真の原子力再生に必要なことは何か?(上)ー 栄光の日々と混迷の日々
(IEEI版)
はじめに 〜東京電力の惨状
日本ばかりか全世界をも震撼させた東日本大地震。大津波による東電福島第一原子力発電所のメルトダウンから2年以上が経つ。それでも、事故収束にとり組む現場ではタイベックスと呼ばれる防護服と見るからに息苦しいフルフェイスのマスクに身を包んだ東電社員や協力企業の人々が、汗だらけになりながらまるで野戦病院の様相を呈しつつ日夜必死で頑張っている。
東電に事故を防げなかった落ち度があることは間違いない。伝え聞けば、電源喪失して半日程度で炉内の水位が低下し炉心露出に至る可能性も、15mを超える津波が来る理論上の可能性も、少なくとも東日本大地震の2年前には東電原子力部門の責任者まで認識されていたと言う。リスク管理の常識からすると重要施設の水密構造化や予備の外部電源接続用配線工事くらいはしておくべきだったろう。それでメルトダウンが本当に防げたかどうかは分からないが、事業者の良心からすれば念のため備えておくべきことだったと言えるだろう。
このように事業運営上重大なリスク管理の失敗を犯した責任は、原子力部門の責任者はもちろん、経営のガバナンスに責任を持つ取締役会が負うべきことは明らかだ。ところが、事故当時の主たる経営層は表舞台から引っ込み、巨額の損害賠償や事故収束・廃炉等の費用そして原子力代替電源費用の負担などで実質経営破綻している東電は民主党政権時のスキームに縛られたままで、発送電分離など原子力安全とおよそ縁遠い改革に邁進して苛酷な負担を社員にしわ寄せするばかりだ。これはおかしくないか?
改革の実効性 〜原因の深掘りは足りているか?
確かに、東電がこれまでになく踏み込んで原子力部門の悪さ加減を洗い出し、早急に改革の成果をあげて原子力再稼働を実現して状況を変えようと努力していることは認めるべきだ。しかし、問題は東電の原子力改革がどれだけ実効性を期待できるかだ。東電の改革プランは専ら東電原子力部門の悪さ加減だけにフォーカスしているように見える。一見当然のことと見えるが、それで本当に十分なのだろうか?
公平に言って、東電や日本の原子力界は安全に対して極端なほど神経質に気を配ってきた。スリーマイル島事故やチェルノブイリ事故などで、原子力発電事業者には『人的過誤の防止』や『安全文化の醸成』あるいは『品質マネジメントシステムの構築』といういくつものしくみや取組みが求められ、国や地方自治体、業界団体に認証機関、国際機関などによる監査・検査でがんじがらめなのだ。それでいてなぜ、東電はこれほど致命的な失敗ができたのか?東電は平成14年(2002年)に原子力部門で一連の不祥事が発覚し、威信をかけて再発防止と再生に取り組んでいると自他ともに考えていたのだから尚更だ。
今回の事故についてこれまでの情報から見る限り、少なくとも東電原子力部門はとてつもなくリスク感覚が鈍かったか、専門能力が足りなかったか、あるいはその両方であったと考えざるを得ない。やってきたはずのことと現実のこの凄まじいギャップは一体何だろう?規制当局も東電の取り組みをチェックし、追認していたはずだ。油断や過信といったありふれた言葉では到底満足な説明はできないはずだ。
組織の失敗学 〜失敗が繰り返される理由
東電に限らず、組織というものは分かっていても過ちを繰り返すものだ。かの高名なNASAは1986年1月、燃料タンクの密閉性(シール)を保つために用いられるOリングという部品が低温の環境では亀裂が入るという欠陥に気づきながら、プロジェクト費用がかさむことを批判する世論を気にするあまり、チャレンジャー号の打ち上げ延期に踏み切れず悲劇的な空中分解を招いた。
そして17年の後、2003年2月に断熱材が剥落して機体が損傷するリスクを承知しながら、結局は放置してコロンビア号の空中分解を起こすという信じがたいミスを繰り返した。その他にも、大規模な食中毒を契機に徹底した品質管理を築き衛生管理の第一人者を自負していたのに、45年を隔ててまるで同じ原因により食中毒事件を起こした日本の乳業メーカー等々、組織運営の綻びによって重大事故を繰り返してしまった事例は、古今東西いくらもある。
大事なのは、こうした組織事故あるいは失敗事例を研究すると、実はその底流に組織を取り巻く業界全体の事業環境や特性、政治・経済状況のようなマクロ要因が組織の価値観や行動パターンをネガティブな方向に追いやっていく自己増殖的なメカニズムが存在していることだ。そうしたメカニズムとそれを生み出す背景をよく理解することこそ最重要だ。
原子力では、これまで何度もトラブルや不祥事が発生しその度に総点検や改革が断行され、対策が強化されてきた。それでも東電がメルトダウンを防げなかったことは、単純に割り切れない複雑で根深い問題が潜んでいると想像すべきだろう。本当は聖域を設けずとことん深掘りして分析すれば、原子力の安全を確保するうえで決定的に重要なガバナンスや組織風土的要因(安全文化と呼んでも良い)について、本質的な教訓が得られるはずだ。
しかし残念ながら、従来の報告書はどれも原子力界や東電に対するステレオタイプな思い込みが強すぎて、なぜそのような悪さ加減が発生し放置されていたのかという核心的な部分に切り込めていない印象が拭えない。
栄光の日々〜MITからのアプローチ
何ごとも本当に反省しようとするなら、いつどこでどうやって何につまずいたのか過去に遡って総括するのが有効だ。その意味で、日本の原子力が最も輝いていた20年ほど前の事情を見てみよう。当時MIT原子力工学科のK.F.ハンセン教授(現.名誉教授)は、米国と比べて概ね一ケタ上の安全に係る信頼性(計画外停止頻度等)を示していた日本の原子力発電の秘訣を明らかにしようと、日米でのフィールドワークによる国際比較研究を日本に提案した。これを契機として行われた委託調査(日本における原子力発電のマネジメント・カルチャーに関する調査:MC調査)の知見は海外の学界などでも公表されているが、現在の状況と比べてあまりに対照的で感慨を禁じ得ない。
結論から言うと、当時の良好な運転実績の背後には『組織の本質的学習能力を育て高めるメカニズムがうまく回っていたこと』、すなわち日本的な風土に適合した形で、ソクラテスメソッド(対話により相手方の本質的な思考を促し自発的な学習を実現する教育法)が実践されてきたことが、最も根本的な特徴として指摘されている。
つまり、経営者があれこれ細かく指図することなく、若手の社員に大きな権限とリソースを与え、それらの者は社内外のネットワークの中で切磋琢磨しつつ、常に与えられた仕事の目的を自問自答しながらより良い仕事を目指して組織的な知識創造をスパイラルアップしていた、ということである。
組織的学習こそがコア
この姿を集約したものが下図1だ。この中で経営や価値観、環境という要素は歴史的・文化的に固有の条件だから、組織の本質的学習能力を育て高めるための真に普遍的な要素は、図1の組織的学習の部分に集約されていると言えるであろう。言い換えれば、図1に示した組織的学習のコア要素を健全に保つことこそが、原子力の安全性を保つための組織運営上のポイントだ、という結論が得られたわけである。
プラスが一転マイナスに?
さて、このような組織運営のあり方は、組織が順調な境遇にあって経営の裕度が確保されている限り素晴らしい強みを発揮する訳だが、往々にして強みの裏返しが弱みであると言われる。具体的には次のような弊害が生じうるのである。
◇負荷が不均衡かつ過剰にかかる傾向があり、成員がともすると疲弊しやすい
◇内向きの閉鎖性があり、人材の流動性/多様性を保つことが難しい
◇暗黙知/経験知/自発性を尊ぶ反面、合理性や透明性/説明責任が軽視されやすい
◇漸進的改善を慫慂する反面、本質に迫り見直すような発想を拒みがち
ソクラテスメソッド自体は普遍的な有効性がある。だが、ここで説明した日本的な在りようは明らかに一定の環境条件を前提としているので、それらが崩れると一転して組織にとってのリスク要因になる可能性も有していることに注意が必要だ。このリスクは以下にご紹介する日本の原子力がうまく行かなくなった事例を見て頂ければよりクリアに感じていただけるだろう。
混迷の日々〜後を絶たぬトラブル
日本経済が『失われた20年』に苦しんでいる間、原子力関係のある企業ではトラブルの繰り返しが悩みの種になっていた。このケースを調べてみると、MC調査で明らかにされたポジティブな原子力の価値観や行動パターンがどのようにネガティブ側へシフトしてしまったのか貴重なヒントが含まれているように思う。そこにどのようなメカニズムが作用していたと考えられるか、筆者の仮説をご紹介したい。
この企業では、品質マネジメントシステムを精力的に導入して、各種検査・監査など入念なチェックを行うようにしたが、意に反してなかなかトラブルが減らず、経営者がやきもきしているうちにトラブルが短期間のうちに相次いで発生する事態に陥ってしまった。そのため、頻発したトラブルについて、企業風土と意識面に注目して改めて根本原因分析が行われた結果、図2に示すような組織的学習の劣化メカニズムが働いていると考えられるに至ったのである。
図2に示されているのは、組織が置かれた事業環境や経営のガバナンスといった大きな要因(統制環境)が、MC調査の時とは正反対にシフトすることによって、組織的学習を構成する基本要素(密接な相互作用を繰り返す4つの軸に分類)がダメージを受け、その結果組織の管理行動が機能低下し、最終的に個々のメンバーの内側で安全を蝕む気質や態度をもたらして、全体としての安全文化が劣化してしまうという一体的な構造とメカニズムである。
特に組織的学習プロセスに注目すると、こうした基本要素がお互いに密接に結びついていることにお気づきになるだろう。例えば当事者同士の人間関係が希薄だということは情報の偏りにつながるし、情報が共有できていなければ自ずと当事者意識も湧かない、当事者意識が湧かなければただでさえステークホルダーの言いなりに振り回される人々は形式的な仕事をこなすことに追われ、組織同士の連携は失われる、そしていよいよ情報は偏るようになる、そういう一連のサイクルがいくつもぐるぐる回って変えようのない強固なパターンとなるのだ。
組織的学習プロセスの本質がこのように基本的要素の繰り返し・密接な相互作用による自律的なパターン形成にあると考えれば、ひとたび形成され固定化した思考/行動パターンは常に強化され続けるしかなく、生半可なシステム改革や意識改革ではびくともしないということに他ならない。これこそ組織が分かっていても失敗を繰り返す自己増殖的な組織的学習劣化メカニズムの本質だ。そしてそのようなデフレ・スパイラルを変えようとするなら企業やそこで働く人々を包み込んでいる事業環境や経営の健全性、経営者の価値観、世論といったマクロ的な要素に遡って手を打つ必要があることに思い至るであろう。
図2 トラブル発生に至る経路分析
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