言論の自由はこうして死ぬ。ドイツの著名学者襲撃が示す「全体主義」への道

2025年12月15日 07:00
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作家・独ライプツィヒ在住

Man_Half-tube/iStock

突然の家宅捜索と“異例の標的”

2025年10月23日の朝、N・ボルツ教授の自宅に、突然、家宅捜索の命を受けた4人の警官が訪れた。

ボルツ氏(72歳)は哲学者であり、メディア理論研究者としてつとに有名。2018年までベルリン工科大学で教鞭を取っており、著書には邦訳されているものもある(『批判理論の系譜学』)。

最近は、政府の左傾化および全体主義化を果敢に批判し、まさに言論の自由を守る闘士だった。当然、政府のみならず、政府の別働隊である公共メディアも敵に回し、公共放送からは疎外されている。もし、まだ現職だったら、大学もクビになっていたかもしれない。

ただ、一方で、独立系のメディアでは、どんな圧力にもめげず正論を述べる数少ない学者の1人として引っ張りだこ。Xには10万人のフォロワーがいる。

さて、この朝、起こったことについては、翌日、氏の弁護士であるシュタインヘーフェル氏が説明し、その後、ボルツ教授自身もあちこちのメディアで詳細に語っている。

2年前の皮肉投稿が「犯罪」になる国

家宅捜索のきっかけは、2年近く前の2024年1月に遡る。tazというベルリンの左翼新聞が、AfD(ドイツのための選択肢)を反民主主義政党として禁止する動きに賛同し、Xに「Deutschland erwacht(ドイツが目覚める)」と投稿した。同紙は、世界の左翼が繰り広げる“wake”(目覚める)運動を始め、ジェンダーや気候政策、あるいは、気に入らない人間を抹殺するキャンセル・カルチャーなどにも心酔している。

そこでボルツ氏がそのtazの投稿に対し、「“wake”の良い訳語は“Deutschland erwache!”(ドイツよ、目覚めよ!)だ」と皮肉った。実はこれはナチの使った文言の一つである。

ドイツでは、一度ナチが使った文言を使うとナチの疑いがかけられても文句を言えない風潮が根強い。もちろんボルツ氏はそれを知りながらも、tazが投稿した「ドイツが目覚める」に掛けて、敢えて使ったと思われる。さらにいうなら、「あなたたちこそ、まさにナチの全体主義と似てきていますよ」という皮肉も込めていたかもしれない。しかしボルツ氏は、そのために自身にナチの烙印が押されるなどとは、まさか思っていなかっただろう。

ただ、そのまさかがドイツでは起こる。AfDの人気政治家ビヨルン・ヘッケ氏は講演の最後に、「すべてはこの州のために、そして、全てはドイツのために」と言ったら、その最後の文言がナチの突撃隊(親衛隊ではなくナチ政権初期にヒトラーに潰された武装組織)が使ったものだとして訴えられ、裁判になり、罰金刑に処された。おそらくヘッケ氏の場合もこの文言をうっかり使ったわけではなく、どちらかというと、この風潮に対する抗議ではなかったか。しかし、結論として彼は有罪になった。

ドイツではすでにあちこちの州で、「民主主義の強化のため」という名目のNGOが各州政府の支援により立ち上げられており、民主主義に反していると思われる組織や言動を告発したり、またそういう事例を見つけた人は直ちに届け出るようにとアピールしたりしている。つまり、税金で大々的に支援されている組織が非政府組織を名乗り、国民に密告を勧めているわけだ。

そして、日本人には信じ難いと思うが、これが功を奏し、普通の人が何ということのないXへの投稿のせいで検察や政治家から訴えられ、有罪になるという例が、数え切れないほどに増えている。

さて、ボルツ氏の場合はどうだったかというと、まず、ヘッセン州のグループ「煽りに対抗するヘッセン」(注:「煽り」と「ヘッセン」の発音が似ており語呂を踏んでいる)がボルツ氏の投稿を連邦刑事局に告発(刑事局とは警察の一部で捜査を担当)。すると、連邦刑事局が初期嫌疑を認め、これをベルリンの州刑事局に回した(ベルリンは特別自治市なので州扱い)。ベルリンの刑事局もこの嫌疑を正当と認め、これを今度は連邦検察庁に回した(検察庁は起訴・不起訴の決定と裁判を担当)。その結果、当該区の裁判所も嫌疑を認め、家宅捜索を命じたわけだ。

普通、家宅捜索というのは、もっと大規模な犯罪で証拠隠滅の恐れがある場合とか、武器や爆薬が隠されているかもしれず、放っておくと周りに危険が及ぶ場合など緊急性のある事象に適用されるものであり、2年も前の、それも皮肉の投稿が原因など本来ならあり得ない。しかもボルツ氏はその投稿で国家転覆や違法行為を呼びかけたわけでもなかった。

そのため、この事件はソーシャルメディアや独立系のメディアでは大スキャンダルとして数日間にわたって大きく取り上げられたが、公共第1放送では当たり障りのない記事が1本出ただけ。公共第2放送の方は、「Xの投稿で家宅捜索 ボルツの件 言論の自由か犯罪か?」という、あたかも言論の自由と犯罪とが拮抗しているように思わせるタイトルの記事とボルツ氏のインタビューが一度出ただけだった。

広がる密告社会と言論弾圧の現実

それにしても、いったいなぜこのようなことが起こったのか? 警察や検察がボルツ氏はナチで危険なことを進めていると勘違いしたはずもなく、これは言論弾圧の一環と思えば納得がいく。これまでは無名な人々やAfDの政治家などが罰せられていたが、政府は今、矛先を変え、これまで安全地帯にいた学者や著名なジャーナリストを攻撃の対象に加え始めたらしい。

いずれにせよ家宅捜索は、政府とは違う考えの人間を萎縮させるための武器だ。そして、一番恐ろしいのは、警察、検察、そして司法までがその方針に唯唯諾諾と従っていること。「1人を罰して100人を教育せよ」と言ったのは毛沢東だ。ドイツ政府はまさにこれをお手本にしているように見える。

2021年、フランクフルター・アルゲマイネ紙が調査会社に依頼したアンケートでは、思っていることを自由に言えると答えたのは45%だった。それは4年後の今、さらに減っているだろう。

日本でも、言論の圧迫はじわじわ進んでいる。YouTubeの多くのコンテンツがすでにいろいろな理由でブロックされていることは、あまり知られていない。地上波の放送では、何か言うとすぐに「差別」、あるいは「極右」となるので、当たり障りのないことをいうジャーナリストや識者しか出てこなくなった。

一方、真摯な政府批判はネットなど他のところで行われているが、政府がそれを「陰謀論」と片付けようとしているところは、まるでドイツの事情とそっくりだ。

言論の自由というのは、たいてい知らないうちに縮んでいき、気がついたときには取り返しがつかなくなっているものだ。日本ではまだドイツのように訴えられたり処罰を受ける事例は少ないものの、そうなるまでの道は短い。だからこそ私たちはボルツ事件を知らなければならない。そして、皆がアンテナを高くし、言論弾圧に敏感に反応することが何よりも大切だと思っている。

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