専門家の陥る数字と論理の罠-効果的なリスコミとは?【アゴラ・シンポ関連】

2014年09月22日 17:00
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リテラジャパン代表/リスクコミュニケーションコンサルタント

【GEPR編集部より】9月27日に静岡で開催するアゴラシンポジウム「災害のリスク―東日本大震災から何を学ぶか」のポジショニングペーパーを、出席者の西澤真理子様から寄稿いただきました。

【本文】

「リスコミ」とは何だろう

私の専門分野はリスクコミュニケーションです(以下、「リスコミ」と略します)。英独で10年間、先端の理論と実践を学んだ後、現在に至るまで食品分野を中心に行政や企業のコンサルタントをしてきました。そのなかで、日本におけるリスク伝達やリスク認知の問題点に何度も悩まされました。本稿では、その見地から「いかにして平時にリスクを伝えるのか」を考えてみたいと思います。

リスコミとは、端的に言えば、「リスクを正確に伝えること」です。言葉で言うだけならば簡単に聞こえますが、実際にやろうとするといくつもの問題に突き当たります。「リスク」というものは、われわれが思う以上に正確に伝わりません。リスクがそもそも不確実性にかかわるというのも要因の一つでしょう。

「リスクを考える」ということは、起こるかどうかも分からない事故や災害に対して、どうふるまうかを考えるということに他なりません。しかも、多くの場合には、事故や災害が起きた場合の規模や期間が正確に想定できなかったり、想定できたとしても専門家によって評価がまちまちだったりします。リスコミはさらにこの不確実なものを社会に分かりやすく伝えなければいけません。リスコミを専門に研究する私でさえ、これは非常に難しいと感じます。

多くの実例を見てきた経験からいえば、リスコミは平時からコツコツと積み上げていく必要があります。「平時にできないことは緊急時にもできない」というのは、リスコミにも当てはまります。とりわけ、地震や津波といった自然災害は、自然を相手にしているということもあり、その規模が想像しにくく、なかなか平時からリスコミをするのは難しいと思います。けれども、あえて普段から自然災害のリスクを想像してリスコミをしていなければ、緊急時に対応できません。

これに対して、「専門家が各種のシミュレーションをやっているではないか」という反論もあるかもしれません。確かに、地震や津波が起きた場合の被害の推計がいくつか出ていますし、地震そのものが起こる確率も計算されています。しかし、専門家が提示するこれらの数字がそのままリスコミに使えるわけではありません。シミュレーションの結果は、新聞やテレビの報道でも公表されましたが、それを見聞きして何人が具体的な予防策を打とうと動いたでしょうか。専門家が示す数字と論理だけでは、社会全体で危機感を共有することができません。もう一工夫が必要なのです。それを担うのがリスコミです。

福島原発事故の経験 - 専門家の言葉が分からない

福島第一原発の事故以来、専門家が一般向けに説明する機会が増えました。私自身も福島県飯舘村のアドバイザーをしていたこともあり、放射線科学の専門家が開く説明会に参加したことがあります。専門家が自ら熱意をもって本当のことを伝えようとするのはいいのですが、そうした説明会はたいてい放射線科学の基礎講座のようなものになりがちでした。

α線、β線、γ線の違いから始まり、ベクレル、シーベルト、グレイといった、専門家しか用いないような単位が頻繁に使われます。事前に勉強してきた私でさえ、理解が追いつかないことがしばしばありました。ましてや、こうした話を初めて聞く人にとっては、ほとんど理解できないのではないでしょうか。専門家の側からすれば、具体的な数字を交えて論理立てて説明しているつもりでも、一般の市民の側からすれば、ほとんど分かっていなかったりします。

実際、説明会が終わった後、こっそりと参加者に訊いたところ、ベクレルやシーベルトといった単位が出てきたあたりから、全く理解が追いついていないようでした。市民の立場からいっても、この説明会はニーズに合っていません。市民は大学の教養課程の講義を聞きに来たわけではありません。自分たちの生活が大丈夫かどうかを聞きに来たのです。数字と論理を駆使して正確に説明することは一見良いことに思えますが、リスコミの場面では必ずしも第一に求められることではありません。将来起こる可能性のある自然災害のリスクを説明し、予防を促す場面においても、同じことが言えます。

どうすれば分かるか - 日常の感覚に落とす工夫

私自身のリスコミの活動を通した実感からいえば、むしろ人間が日常的に直感やイメージで物事を判断する側面に注目した方がリスコミはうまく行きます。例えば、2013年7月に福島県の肉牛から暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された問題では、「牛肉1キログラムあたり1530~3200ベクレルのセシウムが検出された」と報じられました。ですが、これだけでは一般の市民にはピンと来ません。

数字だけを見て、何となく大量のセシウムが検出されたのではないかと直感的に感じます。けれども、冷静に考えれば、たとえ3200ベクレルのセシウムが混入した牛肉を食べても、1食100グラムあたりでは320ベクレルです。身の回りの食品には、人間の体内でセシウムと同じはたらきをする天然の放射性物質カリウム40が入っていますが、農水省の資料によれば、牛乳1キログラムに50ベクレル、ポテトチップス1キログラムには400ベクレルのカリウム40が含まれています。この高濃度のセシウムで汚染された牛肉を食べたとしても、牛乳1リットルパック6本程度、ポテトチップス10袋程度のリスクしかないのです。なお、自然に摂取されるカリウム40と原発事故の影響で摂取を強要されるセシウムを比較することは心理的に違和感があり、モラルとして許されるのかという問題もありますが、ここでは触れません。

こうした話を若いお母さん方にすると、「ポテトチップスと同じくらいのリスクなら大丈夫だな」という反応が返ってきます。確かに、牛乳やポテトチップスに含まれる放射性物質を気にする人はそれほどいません。むしろ塩分や脂質の方が気になります。放射線科学の基礎を講義しなくても、身の回りのものとの比較を通して具体的なイメージをもつことで、リスクの大きさを正しく実感することができるのです。日常生活の中で感じる過度な不安を取り除くにはこれで十分です。

これは余談ですが、飯舘村のリスコミでは、他にもバナナなどとも比較しましたが、なぜかポテトチップスとの比較が一番効果的でした。こうした人間の感覚的なことがらは、実際にリスコミをしてみなければ分かりません。これは私自身にとっても新たな発見でした。

コミュニケーションに失敗する日本の行政

リスクを比較するという手法は、自然災害のリスクを説明する上でも有効です。地震や津波のリスクが日常的な物事でいうとどの程度危険なのかを直感的に示した方が、一般の市民に予防を促すことができます。ところが、政策を立案する側はいまだに数字や論理を前面に出す説明を手放しません。

「もし万が一問題が起きたら責任をとれない」という行政側の気持ちは分かりますが、これではリスコミは進みません。欧米の行政では、多少正確さを欠いても市民に伝わりやすい説明をする動きが出ています。いくら正確にリスク評価や安全性評価をしたとしても、それを市民に伝えることができなければ、まるで何も対策を講じていないかのように受け取られてしまいます。福島第一原発の事故から3年以上経った今でもこの状況が続いているのは、非常に残念なことだと思います。

特に改善が必要なのは、政府の報告書です。リスク政策に関する報告書は、「リスクがどの程度であるのか」「どのような対策を取ればいいのか」を国民に広く伝えることのできるリスコミのツールとして使うことができます。しかし、たいていの報告書は分厚く、数字や専門用語が多用してあり、頻繁に文献が引用されています。リスコミのツールになるどころか、そもそも読むのが苦痛になるほどのものです。多くの場合、途中までしか読まれないか、あるいは最初から読まれないのが現状です。これでは、せっかく労力をかけて作った報告書が無駄になってしまいます。報告書を作るのであれば、リスコミのツールとして実践の場面で使うことのできるものにすべきです。

信頼関係、平時からの積み重ね、リスク許容の土壌 - 日本に不足しがちのもの

リスコミは目先だけを見ていてはいけません。目先だけを見ていると、数字と論理を駆使して正確な情報を伝えることが最も重要に思えてきます。しかし、リスコミの究極的な目的は、すべての利害関係者の間で信頼関係を構築し、社会全体としてリスクを許容する土壌を作ることです。日頃から双方向に意見を交換し、相手と信頼関係を築いておけば、何か事故や災害が発生した時も、パニックが生じにくくなります。たとえ事故や災害の発生直後に新聞やテレビの記者にうまく情報が伝わらなくても、普段から連絡を取り合っている記者がいれば、その人を通じて修正することができます。数字や論理を正確に伝えることにとらわれていると、こうした泥臭いことができません。

平時からのリスコミは、リスク情報を受け取る側の心構えを変えていく上でも重要です。一般市民の感覚からすれば、「リスク」と言われるとただちに「危険」と判断してしまう傾向がいまだにあります。「リスク」は本来、危険性の度合いを指しているのですが、現状では、あるものについてリスクが話題になった途端、それは危険だと判断されてしまいます。

「少しでもリスクがあれば危険である」という考えは、「リスクをゼロにしよう」という志向に行き着きます。科学的にいって、リスクは小さくすることはできても、ゼロにすることはできません。どこかでリスクを許容しなくてはならないのです。「危険か安全か」という二分法を超えて、「どの程度までリスクを許容できるか」を議論するには、利害関係者どうしの信頼関係がなければいけません。ありえないゼロリスクを求める社会ではなく、信頼関係にもとづきリスクを許容する社会を構築するには、柔軟な態度での平時からのリスコミが求められます。

西澤真理子 リテラジャパン代表。社会学博士(英国インペリアルカレッジ・ロンドン)。英独での10年間の在外研究を経て帰国。食品分野を中心に企業のコンサルタントをする傍ら、厚生労働省、文部科学省、総務省の専門委員、東京大学や筑波大学の非常勤講師を務める。著書に『リスクコミュニケーション』(エネルギーフォーラム新書)。活動内容の詳細は、リテラジャパンのウェブページをご覧ください。

(2014年9月16日掲載)

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