小泉純一郎氏の合理的な錯覚

2019年01月04日 22:30
アバター画像
アゴラ研究所所長

小泉元首相の「原発ゼロ」のボルテージが、最近ますます上がっている。本書はそれをまとめたものだが、中身はそれなりの知識のあるゴーストライターが書いたらしく、事実無根のトンデモ本ではない。批判に対する反論も書かれていて、反原発派の主張の総まとめともいえる。

反原発派の弱点は「原発事故と交通事故はどう違うのか」という批判に答えられないことだ。命を守るために原発をゼロにしろというなら、自動車も飛行機もゼロにしなければならない――というと、討論番組でも反原発派はぐっと詰まるのだが、さすがに元首相は反論を用意している。

彼の論理はこうだ:まず原発事故の被害は人類の起こす事故の中で最大であり、「これほどの被害をもたらす技術は、原発を除けば核兵器しかない」という。そして彼は次のような三段論法で、原発をゼロにすべきだと証明する。

  1. 原発の被害は最大なので、事故は絶対に起こしてはいけない
  2. しかし絶対に事故の起こらない技術はない
  3. だから原発はゼロにすべきだ

この論理は巧妙で、1を認めると、2は自明なので、3が導けるように見える。問題は1の「原発の被害は人類の起こす事故の中で最大だ」という前提である。そうだろうか。たしかに福島第一原発事故と交通事故を比べると、原発事故のほうが1回の被害は大きい。しかし昨年の交通事故による死者は3562人。戦後の累計では63万人以上が、交通事故で死亡している。原発事故の死者は、世界全体で60人だ。

つまり長期で考えると、原発事故より交通事故の被害のほうがはるかに大きいのだ。この三段論法に従うと、絶対に事故の起こらない技術はないので、自動車もゼロにしなければならない。「自動車は原発と比較できない」というなら、毎年世界で(大気汚染で)100万人が死んでいるといわれる石炭はどうか。

YouTubeより:編集部

YouTubeより:編集部

小泉氏の話はリスク=被害(ハザード)×回数(確率)だということが理解できない錯覚だ。ある技術が危険かどうかは、1回の事故の被害を比較するのではなく、被害×回数で考えるのだ。特に政策を決めるときは長期のリスクを計算して、そのコストと比較しなければならない。

しかし普通の人は小泉氏のように、1回の被害の最大値を最小化しようと考える。これは経済学でいう「ミニマックス原理」で、進化の中では合理的である。あなたが生き残る上で大事なのは、1年に何人死ぬかではなく、そのとき自分が死ぬかどうかだから、確率も平均値も関係ない。最大の被害を想定して危険を回避する恐怖は、合理的な感情なのだ。

だが政治が個人の恐怖に迎合すると、長期の政策を短期の感情で決めるポピュリズムになる。これは大統領制や住民投票など、政治と個人の距離が近いほど起こりやすい。来週からのアゴラ読書塾「感情の科学」では、こういう政治経済の問題も科学的に考えてみたい。

This page as PDF

関連記事

  • 11月15日から22日まで、アゼルバイジャンのバクーで開催されたCOP29(国連気候変動枠組条約締約国会議)に参加してきた。 産業界を代表するミッションの一員として、特に日本鉄鋼産業のGX戦略の課題や日本の取り組みについ
  • 石油がまもなく枯渇するという「ピークオイル」をとなえたアメリカの地質学者ハバートは、1956年に人類のエネルギー消費を「長い夜に燃やす1本のマッチ」にたとえた。人類が化石燃料を使い始めたのは産業革命以降の200年ぐらいで
  • 原発の稼動の遅れは、中部電力の経営に悪影響を与えている。同社は浜岡しか原発がない。足りない電源を代替するために火力発電を増やして、天然ガスなどの燃料費がかさんでいるのだ。
  • 先日、朝日新聞の#論壇に『「科学による政策決定」は隠れ蓑?』という興味深い論考が載った。今回は、この記事を基にあれこれ考えてみたい。 この記事は、「世界」2月号に載った神里達博氏の「パンデミックが照らし出す『科学』と『政
  • 豪州と欧州で停滞する水素プロジェクト 昨年11月のニュースだが、関西電力が丸紅などと豪州で計画していた水素製造事業から撤退するとの報が流れた。プラントや収支計画などの基本設計を詰める中で、製造コストが想定以上に高く、採算
  • 6月にボンで開催された第60回気候変動枠組み条約補助機関会合(SB60)に参加してきた。SB60の目的は2023年のCOP28(ドバイ)で採択された決定の作業を進め、2024年11月のCOP29(バクー)で採択する決定の
  • 地球温暖化によってサンゴ礁が失われるとする御用科学の腐敗ぶりを以前に書いたが、今度は別のスキャンダルが発覚した。 「CO2濃度が上昇すると魚が重大な悪影響を受ける」とする22本の論文が、じつは捏造だったというのだ。 報じ
  • 元静岡大学工学部化学バイオ工学科 松田 智 ドイツの屋台骨でありEUの中心人物でもあったメルケル首相が引退することになり、今ドイツではその後任選びを行っている。選挙の結果、どの党も過半数を取れず、連立交渉が長引いてクリス

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑