COPの理想論に冷水:S&Pグローバルが描く2060年のエネルギー

2026年9月に世界有数の金融・エネルギー・商品市場の情報・分析会社であるS&Pグローバルが「多次元的な世界のエネルギーの道筋(Multidimensional Global Energy Pathways)」と題する研究を発表した。
S&Pグローバル副会長であり、著名なエネルギーエコノミストであるダニエル・ヤーギンは序文において研究の動機を以下のように説明している。
- エネルギー転換に関する最近10年間の国際的な議論や政策は経済発展、エネルギー需要の増加、地政学、そして技術進歩のペースという現実と衝突してきた。ロシアによるウクライナ侵攻により、エネルギー安全保障が再び世界的なエネルギー政策の中心課題となり、2026年の中東戦争、ホルムズ海峡の封鎖は世界のエネルギーシステムが依然として深刻な脆弱性を抱えているという現実を浮き彫りにした。
- AIやデータセンターの急速な拡大は、先進国や中国の電力システムに新たな負荷を加えている。しかし長期的なエネルギー需要増加の最大の要因は、経済発展、工業化、都市化、所得の増加によってエネルギー需要が牽引される新興市場および発展途上国(EMDE)にあるという根本的な事実がエネルギー転換に関する議論においてしばしば過小評価されている。
- 本研究は目標ではなく、新興市場・発展途上国(EMDE)における需要増加の現実から出発している。本研究は目標や達成可能な成果について現実的な期待値を設定している。また、認識すべきトレードオフについても明示的に評価している。本研究は、先進国およびEMDE諸国の将来の道筋を評価するための分析的枠組みを提供する。本報告書では、「エネルギー繁栄」という概念を導入しており、主要なエネルギー指標について国レベルでの定量的評価を行う。
- エネルギー転換は継続的かつ永続的なものである。その過程は多面的であり、地域によって異なり、速度も様々であり、一般に語られるような直線的で急速なものではない。現実的な前進の道筋は、トレードオフを無視するのではなく、それを認識することから始まる。
以上の問題意識に基づき、本研究ではIEAのNZEシナリオのように1.5℃、2050年全球カーボンニュートラルのような目標からバックキャストするのではなく、新興市場・発展途上国(EMDE)における需要増加の現実から出発するアプローチをとり、3つの経路(Pathways)が提示される。
- Current Realities Pathway(CRP):現在の現実を延長した経路。EMDEでは特にエネルギー価格の手頃さ(affordability)とエネルギー安全保障が重視される。低炭素投資は資金・コスト面で制約を受ける。
- Emissions Reduction Pathway(ERP):世界的に排出削減を強く優先する経路。ただし先進国と途上国の「共通だが差異のある責任」を認め、安全保障・価格制約の範囲内で「ありそうな(credible)最速の排出削減」を行う。
- Diverging Priorities Pathway(DPP):先進国・中国はERP並みに脱炭素を進める一方、EMDEはCRPに近く、経済性・エネルギー安全保障を優先する経路。
以上のシナリオを踏まえ、2060年までの世界のエネルギーの道筋につき、本研究は以下の方向性を提示している。
将来のエネルギー需要の伸びは新興市場・発展途上国(EMDE)が起源
2060年までに、新興市場および発展途上国(EMDE)のエネルギー需要は、大幅な効率化が進むにもかかわらず、60%以上増加する見込みであり、中国1カ国分が追加されることに相当する。
将来のエネルギーシステムは、複数の供給源の共存
世界的なエネルギーシステムの進化は、代替的であると同時に、加算的になる可能性がある。あらゆるシナリオにおいて2060年においても化石燃料が世界のエネルギーの半分以上を供給し続ける可能性がある。石炭、石油、天然ガスは、電力システムの信頼性、工業生産、輸送、エネルギー安全保障において引き続き重要な役割を果たす。その結果、複数のエネルギー源が並行して稼働する共存期間が長期化する。
再生可能エネルギーに基づく電化は排出削減の鍵だが、限界も存在
電化と再生可能エネルギーが排出削減を牽引する。積極的な脱炭素化シナリオでは、2060年までに太陽光および風力発電容量が世界全体で大幅に増加する。間欠的な再生可能エネルギーによる発電量が約50~60%を超えるとコストが急上昇し、積極的な排出削減シナリオでは2060年までに電力システム全体で50兆ドルの投資が必要である。
エネルギー繁栄指標(EPI)は、各国が直面する固有のトレードオフを浮き彫りに
新たに策定された「エネルギー繁栄指標(EPI)」は、エネルギーの手頃な価格、安全保障、システムのレジリエンス、大気質、および国家経済上の便益という5つの指標が排出削減シナリオによってプラスの影響を受けるかマイナスの影響を受けるかを評価し、政策立案者に複数のエネルギー目標の間に直面するトレードオフを評価するフレームワークを提供する。「万能のロードマップ」は存在しない。
今世紀中に世界規模でネットゼロを達成することは非常に困難
今世紀中に世界のGHG排出量をネットゼロにすることは極めて困難である。2060年までに、最も野心的な脱炭素化シナリオを採用した場合でも、世界のGHG排出量は現在の水準の35%にとどまり、最も困難な課題は依然として先に存在する。大半の新興市場・発展途上国(EMDE)は、早くても今世紀後半になるまでこの目標を達成できない。
2℃目標の達成はますます困難に
今世紀末までに温暖化を2℃に抑える世界的なシナリオは実現可能だが、困難である。1.5℃のシナリオは、予期せぬ技術的ブレークスルーや、数十年にわたる極端な世界経済の混乱がない限り、もはや達成不可能である。各シナリオにおける気温の推移は、2.0℃から2.8℃という比較的狭い範囲となる。いずれのシナリオにおいても、気候リスクは増大し、適応の必要性は高まる。
以上を踏まえ、本研究は以下の結論を提起する。
- 将来のエネルギーシステムは、多くの既存の予測が示唆するよりも規模が大きく、脱炭素化のペースは遅く、資本集約度が高く、不確実性が高く、かつ多様化が進む。
- 移行のペースは、野心だけで決まるものではなく、インフラの許可取得や建設、資本の動員、技術のスケールアップ、サプライチェーンの拡大、消費者による新しいソリューションの受け入れのスピードで制約される。
- 堅実な計画には、実現可能な道筋が必要である。「実現不可能なネットゼロ目標を目標設定や投資計画の基礎として用いると、資本の誤配分のリスクが高まる」と結論づける。
1.5℃目標や2050年カーボンニュートラルが前提とされ、化石燃料フェーズアウトが声高に叫ばれるCOPにおける理念主義的なエネルギー転換論に辟易してきた筆者にとって、本研究のアプローチ、結論は極めて現実的で腹落ちする中身である。ADIPECやCERAウィークで筆者が耳にした議論ともよく符合し、エネルギー関係者の間では強い納得感を持って受け入れられることになるだろう。
問題はそうした現実的な議論がCOPや温暖化サークルの議論でほとんど反映されていないことである。結論中の「実現不可能なネットゼロ目標を目標設定や投資計画の基礎として用いると、資本の誤配分のリスクが高まる」という事態は「世界は脱炭素を軸に回っている」というCOPの世界観に由来する。
この研究がエネルギー関係者の間で歓迎されるだけでは不十分で、各国の政策に影響を与えるCOPにおいて実現不可能なネットゼロ目標に依拠することの弊害を関係者に認識させることが極めて重要である。
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