広島高裁の判決に大きな違和感
広島高裁の伊方3号機運転差止判決に対する違和感
去る12月13日、広島高等裁判所が愛媛県にある伊方原子力発電所3号機について「阿蘇山が噴火した場合の火砕流が原発に到達する可能性が小さいとは言えない」と指摘し、運転の停止を命じる仮処分決定をした。
ネットにはこの判決に対する様々な意見が見られるが、大半は判決理由とした阿蘇山の噴火の事である。しかし、私は別の理由で違和感を抱いている。
原子力発電所の安全性は誰が判断するのか
もし、この判決を認めたら、原子力発電所の安全性はあちこちで判断されることになる。全国の高等裁判所(本庁8ヵ所、支部6ヵ所の合計14ヵ所)が全て原子力発電所の安全性を判断することになれば、原子力規制委員会の他に14ヵ所、合計15ヵ所で判断されることになる。地裁の数を入れればもっと増える。もし停止しなければならなくなれば電力会社は1ヵ月で何十億円もの損害を蒙ることになる。どう考えても変である。もちろん、国民全員が意見を持つ事は自由で、1億通りの意見があっても良いが、国の意見、特にエネルギー問題についての意見は長期的に変えるべきでない。福一事故前は行政すら原子力発電所を止める権限がなかったほど原発の停止は重大なことなのである。裁判所といえども軽々しく運転停止命令を出すべきではないのである。
裁判所は行政の法的手続きだけ審査すべき
裁判所が原子力発電所の裁判をするなと言うつもりは毛頭ない。原子力規制委員会に限らず、行政機関が間違いを犯すこともあり得るから、裁判所が行政機関の手続きの誤りの有無を調べることは結構である。しかし、安全性の技術判断は原子力規制委員会の専門家に任せるべきである。事故前、原子力安全委員会と原子力安全・保安院とに専門家が分散していたが、専門家を集約して専門的判断の質を向上させるべき、との判断から原子力規制委員会が発足した経緯もある。中途半端な専門知識で原子力発電所の安全性を判断するのは誤った考えである。
原子力規制委員会は火山リスクも評価している
判決が主張する火山のリスクの考え方が誤っていることについては、既に多くの専門家が指摘している上、裁判所の技術的判断を認めることになるため、筆者は敢えて言及しない。ただ、原子力発電所の火山の噴火に対する安全性は原子力規制委員会が2013年6月19日に原規技発第 13061910号で決定した「原子力発電所の火山影響評価ガイド」で審査して安全だと認定していることを指摘しておきたい。
根本原因は行政が安全だと言わなかったこと
安全を測る尺度はない。どれだけ危険性が少ないかで推し量るしかない。ゼロリスク論とか安全神話と言うのはその危険性が全くないことを意味しているが、実際には有り得ない。原発をどんなに安全にしようと、例えば隕石の落下の可能性をゼロにすることはできないからゼロリスク論は有り得ないのだ。道を歩けば自動車にひかれたり、物が飛んできて死んでしまう可能性がゼロではないが、そんなことを心配して暮らしている人はいない。だから安全と言うのは、残ったリスクが実用上無視できるほど小さいかどうかなのである。
では原発が安全なのかどうかは、事故が起きる危険性をどこまで小さくしてあるのかで決まる。すなわち、“どこまで安全なら十分安全だと言えるか?”が最も大事なのである。それを安全目標と呼んでいる。一般論としての安全は残る危険性を無限に小さくすることであるが、行政はどこかで線を引かなければならないのである。申請された施設の危険性がその引いた線よりも小さければ、すなわち、安全性が安全目標を上回っていれば合格にするのである。伊方3号機のリスクはその安全目標以下だったのである。
それが行政の安全審査なのである。ところが原子力規制委員会が2014年7月16日に九州電力川内1,2号機に設置変更許可を与えた際、当時の委員長だった田中俊一氏は”私は安全とは言わない“と、一般論の安全の話をしてしまった。国が決めた安全性の線をクリアしていることを確認したから、変更許可を出したと言えばよかったのである。
このため、原発が安全なのかどうかを誰でも議論できることになってしまったように思う。今からでも遅くない。伊方3号機は国が決めた安全性の線をクリアしていることを確認していると原子力規制委員会が宣言し、国が決めた安全目標をクリアしていることを明言すべきである。

関連記事
-
小泉元首相を見学後に脱原発に踏み切らせたことで注目されているフィンランドの高レベル核廃棄物の最終処分地であるONKALO(オンカロ)。
-
6月1日、ドイツでは、たったの9ユーロ(1ユーロ130円換算で1200円弱)で、1ヶ月間、全国どこでも鉄道乗り放題という前代未聞のキャンペーンが始まった! 特急や急行以外の鉄道と、バス、市電、何でもOK。キャンペーンの期
-
私は翻訳を仕事にしている主婦だ。そうした「普通の人」がはじめた取り組み「福島おうえん勉強会・ふくしまの話を聞こう」第一回、第二回を紹介したい。
-
この4月に米国バイデン政権が主催した気候サミットで、G7諸国はいずれも2050年までにCO2ゼロを目指す、とした。 コロナ禍からの経済回復においても、グリーン・リカバリーということがよく言われている。単なる経済回復を目指
-
原子力の始まりが、政治の主導であった歴史を紹介している。中曽根氏の演説は格調高いが、この理想はなかなか活かされなかった。
-
燃料電池自動車の市場化の目標時期(2015年)が間近に迫ってきて、「水素社会の到来か」などという声をあちこちで耳にするようになりました。燃料電池を始めとする水素技術関係のシンポジウムや展示会なども活況を呈しているようです。
-
北海道大学名誉教授 金子 勇 マクロ社会学から見る「脱炭素社会」 20世紀末に50歳を越えた団塊世代の一人の社会学者として、21世紀の課題はマクロ社会学からの「新しい時代の経済社会システム」づくりだと考えた。 手掛かりは
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間