ドイツとカナダの水素協定
ショルツ独首相(SPD)とハーベック経済・気候保護大臣(緑の党)が、経済界の人間をごっそり引き連れてカナダへ飛び、8月22日、水素プロジェクトについての協定を取り交わした。2025年より、カナダからドイツへ液化水素を輸出するという契約で、名づけて「水素協定」だ。
ニュースを聞いたドイツ国民にしてみれば、「え、カナダ?」「え、水素?」「なぜ?」そんな話は今までほとんど出ていなかったのに、いきなり「民主主義国の連携」とか、「カナダはドイツにとっての重要なパートナー」とか、「水素はエネルギー転換の希望の星」とか、最大の快挙のように報道されている。

audioundwerbung/iStock
なお、シェールガスをカナダからヨーロッパに輸入することも決まったという。カナダは世界で6番目のガスの生産国だが、カナダからヨーロッパへのLNG輸送ルートはまだ存在せず、ドイツにはLNGの受け入れターミナルもない。実は、ドイツの北海の海底には膨大なシェールガスが眠っているが、ドイツは環境を破壊するとして、これまでシェールガスの採掘を禁止していた。しかし、今、そのシェールガスが世界で奪い合いになっており、ドイツ政府も大慌てでLNG用のターミナルを作っている。
ところで、水素協定とは何か? 8月23日にショルツ独首相とカナダのトルドー首相の見守る中、両国の経済大臣の間で結ばれたこの協定は、カナダで作った水素をドイツに輸出しようという取り決めだ。今のEUでは、各国が自国ファーストでエネルギーの買い付けに奔走しており、まさに早い者勝ちといった感じだ。
調印した場所はニューファンドランド・ラブラドール州のスティーブンビル。この近くのノバ・スコティアとニュー・ブランスウィクという場所に大規模なウインドパークを作り、その風力電気を使って水素やアンモニアを生産するプロジェクトが進められる予定。ウィンドパークはこれから建設し、2025年に最初の水素の輸出を目指すという。
かねてより水素のパイオニアになると豪語していたドイツのこと、これまでロシアガスを独占的に輸入してEUに振り分けていたように、今度は水素の覇権を握ろうとしているのかもしれない。
水素は、貯蔵したり、液化して輸送したりできる上、燃焼時にCO2を出さないので、ドイツでは未来のエネルギーとして明日にもガスを代替できそうに騒がれているが、実はそう簡単にはいかない。水素はまず作らなければならず、それには大量の電気が必要になる。
ドイツでは現在、EVを増やす計画や、暖房をヒートポンプに変換する計画など、無理なオール電化計画が目白押しだが、現実には電気が逼迫しており、水素を作る大量の電気など、逆立ちしても供給できない。だから、自ずと目は海外へ向く。
しかも、水素の生産で重要なのは、それを作る電気の素性だ。水素を作る電気が化石燃料由来のものなら、全体としてCO2削減には役立たず、そういう水素はグレー水素と呼ばれている。ただ、その場合でも、排出したCO2を回収すれば少し格上げされ、ブルー水素となる。ドイツで現在、製造されている少量の水素は、ほとんどがグレー水素だ。
一方、再エネ電気で製造した水素がグリーン水素。つまり、ドイツとカナダの計画がこれで、大量の風力電気でグリーン水素を作り、それを液化してヨーロッパに送る。ニューファンドランド・ラブラドール州は、寒冷で農業には適さないが、風と土地だけは十分あるというから、カナダにしてみれば、この使い勝手の悪かった土地に、ドイツとのコラボでハイテク産業を発展させられれば大喜びだろう。
いずれにせよ、CO2からの脱却のため、現在、鳴り物入りで進行中の水素ブーム。ドイツ政府は、従来の生産目標を倍増させ、2030年までに1000万kWの生産を目指している。目標が大きいのはいいとしても、問題はコストだ。
そもそも、電気を作って、それで水素を作り、その水素でまた発電をする(あるいは燃料で使う)という効率の悪すぎる話の上、輸送のためにはマイナス253度で液体にしなければならないので、「殺人的」なコストがかかるという。したがって、市場競争力のある水素は存在しないし、近い将来、存在する予定もなく、目下のところ、水素は完璧な補助金プロジェクトだ。そして、多くの大学や研究所や企業がこの補助金に群がり、開発に鎬を削っている。
さて、日本。経産省は水素とアンモニアの普及を進めるため、大々的な支援を計画している。水素の供給コストはLNGに比べても10倍近く、このままでは普及しないため、水素やアンモニアを製造したり、あるいは海外から運搬したりする企業に対し、販売価格と供給コストの差額を補助する計画だという(8月26日付日経新聞)。
日本の水素研究は、これまで世界でトップと言われていたが、欧米が国家丸抱えで開発競争に突入してきた今、遅れまじということだろうが、聞いただけで何となく不安になる。なお、日本の場合、グリーンでない水素に対しても補助金をつけるという。
ヨーロッパでは、アフリカなどで大ソーラーパークを建設し、その電気でグリーン水素を作り、それをヨーロッパに輸出するという遠大な計画も進んでいる。ただ、そのアフリカの国々こそ、電力供給が未発達で、経済の発展が遅れている。彼らが是非とも必要としているのは、質の良い石炭火力発電所のはずだが、西側先進諸国は脱炭素にこだわり、途上国への火力発電所への投資も事実上、停止してしまった。その結果、西側の投資は再エネにばかり集中し、アフリカでできた電気が水素となって西側先進国へ行く。これではアフリカの発展は望めず、新しい形の植民地経済が作られてしまうような気がしてならない。
さて、ドイツの話に戻ると、今年の冬は、ガスの逼迫の前に電気の逼迫が深刻になる。ガスも電気も、すでに市場値段は去年の10倍を超えたし、まだまだ上がることが必至。しかし、目下のところ、その対策は節約しかないというお手上げ状態だ。ドイツ政府はカナダの他、すでにカタール、モロッコ、米国、ベネズエラにもエネルギー探しの旅に出かけているが、おおむね不首尾。どれもこれも今年の冬の役には立ちそうもない。
危機感の高まる産業界からは、今年の暮れに止める予定の最後の3基の原発の稼働延長はもちろんのこと、凍結されているドイツの「罪業」、ノルドストリーム2を稼働させる話さえ浮上している。しかし、政府で力を持つ緑の党にとっては、どちらも言語道断。彼らの頭の中は、国家経済や国民の利便よりも、党のドグマの方が優先されている。
ところが9月5日、二進も三進も行かなくなったハーベック経済・気候保護大臣が、3基の原発のうちの2基を、来年4月まで予備で置いておくということをイヤイヤながらも発表。稼働延長ではなく、脱原発の方針はあくまでも固持である。それに対して電力会社側は当然のことながら、原発は電力状況に応じて付けたり消したりはできないと異議を申し立てた。
また、電力不足解消のために予備の石炭火力を立ち上げるという話も実際には進んでおらず、現在、発電にまだガスも燃やしている。他のEU諸国からは、使える石炭や原子力を使わず、ガスの逼迫をさらに進めているドイツの行動に、非難が集まっている。
なお、今では、電気とガスの高騰、そして無視できなくなってきたインフレのせいで、世間の雰囲気も急激に変わり始めており、国民の間で不満と不安が膨らんできた。今や国民の懸案は足元の窮乏をどう切り抜けようかということで、水素どころの話ではない。
秋が深まり、気温が下がるにつれ、ドイツ政府に対する支持率もどんどん下がることはすでに織り込み済みだ。いまだに緑の党のファンが多いドイツだが、彼らがこの党を選んだことを後悔する日が近いような気がする。

関連記事
-
(GEPR編集部)原子力規制委員会は、既存の原発について、専門家チームをつくり活断層の調査を進めている。日本原電敦賀発電所(福井県)、東北電力東通原発(青森県)に活断層が存在すると同チームは認定した。この問題GEPR編集部に一般のビジネスパーソンから投稿があった。第三者の意見として紹介する。投稿者は電力会社に属していないが、エネルギー業界に関わる企業でこの問題を調べている。ただし匿名とする。
-
3人のキャスターの飾らない人柄と親しみやすいテーマを取り上げることで人気の、NHK「あさイチ」が原子力発電を特集した。出演者としてお招きいただいたにもかかわらず、私の力不足で議論を深めることにあまり貢献することができなか
-
丸川珠代環境相は、除染の基準が「年間1ミリシーベルト以下」となっている点について、「何の科学的根拠もなく時の環境相(=民主党の細野豪志氏)が決めた」と発言したことを批判され、撤回と謝罪をしました。しかし、この発言は大きく間違っていません。除染をめぐるタブーの存在は危険です。
-
全原発を止めて電力料金の高騰を招いた田中私案 電力料金は高騰し続けている。その一方でかつて9電力と言われた大手電力会社は軒並み大赤字である。 わが国のエネルギー安定供給の要は原子力発電所であることは、大規模停電と常に隣り
-
去る7月23日、我が国からも小泉環境大臣(当時)他が参加してイタリアのナポリでG20のエネルギー・気候大臣会合が開催された。その共同声明のとりまとめにあたっては、会期中に参加各国の合意が取り付けられず、異例の2日遅れとな
-
(GEPR編集部より)GEPRは民間有識者などからなるスマートメーター研究会(村上憲郎代表)とともに、スマートグリッドの研究を進めている。東京電力がスマートメーターを今年度300万台、今後5年で1700万台発注のための意見を募集した。(同社ホームページ)同研究会の意見書を公開する。また一般読者の方も、これに意見がある場合に、ご一報いただきたい。連絡先は info@gepr.org この意見書についての解説記事
-
東日本大震災で事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所を5月24日に取材した。危機的な状況との印象が社会に広がったままだ。ところが今では現地は片付けられ放射線量も低下して、平日は6000人が粛々と安全に働く巨大な工事現場となっていた。「危機対応」という修羅場から、計画を立ててそれを実行する「平常作業」の場に移りつつある。そして放射性物質がさらに拡散する可能性は減っている。大きな危機は去ったのだ。
-
「カスリーン台風の再来」から東京を守ったのは八ッ場ダム 東日本台風(=当初は令和元年台風19号と呼ばれた)に伴う豪雨は、ほぼカスリーン台風の再来だった、と日本気象学会の論文誌「天気」10月号で藤部教授が報告した。 東日本
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間