「子どもの声が聞きたい」楢葉町、帰還と課題【復興進む福島2】
東日本大震災の地震・津波と東京電力福島第一原子力発電所事故でダメージを受けた、福島浜通り地区。震災と事故から4年近くたち、住民の熱意と国や自治体などの支援で、自然豊かな田園地帯は、かつての姿に戻り始めようとしている。9月5日に避難指示が解除された楢葉町の様子を紹介する。
政府は8月7日に原子力災害対策本部の会合を開き、福島原発事故で、全住民が避難している福島県楢葉町の避難指示を、15年9月5日に解除することを決定した。本部長の安倍晋三首相は「ふるさとを取り戻していただく最初の一歩であり、楢葉町を一層強力に支援していく」と強調した。
原発事故の後に福島浜通り地区(主に双葉郡)の約16万人が避難した。楢葉町が田村市の一部、川内村の一部に次いで解除の3カ所目となる。同町は東電福島第一原発から南に20キロの地点にある。人口は震災前には約は7400人だった。自治体すべての大規模な解除指示は初めてだ。意義深い一歩だ。
政府は一昨年、①空間線量率が年間20ミリシーベルト(mSv)以下、②電気、ガス、上下水道などのインフラや医療・介護などの生活関連サービスが復旧し、子どもの生活環境などの除染が十分に進捗、③県・市町村・住民と十分に協議-の3要件がいる。楢葉町は、これらの要件を満たした。
落ち着く感情、東電への反感消える
8月上旬に楢葉町を訪問した。「解除がきっかけになって町が活気を取り戻せれば」と、すでに戻って生活をしている70才代の夫婦が、期待を述べた。住民は誰もが、解除を歓迎していた。
町に震災の傷跡は表面的には少なくなっていた。家は改修が進み、壊れたままのものはほとんどない。上下水道、電気、道路は復旧し、準備帰還として数百名の住民が一時的に宿泊していた。避難住民の7割はいわき市に住むため、通う人も増えている。原発事故の補償は精神的損害で月10万円、家財賠償などかなり手厚く、生活困窮などの話はあまり聞かないそうだ。
住民に話を聞くと、東京電力への批判は少なくなったという。もちろん事故直後に怒りが渦巻いていたが、それは変わった。もともと東電は楢葉町のある福島県双葉郡の人々を積極的に雇用してきた。同町には福島第2原発が立地し、東電がつくり福島県に施設を寄贈したサッカーのトレーニングセンター「Jビレッジ」もあり、楢葉町住民はそれに親しんできた。過疎化が東電からの税収とその雇用で止まった面がある。
事故後に東電は社員による除染活動、住民訪問、さらに手厚い補償を行った。「事故への怒りはあるが、東電の誠意と行動がそれを和らげている。時間が経てば気持ちは落ち着くものだ」と、60才代の住民は話した。しかし東日本大震災の際に、主要設備が破損せず、運転再開が可能な第2原発については「稼働を認める声は町内には認める声はまったくなさそうだ」(市役所職員)という。
産業の復活が課題
もちろん楢葉町の復興に課題は多い。復興庁と同町が昨年11月に行った調査(住民意向調査)では、避難住民で「すぐ戻る」「条件が整えば戻る」という意向を示した人が45・7%にとどまった。(図表1)29才以下では24%以下だが、60才以上では半数を超え、特に若い世代で割合は低い。避難先で新しい職場と生活の場を見つけたのだろう。
震災前の楢葉町は兼業農家が多かった。住民は数世代の同居が多く、家はどこも広い。町の農林漁業では、米が中心で、特産としてゆずの生産があった。町を流れる木戸川には鮭が大量に採れた。本州での産卵地の南限とされた。
しかし今の町の姿は変わった。夏であるのに、田んぼ、農園に作物は植えられていなかった。また漁業の復活も施設が津波で壊され、まだ途上という。
働く場所も少ない。楢葉町の商工会には震災前250社が加盟していた。現在、町で活動を再開したのは70社で大半が建設業という。いくつかの工場も別地域に生産を移してしまった。
楢葉町商工会関係者によると、全国的な人手不足の影響で賃金が上昇し、人を雇うのが難しいそうだ。
一方で、廃炉作業や除染では、月30−40万円稼げる。そうした仕事に就くために県外から人が集まっている。しかしそれは一時的なもので、渡辺さんは「若い人が町に住まなくなっている」と話す。
町の新産業創造室室長の磐城恭さんは、「楢葉に戻りたい」「ビジネスをしたい」という企業に一つひとつ出向いて説明している。「働く場所がなければ、町に人は戻らない」と思うためだ。
政府は産業の振興に力を入れる。福島浜通りで被災した商工事業者や農業関係者を個別に訪問する100人規模の官民支援チームを8月中に設立する。また復興のための税制優遇措置も継続する。
また通り地区に、最先端のエネルギーや研究組織を誘致する「福島イノベーションコースト構想」がある。早速、日本原子力研究開発機構が福島第一原発の原子炉のモックアップ(模型)施設をつくる予定だ。ただし、こうした一連の努力の成果があるか、まだ未知数だ。
注目されるのはサッカーだ。震災前は、少年、実業団のチームがここに集まって試合、合宿をしていた。松本幸英楢葉町町長は「もう一度、若者が集まって試合をすることは、楢葉町の復興を印象づける。Jビレッジは20年の再開を目指しており、私たちもそれに合わせたい」と話す。
地域の生活、つながりの再建
楢葉町内で生活用品や食糧を売る店、飲食店が現時点で少ない。70才代の夫婦は「もともと車がないと生活ができない場所だが、さらに不便になった。特に医者がいないのは不安だ」と、話した。
帰還の意向を示す人では「医療機関・介護・福祉サービスの再開」「商店の再会」を求める人が多かった。(前図表)
町営の震災復興住宅も建設が始まったばかりだ。さらに診療所の開設も避難解除と同時ではなく、今秋がめどになる。政府は今春に「8月のお盆前」に同町の避難指示を解除する意向を示したが、町民は「生活インフラが整っていない」と要望し9月に延期した。それでも整備は途上だ。
また避難で地域社会のつながりが壊れてしまった。町内の住む78才の男性は、かつて東電に勤め、震災まで農業をしながら暮らしていた。「いつも周辺の人と声をかけあっていた。帰る人はまばら。つながりがなくなり寂しい」という。
避難先では痛ましいことに112人の震災関連死が発生した。避難先での孤独死、衰弱死、自殺などの数だ。避難生活のストレスで、健康が悪化する例が多い。
「解除直後は、行政が地域の集会、語り合いなどを開催し、また訪問を増やして、人々が関係をつくる機会を設けます」。町役場の復興推進課課長の猪狩充弘さんは話す。行政がそこまで取り組むのは異例だが、人々の関係を密接にさせようとしている。
放射能問題も生活に影を落とす。町の人々は誰もが放射能と健康について、深い知識があった。自分の問題として真剣に受け止め学んでいた。まだ一部にある「福島は危険」というデマを、深刻にとらえている人はいなかった。
しかし楢葉町議会議長の青木基さんは「安全と安心は違う」と語った。誰もが「本当に大丈夫なのか」という不安を心の底で持つという。楢葉町には、今でも毎日、3〜4 人の相談がくる。子供を持つ親の不安感が強い。
町民は「子どもの声を聞きたがる」
除染は住居周辺などの生活圏では終了した。放射線量は大半が年1ミリシーベルト程度だが、それよりやや高いところがある。町は除染の徹底化を国に求めている。
町中ではグリーンのシートがかけられた場所がたくさんある。下には除染ではぎ取った表土のつまった黒い巨大なフレコンバッグがある。中間貯蔵施設の建設が進んでいないため、このゴミの行く末が未定だ。
福島事故による放射性物質の影響で、健康被害の起こる可能性はほぼないと政府も内外の医療関係者も一致している。しかしそれでも、不安は残る。人々はこの感情と向き合って生活する難しい問題に直面する。震災前と生活の姿は少し変わるだろう。
そして子どもの教育の問題がある。楢葉町は町内の校の町内での再開時期を2017年4月とする方向で調整している。
再開に合わせ、同町はいわき市にある仮設校舎を廃止する。約530人の町民の小中学生がいる。しかし避難指示解除の後で楢葉町の学校に通うと答えたのは16年再開の場合23人、17年は36人しかいなかった。残りは「分からない」が多い。
「町民は「子どもの声」を聞きたがっている。お盆の墓参りの時、たまたま子供の声を聞いて、私も癒された」。楢葉町商工会長の渡辺清さんは、このように語った。
子どもが楢葉町に戻るかは、親の仕事、また生活の場の再建次第だ。町を担う子どもが増えるかは、今の復興の進み具合と放射能に対して「安全」だけではなく、「安心」が確立された後になりそうだ。
「当たり前」のことができる日常へ
避難解除でも新しい問題が次々に発生している。しかし解除を誰もが前向きにこの変化を受け止めていた。住民がそろって話したのはうれしさと希望だ。
制約を受けずに自宅でくつろぎ、寝泊まりする。「当たり前のことができるようになって本当にうれしいし、ありがたい」と70才代の夫婦は話しながら喜んだ。
楢葉町など福島浜通り地域は、田畑と山林がつらなり、夏は緑が大変美しい場所だ。そこに住む人々は「親切」「温厚」「我慢強い」とされる。訪問でそれを感じた。こうした人々であるゆえに、福島原発事故という未曾有の災害を乗り越えることができたのだろう。
この人々が、新たに自らのふるさとを再建しようとしている。私たちは当然、応援するべきだ。国が復興の重点期間と定めたのは、2021年までの10年で、その前半が過ぎつつある。今回の楢葉町の解除は、復興までの重要な一歩であり、残る浪江町、双葉町、大熊町、富岡町の対策の先例となる。
私たち全日本が楢葉町を応援して、手を携えながら原発事故を克服していきたい。
(この記事はエネルギーフォーラム9月号に掲載させているものを、同社から転載の許諾を得た。関係者の方に感謝申し上げる。)
(2015年9月24日掲載)
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