サッチャー元首相と気候変動

2013年05月27日 15:00
アバター画像
東京大学大学院教授

IEEI版

鉄の女は「グリーン」にどう向き合うのか

4月8日、マーガレット・サッチャー元首相が亡くなった。それから4月17日の葬儀まで英国の新聞、テレビ、ラジオは彼女の生涯、業績についての報道であふれかえった。評者の立場によって彼女の評価は大きく異なるが、ウィンストン・チャーチルと並ぶ、英国の大宰相であったことは誰も異存のないところだろう。

そんな中、4月17日付のThe Times に「サッチャーは今の気候変動問題にどのように向き合うのか」(What would Thatcher do today about global warming?)という記事が出た。

“On global warming, she’d trust the science, but today’s green zealots would have been handbagged” (地球温暖化に関して彼女は科学を信じただろう、しかし今日のグリーンの熱狂については、これを攻撃しただろう)という一文があった。筆者はサッチャー内閣で環境大臣を務めたウィリアム・ウオードグレイブ上院議員である。

ウオードグレイブ上院議員は、サッチャー元首相が大学で化学を専攻したこともあり、科学的な思考に長けていたと回顧する。事実、サッチャー元首相はオゾン層破壊の危険性を理解し、いち早くフロン対策に向けて行動を起こした。そしてウオーグレイブ上院議員は、「彼女が首相であったときに、気候変動問題が取り上げられたら、どう対応したであろうか?」と問う。

彼はこう考える。「彼女は、まず疑いの目で見ただろう。それは彼女が科学者のように考えたであろうからだ。科学者は生来、懐疑的なものだ。彼女は擬似宗教的なわめき声(quasi-religious clamor)や、国連の宣言などには動かされなかっただろう。彼女は自分自身の頭で考えたであろう」と。

そして彼はこう予想する。「彼女は気候変動について多くの科学者の見解を受け入れたであろう。他方、彼女は低所得者層を直撃するような、経済的負担をもたらす政策には強く反対し、原子力を前に進め、シェールガスの採掘も認めただろう。今、愚かな用途にお金を使うよりも、将来、賢くお金を使う方が良いという議論に耳を傾けただろう(she would have listened to the argument that better spending later would be more use than bad spending now)。
おそらく、ガイア理論のジェームズ・ラブロックが頻繁にダウニング10番地を訪れ、パニックを起こすよりも適応策をとったほうが合理的であり、風車は(彼女の嫌った)共通農業政策に続く補助金の喧騒(subsidized racket)になると説明したであろう」。

環境で先駆的な政策をしたサッチャー政権

実は、サッチャー元首相は、世界の指導者の中で最初に気候変動の脅威を説き、これを防ぐための行動を呼びかけた人物であった。1989年には国連総会で「(気候変動の)証拠はある。損害が発生している。国際社会はこれにどう対応すべきか。誰のせいか、誰がコストを払うかを延々と議論すべきではない。後ろを振り返るのではなく、前を見なければならない。大規模な国際協力のみがこの問題に成功裏に対処する道である」と述べ、1992年までに条約を批准すべきであると主張した。当時のニューヨークタイムズの一面には、”Thatcher Urges Pact on Climate” という見出しが躍った。

しかし、後年、彼女がその立場を大きく変えたことは余り知られていない。2003年の彼女の著書「Statecraft」では気候変動防止運動を「超国家的社会主義のためのすばらしい口実(marvellous excuse for supra-national socialism)」 と評し、「不都合な真実」に代表されるアル・ゴア元米副大統領の活動を「終末論的誇張(apocalyptic hyperbole)」と批判した。彼女は京都議定書を拒絶したブッシュ米大統領を賞賛する一方、「中道左派の支配層において気候変動の新たなドグマが吹き荒れている(a new dogma about climate change has swept through the left-of-centre governing class)」として、欧州で次々に導入される「高コストで経済的ダメージの大きなCO2抑制策(costly and economically damaging schemes to limit)」 を嘆いた。

彼女は地球寒冷化の方が温暖化よりもはるかに害が大きく、科学が歪曲され、反資本主義、左翼政治アジェンダに使われることは人類の進歩と反映にとって深刻な脅威であると考えていた。

彼女のこの考え方は、上記のウオーグレイブ上院議員の見方を裏付けるものであり、サッチャー政権でエネルギー大臣、財務大臣を務めたナイジェル・ローソン上院議員の著書「An Appeal to Reason」(2008)もこの流れをくんでいる。(ローソン上院議員の著作については山口光恒東大教授の以下のリンクに詳しく紹介されている。)

一言で言えば、サッチャー首相は80年代末、他に先駆けて気候変動問題の重要性を指摘したが、2003年、温暖化防止が多くの国の政治アジェンダを席巻している最中に、他に先駆けて温暖化懐疑論者になったということだ。

報告しているように、英国のエネルギー政策は非常に難しい局面を迎えている。欧州議会が排出権取引の価格支持政策を否決する(4月16日)中で、英国は予定通り、炭素フロアプライスを導入するのだろうか。

エネルギー環境政策をめぐる保守党、自由民主党連立内閣内部の対立を見ていると、保守党右派の考え方の源流にはサッチャー元首相の上記の懐疑論があるのではないか。全盛期のサッチャー首相であったら、現下の欧州経済危機、ユーロ問題、英国のEU加盟問題とあわせ、国内外のエネルギー・環境問題にどう対応したか、非常に関心のあるところである。

(2013年5月27日掲載)

 

This page as PDF

関連記事

  • 小泉環境相が悩んでいる。COP25で「日本が石炭火力を増やすのはおかしい」と批判され、政府内でも「石炭を減らせないか」と根回ししたが、相手にされなかったようだ。 彼の目標は正しい。石炭は大気汚染でもCO2排出でも最悪の燃
  • 2月26日付のウォールストリートジャーナル紙の社説は再エネ導入策による米国の電力網不安定化のリスクを指摘している。これは2月に発表された米国PJMの報告書を踏まえたものであり、我が国にも様々な示唆をあたえるものである。
  • スマートジャパン
    スマートジャパン 3月3日記事。原子力発電によって生まれる高レベルの放射性廃棄物は数万年かけてリスクを低減させなくてならない。現在のところ地下300メートルよりも深い地層の中に閉じ込める方法が有力で、日本でも候補地の選定に向けた作業が進んでいる。要件と基準は固まってきたが、最終決定は20年以上も先になる。
  • 権威ある医学誌The Lancet Planetary Healthに、気候変動による死亡率の調査結果が出た。大規模な国際研究チームが世界各地で2000~2019年の地球の平均気温と超過死亡の関連を調査した結果は、次の通
  • 米国の元下院議長であった保守党の大物ギングリッチ議員が身の毛がよだつ不吉な予言をしている。 ロシアがウクライナへの侵略を強めているのは「第二次世界大戦後の体制の終わり」を意味し、我々はさらに「暴力的な世界」に住むことにな
  • 東日本大震災を契機に国のエネルギー政策の見直しが検討されている。震災発生直後から、石油は被災者の安全・安心を守り、被災地の復興と電力の安定供給を支えるエネルギーとして役立ってきた。しかし、最近は、再生可能エネルギーの利用や天然ガスへのシフトが議論の中心になっており、残念ながら現実を踏まえた議論になっていない。そこで石油連盟は、政府をはじめ、広く石油に対する理解促進につなげるべくエネルギー政策への提言をまとめた。
  • 福島第一原発(資源エネルギー庁サイトより)
    ネット上で、この記事が激しい批判を浴びている。朝日新聞福島総局の入社4年目の記者の記事だ。事故の当時は高校生で、新聞も読んでいなかったのだろう。幼稚な事実誤認が満載である。 まず「『原発事故で死亡者は出ていない』と発言し
  • アゴラ研究所の運営するインターネット放送「言論アリーナ」。10月1日は「COP21に向けて-日本の貢献の道を探る」を放送した。出演は有馬純氏(東京大学公共政策大学院教授)、池田信夫氏(アゴラ研究所所長)、司会はジャーナリストの石井孝明だった。

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑