政府クリーンエネルギー戦略で電気代はどこまで上がる
![](https://agora-web.jp/cms/wp-content/uploads/2022/05/iStock-1360190846-660x371.jpg)
Leestat/iStock
政府「クリーンエネルギー戦略」中間整理が公表された。岸田首相の肝いりで検討されてきたものだ。
紆余曲折の末、木に竹をつなぐ
もともと、この「クリーンエネルギー戦略」は、脱炭素の投資を進めるべく構想されたものだった。これは以下の第1回資料(令和3年12月16日)から明らかだ。
![](https://agora-web.jp/cms/wp-content/uploads/2022/05/1f722f2eb46e4f6edeaa28983bf2d9ff-660x458.png)
図1
ところがウクライナで戦争が起きたことから、安全保障が重要ということで、中間整理(令和4年5月13日)では、1章がエネルギー安全保障となり、2章の脱炭素との二部構成になった:
![](https://agora-web.jp/cms/wp-content/uploads/2022/05/4533926558db318e26890957b7dea4ae-660x363.png)
図2
けれども、1章の安全保障と2章の脱炭素をどう折り合いをつけるのかと言えば、ついていない。単に木に竹をつないだだけだ。中間整理では以下のような方向性だ、としているが:
![](https://agora-web.jp/cms/wp-content/uploads/2022/05/38e75047e90020f9bf8b58a9fb42eb9c-660x459.png)
図3
もとより、エネルギー安全保障(本稿では、これには光熱費抑制などの経済性を含める)には、脱炭素と根源的なトレードオフになる部分があるが、それへの言及が全くない。このトレードオフについては、前回詳しく書いた。
どこまで上がる電気代
結局、クリーンエネルギー戦略2章での脱炭素投資は、ウクライナ戦争以前の既定路線通り実施せよ、というのが今回の中間整理だ。
更に中間整理の内容を見ると、年間17兆円の脱炭素投資が官民合わせて必要としている:
![](https://agora-web.jp/cms/wp-content/uploads/2022/05/4710f1b14fb39759010ee21191e55eea-660x456.png)
図4
その内訳はというと、以下のようになっている:
![](https://agora-web.jp/cms/wp-content/uploads/2022/05/5cfd1e4fba0de1a63c71e60e16640eca-660x456.png)
図5
日経新聞報道によると、この脱炭素投資の一部として政府は10年間で20兆円を新設の基金を通じて投資し、その「財源は赤字国債など国の直接支出は避け、新たな税収や電気料金を用いる」としている。
こう聞くと心配になるのは国民のコスト負担だが、「クリーンエネルギー戦略」には一切数字が書いていない。そこで、以下に簡単な計算をしてみよう:
![](https://agora-web.jp/cms/wp-content/uploads/2022/05/3e6684a3e36e80c390d3b53e6c35701c-660x213.png)
図6
現在、すでに再エネ賦課金で国民は毎年2.4兆円を負担している。
これに加えて、クリーンエネルギー戦略での追加コストはいくらか。政府資料には数字が無いが、先ほどの日経新聞記事によれば10年で20兆円なので、年間2兆円になる。
ところで、政府投資が2兆円ということは、クリーンエネルギー戦略に必要な投資の17兆円のうち残り15兆円は民間投資ということになるが、これも結局は国民が負担する。
その全額である100%を国民負担のコストと考えると、国民負担は年間17兆円に上る。
だがこれは「投資」であるので、かならず「収益」があると考えれば、国民負担はこれよりは小さくなる。
けれども、クリーンエネルギー戦略に並んでいる項目(図5)を見ると、かなりコストがかかり、投資費用の回収が難しそうなものが多い。
そうすると、当該技術を優遇する規制や補助金を入れて、どうにか民間事業者が儲かるようにする訳だ。だがそうすると、結局、やはり国民がコスト負担することになる。
いまの再生可能エネルギーも「民間投資」だが、賦課金という形で国民のコスト負担になっていることと同じ構造だ。
投資項目(図5)を見ると、蓄電池生産や半導体生産、データセンター整備など、リターンの見込めそうなものもある。その一方で、極めて収益性の低そうな項目も多くある。
そこでここでは、仮にこの官民投資の50%が国民のコストとなった場合も計算しておこう(図6)。
すると、クリーンエネルギー戦略による国民のコスト負担増は、世帯あたりで年間21万円から42万円となる。これは現在の再エネ賦課金である年間6万円を凌駕し、消費税である年間49万円に匹敵する規模になる(図6)。
仮にこれが全て家庭の電気代に上乗せされるとなると、現在の電気代である年間12万円は、約3倍増の33万円(=21+12)ないし4~5倍増の54万円(=42+12)となる。
家庭の電気代に全て上乗せされるというのは現実にはならないと思うが、それでも、結局、最後は家庭が負担することには変わりない。
クリーンエネルギー戦略の今後の検討のあり方
以上、批判がましく書いてきたが、短期間のうちに、脱炭素一本槍だったクリーンエネルギー戦略に安全保障をねじ込んだ努力は評価したい。関係者は大変な尽力をされたと思う。敬意を表する。
大事なのはこれからだ。参院選、そして年末まで続く予定のこのクリーンエネルギー戦略の検討において、具体的にどのように作りこんでゆくかということだ。
クリーンエネルギー戦略には、電池生産や半導体生産、データセンター整備など、産業政策としても意義のある形に出来そうなものが存在する。政府の産業政策の在り方にはさまざまな議論があるが、いまは世界諸国で産業政策として政府による産業誘致が行われていることから、日本でもやらざるを得ない側面がある。
他方で、高コストで、収益性の乏しい脱炭素投資については、国民負担の観点から見直すべきだろう。エネルギー安全保障には、供給途絶への対応のみならず、安定安価なエネルギー供給も含まれる。
報道によると、首相はこれまで環境の1Eだったが、今後は環境、安定供給、経済の3Eだとおっしゃったそうだ。以前は1Eだったという認識については一言いいたくなるところだが、安全保障と経済の認識を深めて頂いたことを是としよう:
![](https://agora-web.jp/cms/wp-content/uploads/2022/05/419ff9d7d75759f35d38d1e00c9d578d-660x498.png)
図7
現状では木に竹をつないだだけのクリーンエネルギー戦略だが、今後、安全保障についての議論を深め、単に「脱ロシアの次に脱炭素」とするのではなく、脱ロシアの次に脱中国、脱中東、そして脱・脱炭素を真剣に考えるべきだ。これについては前回詳しく書いた。
■
![This page as PDF](https://www.gepr.org/wp-content/plugins/wp-mpdf/pdf.png)
関連記事
-
ただ、当時痛切に感じたことは、自国防衛のための止むを得ぬ戦争、つまり自分が愛する者や同胞を守るための戦争ならともかく、他国同士の戦争、しかも大義名分が曖昧な戦争に巻き込まれて死ぬのは「犬死」であり、それだけは何としても避けたいと思ったことだ。
-
はじめに 原子力発電は福一事故から7年経つが再稼働した原子力発電所は7基[注1]だけだ。近日中に再稼働予定の玄海4号機、大飯4号機を加えると9基になり1.3基/年になる。 もう一つ大きな課題は低稼働率だ。日本は年70%と
-
以前にも書いたことであるが、科学・技術が大きく進歩した現代社会の中で、特に科学・技術が強く関与する政策に意見を述べることは、簡単でない。その分野の基本的な知識が要るだけでなく、最新の情報を仕入れる「知識のアップデート」も
-
きのうのG1サミットの内容が関係者にいろいろな反響を呼んでいるので、少し補足説明をしておく。
-
長期停止により批判に直面してきた日本原子力研究開発機構(JAEA)の高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」が、事業の存続か断念かの瀬戸際に立っている。原子力規制委員会は11月13日、JAEAが、「実施主体として不適当」として、今後半年をめどに、所管官庁である文部科学省が代わりの運営主体を決めるよう勧告した。
-
再生可能エネルギーの先行きについて、さまざまな考えがあります。原子力と化石燃料から脱却する手段との期待が一部にある一方で、そのコスト高と発電の不安定性から基幹電源にはまだならないという考えが、世界のエネルギーの専門家の一般的な考えです。
-
ESGは資本主義を「より良いものにする」という触れ込みであるが、本当だろうか。 米国ではESGに対して保守陣営からの反発が多く出ている。その1つとして、RealClearFoundation Rupert Darwall
-
ニュージーランド議会は11月7日、2050年までに温室効果ガス排出を「実質ゼロ」にする気候変動対応法を、議員120人中119人の賛成多数で可決した。その経済的影響をNZ政府は昨年、民間研究機関に委託して試算した。 その報
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間