日本は核燃料サイクルを放棄するなかれ・その4 — 国際的なプルトニウム管理体制の必要
「余剰プルトニウム」は持たないという意味
他方、六ヶ所工場に関連してもう一つ、核不拡散の観点からの問題がある。すなわち、はっきりした使途のない「余剰プルトニウム」の蓄積の問題である。
日本政府は、筆者の現役時代から、核兵器への転用の可能性もあり国際的な疑惑を招きやすいプルトニウムは、高速増殖炉や新型転換炉「ふげん」(ただし、この炉はその後廃炉となり、実用化されずに終わった)、プルサーマルですべて使い切る方針で、「使途のない余剰プルトニウムは所持しない」旨を国際的に宣言してきた。
前述のように、「もんじゅ」とその先のFBR計画の前途がはっきりせず、プルサーマル再開の見通しも立たない中で、これ以上のプルトニウムの生産は不要だし、大量に溜め込むと必ず要らざる国際的疑惑を招く、だから全量再処理路線は止めよという意見がある。米国内からも、主に民主党系の核不拡散論者や再処理反対論者からそのような牽制球が盛んに飛んでくる。勿論、日本の核武装を警戒する韓国や中国からも−後者は自分のところの核兵器増産は棚に上げて−同様な否定的な声が根強い。日本国内の反原発団体、反プルトニウム派からも、これに同調する意見が多い。
折角の機会なので、ここで「余剰プルトニウム」問題について、今少し私見を述べておきたい。前述のように、使途のはっきりしない「余剰プルトニウム」を大量に抱え込むと核武装疑惑を招く、だから日本は再処理を止めよという意見であるが、これは本末転倒の議論であって、筆者はこの議論には賛成できない。もしプルトニウムの大量蓄積が日本の核武装疑惑を国際的に増幅するからまずいということであるならば、それなりの対策はあるはずだ。
「国際プルトニウム貯蔵」(IPS)制度を創れ
例えば、かつて1970年代末から80年にかけて、東海再処理交渉のフォローアップのような形で、日米ほか原子力に関係する約50カ国が参加して「国際核燃料サイクル評価」(INFCE)という大作業が、カーター米大統領の提唱で実施されたことは既に述べたが、その作業の一環として「国際プルトニウム貯蔵」(IPS=International Plutonium Storage)構想が議論されたことがあった。この構想造りには、筆者が直接関わったから言うわけではないが、折角約3年もかけて真剣に議論し、「IPS設立条約案」(素案)までまとめたのだから、この際是非それを蘇生させ、活用するべきだ。
この構想の骨子は、国際原子力機関(IAEA)憲章にも明記されているように「余剰プルトニウム」をIAEAの下に設けられるIPS制度の下に置く、加盟国は自国内または他国に設置される「国際プル貯蔵庫」に当該プルを預託する、用途がはっきりし必要が生じたときにはそのプルを引き出して使う、引き出す際には国際IPS委員会の承認を要する――等というものだ。
検討会議で最も揉めたのは、預託したプルを引き出すときの判断基準(クライテリア)で、IPS委員会の関与をどの程度認めるかがポイントとされたが、まさにその点について各国の意見が対立し合意が得られなかったため、お蔵入りとなった。
当時はプル利用を考えている国がかなり多かったが、現在ではそれほど多くないから、意見をまとめるのは不可能ではないはず。しかもプルトニウムへの需要も高くなく、むしろ、大量にプルを抱え、その管理(貯蔵)や処分に困っている国にはIPS制度は有用と思われる。日本はさしずめ最大の利用者であるかもしれない。IAEAの監視下に置かれるので、国際的な疑惑を招くことは避けられるだろう。
問題は、IPS委員会の構成であるが、IAEAの管理下に置くのだから、特別の委員会を設けず、その事務局スタッフ(査察官)が監視すれば十分だろう。実は、日本の核物質はすべてNPTに基づきIAEAの保障措置(査察)下に置かれており、とくに六ヶ所工場にはIAEA査察官が365日、四六時中常駐して目を光らせているので、実質的には現状と変わりはないだろう。それでも「余剰プルトニウム」を明示的に国際監視下に置くという意味で、一定の効果があると思う。この場合、なによりも形式が重要である。
日本は自身のために、このような構想の実現をプッシュするべきで、そのためのイニシャティヴをとるべきではないか。日本の問題は日本自らが動かなければ誰も動いてはくれない。必要なのは、そうした能動的な原子力外交努力である。
結び:国益重視の原子力政策と外交を
結論として強調したいのは、原子力は日本のエネルギー安全保障上不可欠であり、これは3・11事故以後も基本的に変わらない。事故の責任は徹底的に追及すべきであり、被災者、被災地へは十分な損害賠償、補償、きめ細かなケアが必要であることは言うまでもない。過去の過ちや悪弊は徹底的に改め、二度とあのような過酷事故を起こさぬよう、あらゆる努力を尽くさなければならない。
しかし、そのことと無資源国として将来のエネルギーをどう確保するかの問題は、はっきり区別されるべきで、あくまでも客観的なデータに基づいて理性的に検討し、判断しなければならない。その際、個々人の福祉と安寧は十分考慮されるのは当然だが、この激しい国際競争のなかで1億2000万余の人口を抱えた巨大国家の血液とも言うべきエネルギーをどう確保するかの視点も疎かにしてはならない。つまり、一言で言えば、「国益」重視の視点である。
仮にも、原子力滅んで国滅ぶというようことになってはならない。そうならないように、今こそ全国民が叡智を結集して、国のエネルギー政策を、そして原子力の役割を正面から考える必要がある。
(2013年8月26日)
関連記事
-
電力中央研究所の朝野賢司主任研究員の寄稿です。福島原発事故後の再生可能エネルギーの支援の追加費用総額は、年2800億円の巨額になりました。再エネの支援対策である固定価格買取制度(FIT)が始まったためです。この補助総額は10年の5倍ですが、再エネの導入量は倍増しただけです。この負担が正当なものか、検証が必要です。
-
再生可能エネルギーの先行きについて、さまざまな考えがあります。原子力と化石燃料から脱却する手段との期待が一部にある一方で、そのコスト高と発電の不安定性から基幹電源にはまだならないという考えが、世界のエネルギーの専門家の一般的な考えです。
-
2012年9月19日に設置された原子力規制委員会(以下「規制委」)が活動を開始して今年の9月には2周年を迎えることとなる。この間の5名の委員の活動は、本来規制委員会が行うべきと考えられている「原子力利用における安全の確保を図るため」(原子力規制委員会設置法1条)目的からは、乖離した活動をしていると言わざるを得ない。
-
18世紀半ばから始まった産業革命以降、まずは西欧社会から次第に全世界へ、技術革新と社会構造の変革が進行した。最初は石炭、後には石油・天然ガスを含む化石燃料が安く大量に供給され、それが1960年代以降の急速な経済成長を支え
-
合理性が判断基準 「あらゆる生態学的で環境的なプロジェクトは社会経済的プロジェクトでもある。……それゆえ万事は、社会経済的で環境的なプロジェクトの目的にかかっている」(ハーヴェイ、2014=2017:328)。「再エネ」
-
電力注意報が毎日出て、原発再稼動への関心が高まっている。きょう岸田首相は記者会見で再稼動に言及し、「(原子力規制委員会の)審査の迅速化を着実に実施していく」とのべたが、審査を迅速化する必要はない。安全審査と原子炉の運転は
-
菅直人元首相は2013年4月30日付の北海道新聞の取材に原発再稼働について問われ、次のように語っている。「たとえ政権が代わっても、トントントンと元に戻るかといえば、戻りません。10基も20基も再稼働するなんてあり得ない。そう簡単に戻らない仕組みを民主党は残した。その象徴が原子力安全・保安院をつぶして原子力規制委員会をつくったことです」と、自信満々に回答している。
-
国会事故調査委員会が福島第一原発事故の教訓として、以前の規制当局が電気事業者の「規制の虜」、つまり事業者の方が知識と能力に秀でていたために、逆に事業者寄りの規制を行っていたことを指摘した。
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間