なぜ福島の状況が変わらないのか
福島第一原発の事故から4年が過ぎたが、福島第一原発の地元でありほとんどが帰還困難区域となっている大熊町、双葉町と富岡町北部、浪江町南部の状況は一向に変わらない。なぜ状況が変わらないのか。それは「遅れが遅れを呼ぶ」状態になっているからだ。
住民帰還に備えてのインフラ復旧工事、企業の再開も除染が終わらなければ、生活も復興もスタートできない。しかし国の除染工事は周辺の自治体である川内村、南相馬市、広野町、楢葉町などから開始され、帰還困難区域とされた原発の近郊は後回しとなっている。福島第一原発の立地する大熊町、双葉町について国は中間貯蔵施設の建設に向けて熱心に動いている。それなのに肝心の町の除染にはほとんど手をつけていない。それどころか除染と復興の計画も決まっていないのだ。
中間貯蔵施設建設予定地の地権者との交渉は難航し、昨年のうちに搬入開始予定が3月上旬にテスト搬入とずれ込んでいる。いつになったら本格搬入になるかは不明だ。中間貯蔵施設の建設開始の遅れで、周辺の町村の除染作業が進んでも、その結果発生した汚染土壌が入った袋が大量に置かれた状態であり、除染が終了し区域が解除されたとしても、住民がそこへ帰還する気にはならないだろう。
それとともに、かつて大熊町など4町が双葉郡の暮らしの中心であったため、そこに買い物やサービスを依存していた周辺町村の住民は、解除されてもすぐに昔のような暮らしができなくなっている。それが周辺の町村で帰還する人が元の人口の半分程度で留まっている原因だ。人口の少ないところに商業施設などは再開しない。そうなると買い物も出来ないところには人が戻らないという悪循環が成立してしまう。
国は帰還困難区域内を走る常磐高速道路、6号国道を優先的に除染した。これは線でしかなく、道路を通過できるだけで面にはならないため、大熊町、双葉町にはほとんど恩恵がない。帰還困難区域はこれから数年間、汚染土壌の入った袋を中間貯蔵施設に搬入するダンプトラックが一日何千台と通過することになる。帰還困難区域に住んでいた住民にとって、いつ解除になるか、いつ安心して暮らせるインフラが復旧するのか不明のまま、5年も10年も待てない。
帰還困難区域でも実際の放射線量は、事故の年から比べれば、現在は3分の1程度になっているところが多い。帰還困難区域にある富岡町の私の家でも今は1~2マイクロシーベルト/時しかない。だが完璧な除染にこだわる住民に配慮して、国が区域再編すると言い出さないのだから帰還時期は一向に近づかない。
不動産の賠償が手厚く行われたために、家を購入し移住した住民が増え、帰還したいと思っていた住民も移住を考えるようになっている。大熊町、双葉町は全世帯の4分の1がすでに家を避難先などに購入済との調査もある。移住してしまった人たちは、元住んでいた町がいつ区域解除され帰還出来るようになるかについて関心が薄くなっている。
事故当時、私は66歳だったが今は70歳だ。それでも75歳で帰還出来る保証はない。このままでは、地域を早く取り戻そうとする力は失われてしまう。
北村 俊郎(きたむら・としろう)67年、慶應義塾大学経済学部卒業後、日本原子力発電株式会社に入社。本社と東海発電所、敦賀発電所、福井事務所などの現場を交互に勤めあげ、理事社長室長、直営化推進プロジェクト・チームリーダーなどを歴任。主に労働安全、社員教育、地域対応、人事管理、直営工事などに携わった。原子力発電所の安全管理や人材育成について、数多くの現場経験にもとづく報告を国内やIAEA、ICONEなどで行う。福島原発近郊の富岡町に事故時点で居住。現在は同県須賀川市に住む。近著に『原発推進者の無念―避難所生活で考え直したこと』(平凡社新書)。
(2015年2月9日掲載)

関連記事
-
ところが規制委員会では、この運用を「原子力発電所の新規制施行に向けた基本的な方針(私案)」という田中俊一委員長のメモで行なっている。これはもともとは2013年7月に新規制が実施された段階で関西電力大飯3・4号機の運転を認めるかどうかについての見解として出されたものだが、その後も委員会決定が行なわれないまま現在に至っている。この田中私案では「新規制の考え方」を次のように書いている。
-
PHP研究所から2012年2月15に発売されるアゴラ研究所代表の池田信夫の著書『原発「危険神話」の崩壊』 (PHP研究所)から、「第2章 放射能はどこまで恐いのか」を公開する。現在の福島と東日本で問題になっている低線量被曝など、放射能と人体の影響について、科学的な知見を分かりやすく解説している。
-
RITE(公益財団法人地球環境産業技術研究機構)は、2013年6月11日に「関西地域における電気料金値上げによる製造業への影響分析」に関する調査レポートを公表した。
-
このコラムでは、1986年に原発事故の起こったチェルノブイリの現状、ウクライナの首都キエフにあるチェルノブイリ博物館、そして私がコーディネートして今年6月からこの博物館で行う福島展について紹介したい。
-
女児の健やかな成長を願う桃の節句に、いささか衝撃的な報道があった。甲府地方法務局によれば、福島県から山梨県内に避難した女性が昨年6月、原発事故の風評被害により県内保育園に子の入園を拒否されたとして救済を申し立てたという。保育園側から「ほかの保護者から原発に対する不安の声が出た場合、保育園として対応できない」というのが入園拒否理由である。また女性が避難先近くの公園で子を遊ばせていた際に、「子を公園で遊ばせるのを自粛してほしい」と要請されたという。結果、女性は山梨県外で生活している(詳細は、『山梨日日新聞』、小菅信子@nobuko_kosuge氏のツイートによる)。
-
チェルノブイリ原発事故の後で、強制避難の行われた同原発の近郊に避難後に戻り、生活を続ける自主帰還者がいる。放射能が危険という周囲の見方と異なり、その人たちは総じて長生きであり、自分では健康であると述べている。
-
この論文の中では、さらに「でも、スクリーニング効果で何十倍も発症率を上げるとは考え難い」という議論もなされています。しかし、例えは過去の韓国の論文によれば、一般人の甲状腺がんのスクリーニングが導入されたことで、甲状腺がんの罹患率が15倍に上がった、というデータがあります。これは10万人当たり約4人であったものが、約60人まで増加しています。
-
わが国の原子力事業はバックエンドも含めて主に民間事業者が担ってきた。しかし、原子力事業は立地の困難さもさることながら、核物質管理やエネルギー安全保障など、国家レベルでの政策全体の中で考えなければならない複雑さを有しているため、事業の推進には政府の指導・支援、規制が必要と考えられてきた。
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間