1.5℃目標原理主義が途上国を苦しめている

2022年08月25日 07:00
有馬 純
東京大学大学院教授

国際環境経済研究所のサイトに杉山大志氏が「開発途上国から化石燃料を奪うのは不正義の極みだ」という論考を、山本隆三氏がWedge Onlineに「途上国を停電と飢えに追いやる先進国の脱化石燃料」という論考を相次いで発表された。

いずれも自らは化石燃料を潤沢に使い、豊かになった先進国が、今になって温暖化防止を理由に途上国による化石燃料利用を阻害することの偽善性を厳しく批判した論考である。非常に説得力のある論考なので、ご一読をお薦めする。

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筆者も両氏の意見に全く同感である。筆者は経産省で温暖化交渉に深く関与してきた。大きな構図でいえば温暖化交渉は先進国対途上国の根深い対立の歴史と言ってもよい。筆者が交渉の最前線にいた頃、中国、インド等、途上国の交渉官は「先進国はこれまで通り、京都議定書の下で法的拘束力を有する数値目標を負い、自分たち途上国はあくまで自主的な行動にとどめるべきだ」という二分法の主張を行っていた。地球温暖化問題はグローバルな問題であり、今後の温室効果ガスの増分は全て途上国、とりわけアジア諸国から来るものである。

地球温暖化防止をするためには先進国のみが義務を負い、途上国を野放しにする京都議定書のような枠組みでは全く用をなさない。「共通だが差異のある責任」原則を踏まえ、先進国が排出量の削減、途上国が対GDP比排出量の低下等、目標内容を差異化することは当然としても、先進国も途上国も共通の枠組みの下で削減努力をすべきであるというのが筆者を含む先進国の交渉官の主張であった。その結果、できあがったのが2010年のカンクン合意であり、2015年のパリ協定もその考え方を踏襲している。

「先進国だけが義務を負え」という途上国の主張はいかにも理不尽であり、筆者は途上国の交渉官と何度となく議場でやり合ったものである。しかし最近のCOPでの議論を聞いていると無理難題を言っているのは先進国の方であり、途上国の議論の方が分があると思うことがしばしばある。

その一例が昨年のCOP26の最終場面で議長国英国が「排出削減措置を講じていない石炭火力のフェーズアウト」という案を押し通そうとし、これにインドが激しく反対し、最終的に「フェーズダウン」におちついた一幕である。あの時、インドの環境大臣は「インドにはまだ貧しい、電気も通ってない、水も来ないような貧しい人たちが沢山いる。その中でインドは国内に潤沢に存在する石炭資源を使わざるを得ない。石炭をクリーンに使えというのであればわかるが、石炭を使うなと言われても受け入れられない」と述べていた。

冒頭の両氏の論考に出てくる先進国の政府、金融機関、環境NGOによる途上国における化石燃料プロジェクト排撃の根拠はパリ協定の幅のある温度目標(産業革命以降の温度上昇を2℃を十分下回る水準、できれば1.5℃に抑える)及び1.5℃安定化を目指すグラスゴー気候協定である。

1.5℃を絶対視し、そのために必要とされる2050年全球カーボンニュートラル、2030年45%減を絶対視するならば新たな化石燃料投資は許されないことになる。しかし両氏が論ずるようにこれは先進国による傲慢なダブルスタンダードでしかない。

欧州諸国はウクライナ戦争でロシアへの化石燃料依存脱却が必要だとなると、ドイツに代表されるように資金力にものを言わせてLNG調達に走り、石炭火力を再び使っている。欧州のLNG調達増は世界のLNG価格を吊り上げており、もともと石炭火力のシェアの高いアジア諸国では石炭からガスへの転換が最も現実的な低炭素化の手段であったが、資金力の劣るアジアの途上国がLNG調達を断念せざるを得ないケースが顕在化している。化石燃料価格の高騰により輪番停電を余儀なくされている国もある。

天然ガス需給の緩和のためには天然ガスの上流投資、中流、下流投資が必要になる。ガス価格高騰の中でアジアの途上国がガス火力ではなく石炭火力を使わざるを得ないケースも出るだろう。しかし欧米の政府、金融機関、NGOは1.5℃絶対主義の立場に立ち、こうした投資も排除対象となる。全ては1.5℃、2050年全球カーボンニュートラル、2030年全球45%減から逆算した議論である。それが新規投資を阻害し、現在のエネルギー需給逼迫を長期化させることになる。

その結果、最も被害を受けるのは経済力の劣る途上国である。国連のグテーレス事務総長はウクライナ戦争の最中になっても化石燃料投資を排除する発言を続けている。17のSDGは貧困撲滅、飢餓撲滅、経済成長、エネルギーアクセスも含んでいるにもかかわらず、現在の途上国に経済的苦境をもたらしているエネルギー価格高騰を顧慮しないグテーレス氏は国連事務総長として如何なものかと考えてしまう。

誤解を恐れずに言えば、パリ協定、グラスゴー気候協定の1.5℃目標は元々、「絵にかいた餅」であった。中国の排出量が2030年にピークアウトし、インドの排出量は原単位改善を計算に入れても2030年以降も増大を続ける。2030年全球45%減など、どう逆立ちしても不可能である。

にもかかわらずそのような数字を含むグラスゴー気候協定が採択されたのはなぜか。1.5℃が地球全体の集合的目標であり、各国の目標に割り振られたものではないからだ。What’s everybody’s business is nobody’s business という諺どおりである。

だからインドも中国も1.5℃目標に整合させるよう自国のNDCを見直すことなどしないだろう。彼らの2060年、2070年カーボンニュートラル目標はパリ協定の目指す今世紀後半の全球カーボンニュートラルと整合的だと考えているからだ。したがって1.5℃目標達成を絶対的目標とし、そこから逆算するようなアプローチは現実との乖離を拡げるだけである。

化石燃料を使って豊かになってきた先進国が、コロナやウクライナ戦争で経済的苦境にある途上国に対して「化石燃料を使うな。再エネを使え」という押し付けを続ければ、ウクライナ戦争後の分断された世界における先進国途上国対立を深めることになるだろう。

そのような状況は欧米による国際秩序に挑戦している中国に利用されるだけである。エネルギーと温暖化はコインの裏表であり、エネルギーが地政学に大きく左右されることを考えれば、温暖化問題についても地政学的視点が不可欠である。

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