福島を差別するゼロリスク信仰
原子力問題は、安倍政権が残した最大の宿題である。きのう(9月8日)のシンポジウムは、この厄介な問題に新政権がどう取り組むかを考える上で、いろいろな材料を提供できたと思う。ただ動画では質疑応答を割愛したので、質疑のポイントを補足しておく。
なぜ福島だけリスクをゼロにしなければならないのか
トリチウムを完全に分離する装置についての質問が出たが、これは無意味な問題である。トリチウムを処理水から除去する技術は経産省の小委員会でも検討されたが、どれも海洋放出よりはるかに大きなコストがかかるので却下された。
それより本質的な問題は、なぜ福島のトリチウムだけゼロにしなければならないのかということだ。柳ヶ瀬さんが示したように、日本各地の原発や再処理施設では、今でもトリチウムが海洋放出されている。
特に青森県六ヶ所村の再処理施設では、年間1300兆ベクレル以上のトリチウムが排出されているが、濃度は環境基準以下なので人体に害はない。風評被害で青森の魚が売れないということもない。なぜ福島の魚だけ風評被害が出るのか。
それはマスコミが福島の放射能だけ騒ぐからである。放射能は地球上どこにもあるが、ラジウム温泉で出る1ミリシーベルトより福島で出る1ミリシーベルトのほうがネタになるのでマスコミが騒ぎ、政治家もそれに迎合する。
細野さんが指摘したように、福島のトリチウムだけ危険だというのは差別であり、それが「福島は恐い」という風評を再生産している。これはインフルエンザのリスクを無視して、コロナのリスクだけをゼロにしようとするコロナ脳と同じだ。多くのリスクの中で特定のリスクだけを絶対化するゼロリスク信仰が、日本社会を停滞させているのだ。
風評被害の補償は「買い上げ方式」で
もう一つ出てきた質問は、補償問題である。これについては東電は公式には「漁業補償はすでにやっており、風評被害について追加の補償はできない」という立場だ。福島県漁連も「カネの問題ではない」というが、実際には風評被害の補償が焦点である。田原さんが東電の小早川社長から聞いた話では「風評被害も補償する」とのこことだ。
今の漁業補償は休業補償という方式で、事故前の所得の最大9割を補償するが、操業すると補償が出ない。大部分の漁民にとっては漁を休んだほうが楽なので、今は「試験操業」だけで通常の2割ぐらいの漁獲しかない。
福島の漁業をだめにしたのは、この休業補償の逆インセンティブである。漁協の中でも若い組合員には本格操業したいという意見が強いが、漁協の理事は高齢化しているので今のままのほうがいいという。その操業しない理由になっているのが風評被害である。
このジレンマを脱却するには、漁をすれば所得が上がるように補償制度を変える必要がある。たとえば自治体が魚を(風評被害の補償を上乗せして)高値で買い上げてはどうだろうか。その差額は東電が負担する。補償が多少増えても、20兆円を超える廃炉費用の中では大したコストではない。
カネの問題はタブーになっているが、生活の基盤を失った人々にとっては重要であり、西本さんも指摘したように、これを避けている限り処理水問題は動かない。そして処理水が動かないと原子力問題は動かない。これが今の閉塞状況を打開する鍵を握っていると思う。

関連記事
-
10月26日(木)から11月5日(日)まで、東京ビッグサイトにて、「ジャパンモビリティショー2023」が開催されている。 1. ジャパンモビリティショーでのEV発言 日本のメディアでは報じられていないが、海外のニュースメ
-
アゴラ研究所の運営するエネルギーのバーチャルシンクタンク、GEPRはサイトを更新しました。
-
100 mSvの被ばくの相対リスク比が1.005というのは、他のリスクに比べてあまりにも低すぎるのではないか。
-
7月14日記事。双葉町長・伊沢史朗さんと福島大准教授(社会福祉論)・丹波史紀さんが、少しずつはじまった帰還準備を解説している。話し合いを建前でなく、本格的に行う取り組みを行っているという。
-
ただ、当時痛切に感じたことは、自国防衛のための止むを得ぬ戦争、つまり自分が愛する者や同胞を守るための戦争ならともかく、他国同士の戦争、しかも大義名分が曖昧な戦争に巻き込まれて死ぬのは「犬死」であり、それだけは何としても避けたいと思ったことだ。
-
11月16日~24日までアゼルバイジャンのバクーで開催されたCOP29に参加してきた。本稿ではCOP29の結果と今後の課題について筆者の考えを述べたい。 COP29は資金COP 2023年のCOP28が「グローバルストッ
-
「ドイツの電力事情3」において、再エネに対する助成が大きな国民負担となり、再生可能エネルギー法の見直しに向かっていることをお伝えした。その後ドイツ産業界および国民の我慢が限界に達していることを伺わせる事例がいくつか出てきたので紹介したい。
-
前回に続き、最近日本語では滅多にお目にかからない、エネルギー問題を真正面から直視した論文「燃焼やエンジン燃焼の研究は終わりなのか?終わらせるべきなのか?」を紹介する。 (前回:「ネットゼロなど不可能だぜ」と主張する真っ当
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間