真に科学的な政策決定ができるだろうか?
元静岡大学工学部化学バイオ工学科 松田 智
一見、唐突に倒れたように見える菅政権であるが、コロナ対策を筆頭に「Go To」その他やる事なす事ピント外れなことを続け、国民の8割が中止・延期を求めていた東京五輪を強行し、結果的に制御不能と言われるほどの感染爆発を誘発、内閣支持率は低下を続け、最後は横浜市長選敗北とアフガン邦人撤退の不手際で世界的大恥をかいて行き詰まっていた。結局、伝家の宝刀だったはずの党内人事権を使い間違え、総裁選を先送りする衆院解散も封じられて、刀折れ矢尽き、万策尽きて「投了」となった。

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菅政権は1年ほどしか続かなかったが、実質はその前の安倍政権の継続であり(菅首相本人がそう述べていた)、本稿では安倍・菅政権をまとめて議論したい。筆者は科学技術政策には多少関わったが、政治学等を専門とはしていない。しかし、主権者である一国民として、あるいは納税者として、日本政府のやってきたこと論評する権利と資格は持っていると思う。
安倍・菅政権の特徴とは何だろうか? 真っ先に思い浮かぶのは「聞く耳持たず」の態度である。つまり、対話の拒否である。「個別の問題には回答を差し控える」「仮定の質問には答えられない」「それは当たらない」「コメントは差し控えさせていただく」等々、常に回答を拒否し説明責任を放棄してきた。安倍政権時代には菅官房長官がその役を担い、菅政権では首相本人がまさにそうだった。最初期の学術会議任官拒否問題以来、その態度は終始一貫、変わらなかった。
それにしても「仮定の質問には答えられない」という回答は酷すぎる。今後の国会答弁では、この種の答えを御法度にして欲しい。状況と言うのは、刻一刻変化する。もし事態がこうなったら、こうする、別の変化をしたら、ああする・・と、様々な状況を想定し、その対応策を用意しておくのが政策立案の要諦だろうに、仮定の質問には答えられないと言うのは、先のことは何も考えていませんと言っているのに等しい。そんなバカな。思うに、何も考えていないのではなくて、何も答えるのがイヤなのだ。説明しない・知らせない、と言う態度は安倍・菅政権では一貫して徹底していた。それを結果的にせよ容認してきたのは、国民自身であることも事実である。確かに一部の人たちは、種々の情報公開を求めて闘ってきた。しかし大部分の国民は、この件に無関心だった。
最近の日本政府の情報公開の劣悪さは、実に見事なほどである。さすが、世界報道自由度ランキング67位だけのことはある。役所から出てくる書類は、大半が黒塗りの「のり弁」状態。一般民衆には何も知らせない方が平穏に暮らせるのだ、と言う信念か?そしてそれと表裏の、強力な報道統制。マスコミを統制して、政府に都合の悪い情報を極力流さないようにし、かつ国民の注意を肝心要の点に向けないよう、巧みに誤魔化し、視点を逸らせてきた。なぜそれが分かるかと言えば、やはり種々のネット情報を組み合わせて、状況と重ね合わせれば、実情がほぼ見えてくるからである(ネット情報の取捨選択に注意が要ることは先に述べた)。
次の政権に求めることは、まず、できる限りの情報公開である。科学とのつき合い方でも述べたが、正しく議論するための前提は、信頼できる情報・データを共有していることだからである。例えば、統計データならば全て正しいかと言えば、そうとは限らない。気温データの例は前述したが、失業率や貧困率の数字も、分母・分子をどう計量するかで値が違ってくる。いつ、どこで、どのようにして得たデータなのか不明では、信頼度が分からない。まずは、真っ黒けの「のり弁」開示で平気な顔をする役所をなくそう。それには、何でもかんでも「機密」に指定できる現在の法律(特定秘密保護法)で無制限に拡大解釈を許している現状から変えないと難しいだろう。また、最近の事例で言えば、コロナの新規感染者数や死者数は、本当に正しいのだろうか?ワクチン接種後の死者についても因果関係不明とかで、詳しい状況が伝えられていないのだが。
次に、政策立案が全く科学的でなかった。コロナ政策では、決まり文句「専門家のご意見を伺いながら・・」と言いつつ、単なる隠れ蓑に使うだけだったり、専門家の提言を無視したり、好きなように利用していた。ノーベル賞科学者たちの提言も無視した。一方で、黙って利用されるがままだった専門家たちもどうかと思う。たまには、政府に逆らったりしたこともあったが、多くの場合、従順な羊さんみたいだった。誰か、科学に立脚して正論を吐き、政府に楯突く骨のある学者はいないかと期待したが、結局一人も現れなかった(ダイヤモンドプリンセス号の時、正論を吐いた学者が即追い出されてしまったからかな?)。学者としての矜持はどこに・・?
エネルギー政策などもその典型例で、グリーン成長路線が10年前の民主党時代とうり二つだとの指摘(杉山氏の稿参照)もあるが、例の水素・アンモニア政策などは、誰の発案でどんな議論を経て立案されたものなのか、さっぱり分からない。菅首相就任直後の演説中にある「無尽蔵にある水素を新たな電源として位置づけ、大規模で低コストな水素製造装置を実現します」が論拠だとすれば、それを書いたのは誰なのか?先にも述べたように、この言葉はH2とH2Oの区別もつかないような、科学的にはお話にならないレベルである。一国のエネルギー政策が、こんな非科学的言説で決まってしまう惨状から、脱しなければならないと切に思う(残念ながら日本だけではないが)。
そして一旦方針が決まると、あとは問答無用、しゃにむに前進あるのみで突き進む。ここでも「聞く耳もたず」の態度が一貫している。アンモニアを燃料に使うなど、二重三重に愚かな所業であるのに、筆者などの意見には一顧だにせず、補助金に飛びつく商社その他の企業やそれを囃し立てるマスコミなどと一体になって、ただ推進あるのみ・・。戦時中の旧日本軍と大政翼賛会を彷彿とさせる姿である。まさに「何事も学ばず、何事も忘れず・・」の人々に同じ。
この大元にある「脱炭素社会法」の問題点(松田:「50年脱炭素」法に意味はあるのか、参照)を認識している国会議員は、与野党ともに一人もいないようだ。今度出された、4野党の政策協定でも「脱炭素」が掲げられているし、そもそもこの法律は全会一致で成立している。この五月に筆者はこの法律の科学的根拠をしっかり見ている国会議員はいらっしゃるのかと問題提起したが、お答え下さった議員さんは一人もいない。ましてや、その後の言説で触れたような、国家百年の計を論じるような議員も、まるで見当たらない。みんな、目先のことにしか注意を払っていない。
亡くなった俳優の菅原文太は、政治の要点はただ二つ、国民を飢えさせないこと、戦争をしないこと、と言った。筆者はこの言葉に深く共感する。飢えさせないためには、しっかり稼ぎ(経済)、国土を保全し(防災)、エネルギーと食料を生産(農林水産業)または輸入(貿易)でき、それには各国と良好な関係を築き(平和外交)、維持しなければならない。政治家や官僚たちは、それらに対してどんなビジョンを持っているのだろうか?これらの課題を現実的かつ的確に考えるには、科学的論理的思考が不可欠である。今の日本の政治家で、誰が一番科学的にものを考えているだろうか?筆者はその点に注目している。
また、次の総裁選、衆院選でどんな人を選ぶか、多くの国民がどう選択するかにも注目するが、その際多くの方々にお願いしたいのは、誰が現実を直視した科学的思考に基づいた政策提案をしているか、を見ていただきたいことである。むろん、プロパガンダ的「科学」はダメである。夢見る夢子ちゃん的夢想発言も不可である。科学は宗教ではないから、信じるものではない。まずは「それ、本当かな?」と疑う。どのデータ、情報が正しそうか、よく考える。当たり前のことが当たり前にできれば、この国も前に進める。
■
松田 智
2020年3月まで静岡大学工学部勤務、同月定年退官。専門は化学環境工学。主な研究分野は、応用微生物工学(生ゴミ処理など)、バイオマスなど再生可能エネルギー利用関連。

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