食品の厳しい基準値は被災農漁家への新たな人災
厚生労働省は原発事故後の食品中の放射性物質に係る基準値の設定案を定め、現在意見公募中である。原発事故後に定めたセシウム(134と137の合計値)の暫定基準値は500Bq/kgであった。これを生涯内部被曝線量を100mSv以下にすることを目的として、それぞれ食品により100Bq/kgあるいはそれ以下に下げるという基準を厳格にした案である。私は以下の理由で、これに反対する意見を提出した。
震災後の日本人に最も必要なものは、絆の復活だろう。事故直後から、あえて福島産の農産物を買おうとする運動も起きた。一部の消費者は、被災地の食品を買うことに価値を見出している。基準値を引き下げることは、農水省が掲げる「食べて応援する」活動を否定することに繋がる。
賠償金を払えば新たな被災者ができないと、読者は思われるかもしれない。しかし生業を否定された不幸はお金では償われない。また、農家や漁師が補償されるとしても、加工流通業者への補償は難しい。生産者から消費者への社会的リンクが切れることに変わりはない。
私たち研究者は、福島県で採れた農水産物を食べることについて、ある程度のリスクがあると考えつつも、被災者の生産活動を支えることが、それを上回る利益と価値になると考えていた。原発事故の直後は情報が不完全であり、100mSv程度の被曝線量も否定できなかった。それでも受動喫煙(喫煙者と同居したときの喫煙)の発がん死率より低いとみなされていた。
現在の知見では、仮に福島や北関東の農水産物を食べても実際の内部被曝量はずっと低いことが分かってきた。現在の暫定基準値でも、実際に内部被曝量が1mSv/年を超えた事例は知られていない。朝日新聞1月19日付の報道では、福島県の被験者の中央値は0.02mSv/年であり、最大値でも0.1mSv/年であった。つまり、実際には、健康リスクはほとんどなかったと言える。
平常時には、年1mSvという内部被曝量は社会的経済的に達成可能かもしれない。このときには基準値ぎりぎりの食品を食べ続けても安全であるという前提で基準値を決めるべきだろう。しかし、起きてしまった事故に対して、この値を適用することは現実的ではない。
現在でも、福島第一原発近郊では農漁業ができない状況が続き、近隣県も含めた影響がでている。農漁業者は原発事故の加害者ではなく、被害者である。今必要なことは、効果的な措置を行って消費者の健康と農漁業者の経済活動を両立させるための措置である。前者に大きな現実の問題は存在しない。新基準案はこれに逆行するものである。
新基準を適用した場合、計画的避難区域よりずっと広大な区域で、農漁業活動を制限された「新たな被災者」を政治的に作り出すことになるだろう。
それは行政による人災であり、ICRPの3原則のうちの最適化原則に反する。日本学術会議会長談話にもあるとおり、今回の原発事故の対処は国際放射線防護委員会(ICRP)の3原則に沿ったものとすべきである。
ICRPの3基準とは、ICRPの放射線防護の基準は、①正当化、②最適化、③線量限度適用である。①正当化とは、被曝は「害よりも便益が大となる」場合に許容されるという意味である。②最適化とは、経済的社会的要因を考えて、被曝する線量と人数を合理的に達成できる限り低く保つという意味である。③線量限度の適用とは、放射線作業や防災活動など、予め想定できる被曝状況における個人の被曝総線量の適切な限度を超えるべきではないという意味である。
「食べて応援」することに価値を見出す消費者がいて、実際に1mSvを超える食品からの内部被曝を受ける心配がほとんどない。その状況で、行政がさらなる規制をかけることは、害よりも益が多い場合に被曝を受容するという公正化原則に反する行為であり、被災農漁家と消費者を結ぶ絆を断ちきる行為と言える。
ただし、あくまで安心を求める消費者もいる。経過措置の間、新基準値を超える食品の放射性物質濃度を表示し、消費者に選択の自由を与えるべきである。それが消費者の安心に繋がるだろう。同時に、福島県民および原発作業員の甲状腺がんの検査、患者への保険などは手厚くすべきだろう。学術会議会長談話にあるとおり、原発事故との因果関係はほとんどわからないだろう。しかし、被災民に少しでも安心を与えることができるはずだ。
国による暫定基準値が最適な値だったとは限らない。より緩和しても、食品による内部被曝量が1mSv/年を超える消費者は極めてまれだろう。しかし、線量限度適用原則により、一度決めた基準を緩和することは得策ではないだろう。
前述した厚労省の新基準案に対して、それを否定するよりも、私は以下のように部分変更を進言した。復興のめどがつくまで暫定基準値の改定を延期すべきである。経過措置の文言にある期日(2012年4月まで)を「復興のめどがつくまで当面の間」と変えることが望ましい。
福島原発事故を契機としながら、今なお事故処理が収束せず、住民が避難し続け、農漁業が回復できない壊滅的な事態において、事故収束後の「平常時」と同じ基準は適用できない。事故前と同じ手厚い行政ができない現実に、この基準案並びに経緯が何も触れていないことは残念である。それは、結果として被災農漁家に一層の追い討ちをかけるものと言えるだろう。
日本農学会が出したテクニカルリコメンデーションは、「流通段階での検査等で安全性が確認された現在、依然として過度に事故地周辺の農産物を避けるのは公正な市場を損ねることになりかねない」と指摘し、さらに「残念ながら、ときに、他地域の地方自治体と住民までが『風評加害者』となり、放射能汚染は、差別のような日本人の心の汚染にまで広がっているという指摘さえある」と述べている。今必要なのは、現実の被災状況を見据え、冷静に判断することだ。
生態学と水産学の専門家として私は、この問題の議論は、捕鯨論争との類似を感じる。捕鯨問題でも、専門外の科学者も巻き込んだ親捕鯨と反捕鯨の険悪な対立がある。しかし実際には専門家としての知識を共有しない科学者が意見を述べていることも多い。少なくとも日本では、生態学者の中で絶滅危惧種ではないミンククジラの商業捕鯨の可能性自体を否定する声はほとんどない。(松田文章「捕鯨問題での対話の流れを止めることはできない」、2002年)。
捕鯨に反対する世界有数の環境団体である世界自然保護基金日本支部(WWFジャパン)も、2002年に対話宣言を出している。ようやく、日本国内では冷静な議論ができるようになってきた。米国など捕鯨をやめた国では、依然として、反捕鯨運動が環境団体の資金源となっている。
これと同じように、原発自身への賛否と、起きてしまった原発事故による放射線リスクをどう考えるかは別の話である。すべてを二項対立で捉え、原発に反対する者、放射線リスクの危険をあおる者以外を「御用学者」ととらえる風潮も、逆に、反原発運動に与する側の御用学者を求めていることになるだろう。
注・補足情報は私のサイトに載せている。特に、保高徹生博士「農業と経済」原稿、吉田勝彦博士「水産物の放射能汚染をどうみるか」、岡敏弘教授「放射線リスクへの対処を間違えないために」 を参考にした。ただし、本稿の意見は私個人の意見である。

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