イングランド銀行「気候変動で53兆円損失」は本当か

2022年06月02日 07:00
アバター画像
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

dem10/iStock

英国イングランド銀行が、このままでは気候変動で53兆円の損失が出るとの試算を公表した。日本でも日経新聞が以下のように報道している。

英金融界、気候変動で損失53兆円も 初のストレステスト(日本経済新聞)

英イングランド銀行(中央銀行)は24日、英大手金融機関の気候変動リスクを測るストレステスト(健全性審査)の結果を発表した。政策対応が全くなされず地球温暖化が最も過酷に進むケースでは、2050年までの累計で3340億ポンド(約53兆円)の関連損失が生じるとの推計を示した。

だがこの試算は不適切だ、と専門家から批判が出ている(ロジャー・ピールキー・ジュニアのツイッター記事シンクタンク「ネット・ゼロ・ウオッチ」の紹介記事)。

批判は2つ。第1に、気温予測が高すぎること。

2050年までに世界の気温が3.3度上昇するという予測になっているが、これはIPCCのSSP5-8.5シナリオをはるかに超えるもの(図1の★)。このIPCCのSSP5-8.5シナリオですら、排出量が多すぎて、実現する可能性は極めて低いと批判されていることは以前書いた

図1

またイングランド銀行は、熱帯低気圧の予測に(Knutson et al. 2020)の研究引用しているが、その結果を誤って使用している。

イングランド銀行は、”物非常に強い熱帯低気圧(カテゴリー4~5の暴風)の世界的な頻度は増加すると予測される “と誤った主張をしている。

だがロジャー・ピールキー・ジュニアが指摘しているように、(Knutson et al. 2020)の結論は全く異なる。「非常に強い(カテゴリー4-5)熱帯低気圧の世界的な頻度が増加するか否かについては、研究者によって結果が分かれていた。」

実際の所(Knutson et al. 2020)では、2℃の上昇の場合に、非常に強い熱帯低気圧(Cat 4-5)の頻度は中央値では減少すると予測されている(図2)。

以上のように見てくると、イングランド銀行のこの予測は、気温のシナリオについても熱帯低気圧についても想定が不適切で、とてもこのまま銀行経営の参考になるような代物ではなさそうだ。

なお過去についてはどうかというと、台風もハリケーンも激甚化したとは言えないことは以前述べた

経済損失についても、ミュンヘン再保険と世界銀行のデータでは、気象による経済損失は、過去30年間、GDPに対する割合で大幅に減少している。これは世界の気温が上昇しているにも関わらず、である(図3)。

図3

観測データを見る限り、今のところ、銀行経営に甚大な影響を与えるような気配は見られない。ストレステストも、まずは観測データの確認から始めるべきではないか?

This page as PDF
アバター画像
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

関連記事

  • デモクラシーの歴史は長くない。それを古代ギリシャのような特権階級の自治制度と考えれば古くからあるが、普通選挙にもとづく民主政治が世界の主流になったのは20世紀後半であり、それによって正しい意思決定ができる保証もない。特に
  • 1月9日放映のNHKスペシャル「2030 未来への分岐点 暴走する温暖化 “脱炭素”への挑戦」は「温暖化で既に災害が激甚化した」と報道した。前回、これは過去の観測データを無視した明白な誤りであることを指摘した。 一方で、
  • 福島第一原発事故をめぐり、社会の中に冷静に問題に対処しようという動きが広がっています。その動きをGEPRは今週紹介します。
  • 国際環境経済研究所(IEEI)版 新型コロナウイルスの緊急事態宣言が7都府県に発令されてから、およそ3週間が経ちました。様々な自粛要請がなされる中、宣言の解除予定である5月を心待ちにされている方もいらっしゃると思います。
  • 日本では原発の再稼動が遅れているために、夏の電力不足の懸念が広がっています。菅直人前首相が、政治主導でストレステストと呼ばれるコンピュータシュミレーションを稼動の条件としました。それに加えて全国の原発立地県の知事が、地方自治体の主張が難色を示していることが影響しています。
  • 3月11日の大津波により冷却機能を喪失し核燃料が一部溶解した福島第一原子力発電所事故は、格納容器の外部での水素爆発により、主として放射性の気体を放出し、福島県と近隣を汚染させた。 しかし、この核事象の災害レベルは、当初より、核反応が暴走したチェルノブイリ事故と比べて小さな規模であることが、次の三つの事実から明らかであった。 1)巨大地震S波が到達する前にP波検知で核分裂連鎖反応を全停止させていた、 2)運転員らに急性放射線障害による死亡者がいない、 3)軽水炉のため黒鉛火災による汚染拡大は無かった。チェルノブイリでは、原子炉全体が崩壊し、高熱で、周囲のコンクリ―ト、ウラン燃料、鋼鉄の融け混ざった塊となってしまった。これが原子炉の“メルトダウン”である。
  • 気候研究者 木本 協司 地球温暖化は、たいていは「産業革命前」からの気温上昇を議論の対象にするのですが、じつはこのころは「小氷河期」にあたり、自然変動によって地球は寒かったという証拠がいくつもあります。また、長雨などの異
  • 夏が本格化してきた。 気象庁は猛暑があると事後的にその理由を分析している。 猛暑の理由は、主に気圧配置やジェット気流などの自然変動とされるが、地球温暖化も背景にある、として言及される。 だが、100年かかって1℃しか上が

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑