国内産業にも高いカーボンプライスを掛けるべきだという主張を始めている。高いカーボンプライスの下で対策を進める欧州産業に後れを取ることで、日本産業が競争力を失うリスクがあり、また、EUへの輸出に際してみすみすEUに課徴金を課されて徴収されるくらいなら、国内政策の下でEUと同等のカーボンプライスを課して、日本の税収として活用した方がよいという理屈である。

こうした主張は、EUの政策を額面通りに鵜呑みにしたあまりに単純なものである。もともと日本国内には、温暖化対策強化のために高率の炭素税を入れたい、あるいは国内産業に高いカーボンプライスを課して規制すべきという環境派の主張があるが、上記のような主張は、EUの動きを外圧として利用してこれを実現しようという意図が見え隠れする。

そもそも今回の発表は、欧州委員会として法案を提示したものであり、目下これについて国際的なパブコメが行われている段階にある。今後欧州議会、欧州理事会による審議と、加盟国による採択をもって初めて施行されるものだが、その過程で様々な政治的駆け引きの下、修正や妥協、変更が予想される。EUが今回提案したEU-CBAM案をよく読みこんで、その実態を理解し、さらにはEU域内での賛否の議論を踏まえたうえで判断をしないと、足元をすくわれるリスクがある。

まず今回のEU案では国境調整の対象品目について、将来的に対象拡大することを示唆しているものの、鉄鋼、セメント、アルミ、肥料、電気の5分野の製品に限定している。これは自動車や電機・電子機器など、多くの部品や素材を組み合わせて作られた複雑な構成の製品を対象とすると、製造時に排出されるCO2の定量化や、製造国(サプライチェーン全体の複数国)で製造時に負担したカーボンプライスの積算は、極めて複雑になり、国際的な公正性や客観性をもって課税することは技術的に極めて困難という背景がある。その点、部品や複合物を伴わない鉄鋼や電力などの単一構成品目は、比較的シンプルな手法で国境調整が可能というEUの判断であろう。ただ実際は、物理的に単一素材で構成される鉄鋼製品なども製造工程は複雑であり、そこに投入される電力や熱などのプロセスインプットも、地域、製法によって種目も炭素強度も様々で、さらには使用する原材料の品位や、リサイクル材であるスクラップを製造工程で活用した場合の環境負荷(そのスクラップのもととなる鉄の製造時のCO2のカウントの是非)の扱いなど、製造時のCO2排出量についてEUと比較する際の国際的な計算ルールは存在しない。またそうした複雑な製造過程で、輸出国での生産時に、いったいいくらのカーボンプライスが課されたかについて、EUと比較計算する公正な国際ルールもない。今回の法案でEUは、国境調整の対象となるカーボンプライスを、EU域内で実施されている炭素税とETSに限ると提案しているが、これに従えば、例えば日本の場合、EU型のETSは実施されておらず、いわゆる炭素税としても289円/t-CO2(€2.3)の地球温暖化対策税があるだけであり、単純に考えれば日本の工業製品に課されたカーボンプライスは€2.3ということになる。これに対してEUの工業製品は、ETSの排出権価格、約€50に直面しているのだから、国境調整として日本からの輸入品にはCO2 トン当たり€48の課徴金をかけるべきという話になる。

ところが、実態は全く違うのである。例えば現在、EU域内の鉄鋼産業は、政府から生産に必要十分な排出枠を無償で配賦されており、EUの公式データによると、少なくとも18年までは無償枠が過剰配賦されていて、鉄鋼各社は余った排出権を電力など無償配布の対象となっていないセクターに売却して利益を上げることができる。(タダで政府からもらったクレジットを転売して儲けることから「棚ぼた利益」と呼ばれている。言い換えればマイナスのカーボンプライスを負担していることになる。)日本ではETS制度や高率の炭素税がない代わりに、高額のFIT賦課金が電力の低炭素化コストとして製造業にも課されており、日本鉄鋼連盟の所属する鉄鋼会社全体で、その負担額は年間約400億円にも上っているが、例えば欧州の鉄鋼生産国であるドイツでは、再エネ普及策として日本と同様に高額のFIT賦課金制度があるものの、鉄鋼業(や他の主要産業)に対しては9割以上が減免されており、実質的に負担がほとんどない。鉄1トンを作る際に政策的に負担されたカーボンプライスを国境で調整して平準化するというのであれば、公平に見ればEU製品にこそ、ETSの棚ぼた利益を回収し、FIT賦課金分を日本並みに差額調整(割り増し課金)すべきなのである。

もっとも今回のEUの法案では、CBAM制度は23年~25年を移行期間としており、実際の国境調整措置(課徴金)は26年以降に課されることになっており、同時に26年以降、鉄鋼業などに与えられているETSの無償配布枠を、10年間かけて段階的に減らしていくことが規定されている。要するにEU域内の産業は、今までのところ高いカーボンプライスなど、実際には負担しておらず、本当に高額のカーボンプライスに直面するのは2026年以降、漸次ということなのである。この欧州委員会の示した無償配布の削減案について、欧州鉄鋼連盟(Eurofer)は、国際競争力を失墜させる死刑宣告だとして、猛烈に反発している。

日本でも高いカーボンプライスを導入しないと、日本産業が競争力を失うと主張する国内メディアは、いったい何を見てそうした主張をしているのだろうか?表面上高いカーボンプライスを負担しているように見えるが、実際には減免されて負担のない欧州産業を尻目に、日本の産業にわざわざ足枷をはめ、その国際競争力を削ぐという、いわば自爆テロを仕掛けようということなのだろうか?

そもそもEUが今回対象に挙げている鉄鋼、セメント、アルミ、肥料、電気といった5分野で、日本から欧州に輸出があるのは、鉄鋼の年間約30万トンだけであり、それも国内粗鋼生産量約9000万トンの0.3%に過ぎない。今後自動車や機械、電子製品など、日本からEUへの輸出が盛んな製品に適用拡大していけば、そうはいっていられないという論もあるが、そうした複雑な構成の製品に、このCBAM制度を適用することの難しさは、EU自身が良く認識しているため、当面、簡単には提案すらできないだろう。従って今回のEU-CBAM提案による日本産業への直接的な影響は、当面はほとんどないのである。一方でEUは、およそ年間4000万トンの鋼材を域外から輸入しているが、その主な輸入元はロシア、ウクライナ、トルコ等であり、今回のEU-CBAM提案については、こうした対象国に中国なども加わり、この制度は不当な保護貿易政策でありWTO違反であるとして猛反発している。おそらく今後、EUとこうした交易国の間で、WTO提訴を含めて深刻な貿易摩擦が繰り広げられることになるが、そこで日本はどう立ち回ればよいだろうか?

日本としてまずは、EUの国境調整措置提案を鵜呑みにして、国内のカーボンプライスを強化すべきなどと主張する愚は避けねばならない。仮にEU-CBAMが目指すように、今後気候変動対策を各国が強化していく中で、国情ごとに様々な政策やポリシーミックスの適用に濃淡がついてくることの調整を、国際的に行っていくことが必要となってくるとした場合、そうした調整について公平性、客観性を確保するために、世界が納得できるどのような制度や計算方法、スコープがありうるかについて、欧米のみならずロシアや中国、インドなど主要関係国を交えて、中立的な立場から国際的な議論の場を提唱し、国際ルール作りにリーダーシップをとっていくべきではないだろうか。

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手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員

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