解説・IEAロードマップ⑥ :注目事項に対する考え方 (下)
田中 雄三
国際エネルギー機関(IEA)が公表した、世界のCO2排出量を実質ゼロとするIEAロードマップ(以下IEA-NZEと略)は高い関心を集めています。しかし、必要なのは世界のロードマップではなく、日本のロードマップです。

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本稿は、日本の国情に応じた実質ゼロのシナリオを作成するため、IEAの考え方を解説したものです。
(前回:解説・IEAロードマップ⑤)
(3) 電気自動車と燃料電池車の棲み分け
自動車産業は日本経済を支える極めて重要な産業で、中核技術である内燃機関を使用しない電気自動車に移行しようとしています。ハイブリッド車のあとは、燃料電池車との期待がありましたが、実質ゼロの時代にIEA-NZEで電気自動車と燃料電池車の棲み分けをどの様に説明しているのか紹介しました。
結論を要約すると、脱炭素時代には水素より電力に経済的優位があるため、一般に燃料電池車は電気自動車が使えない用途に限られます。一日の走行距離が長い大型トラックは、電気自動車ではバッテリーが過大になります。長距離走行の大型トラックのCO2排出を無くすため、2020年代にはバイオディーゼルが使用されますが、バイオ燃料は供給量が限られ、航空用などに優先的に使用されるため、長距離走行の大型トラックは燃料電池車に移行します。なお、高速道路を走行する大型トラックなどを対象に、電化道路システム(トロリー・トラックなど)の開発も行われており、燃料電池トラックの競合技術となるかもしれません。
(4) 脱炭素の水素製造コスト
IEA-NZEでは、脱炭素の水素製造は、水の電気分解か、CCUS付で天然ガス等から製造することになります。いずれを選択するかは、主に天然ガスと電力のコスト、およびCCUS立地の有無に依存します。CCUS付で天然ガスからの製造では、IEA-NZEで想定する2050年の水素製造コストは約1〜2米ドル/ kgで、天然ガスコストは通常、総製造コストの15〜55%を占めます。
水の電気分解は、学習効果と規模の経済により、2020年と比較して2030年までに設備投資コストが60%低減されます。電力源と地域に応じ、電力が総製造コストの50〜85%を占めるため、水素製造コストの低減は脱炭素電力のコスト低減に依存します。再生可能電力から水素を製造する平均コストは、今日の3.5〜7.5米ドル/ kgから、2030年には1.5〜3.5米ドル/ kg、2050年には1〜2.5米ドル/ kgに低下すると想定され、CCUS付で天然ガスから製造する水素コストと同水準になります。
水素をアンモニアや合成炭化水素燃料などに変換するには、更に高いコストが掛かります。しかし、その結果、輸送や保管が簡単になり、既存の輸送設備や航空エンジンなどと互換性を持つ可能性があります。アンモニアの場合、水素と比較して製造コストが約15%増加します。合成炭化水素燃料のコストは比較的高く、その用途は脱炭素燃料の選択肢が限られる航空用合成ケロシン(灯油)に限られます。
IEA-NZEにおける脱炭素の水素の世界的需要増加により、チリとオーストラリアは、水素の主要な輸出国になるという考え発表しました。天然ガス需要の減少に伴い、天然ガスからCCUSを利用して生産した水素を輸出するものです。但し、水素の長距離輸送は、エネルギー密度が低いために困難でコストがかかり、水素価格に約1〜3米ドル/ kgを追加する可能性があります。そのことは各国の事情により、水素の国内生産コストが、輸入水素より安価になる場合もあります。とはいえIEA-NZEでは、水素系燃料の国際貿易はますます重要になり、世界のアンモニアの約半分と合成液体燃料の3分の1が2050年に国際取引されると想定しています。
(5) ゼロカーボン対応建築物
IEA-NZEでは、2030年までに全ての国で「ゼロカーボン対応建築基準法」が施行され、ほぼ全ての既存の建物は2050年までに1回の徹底的な改修か、厳しいエネルギー効率基準を満たす新築が必要とされます。ゼロカーボン対応建築基準について、主な考慮事項は次のように説明されています。
◇建物の運用、建物の建設資材、およびコンポーネント製造からのCO2排出量をカバーしている。
◇建物のパッシブ設計(太陽の光と熱、自然の風の利用)、建物外皮の改善、高エネ性能の住宅設備機器により、建物コストとエネルギー供給の脱炭素化コストを低減するもの。
◇エネルギー供給は、可能な限り地元で利用可能な再生可能資源である太陽熱、太陽光発電、地熱などとして、公益事業規模のエネルギー供給の必要量を減らす。
◇建物の電力需要と電気自動車を含むエネルギー貯蔵機器の運用を管理し、建物が社会のエネルギーシステムに柔軟性を与える要素になる。
◇建物の材料使用に関する排出量実質ゼロも対象にする必要がある。セメントと鉄鋼の需要をベースラインと比較して3分の1以上低減でき、バイオ原料の革新的な建設資材の利用により更に低減する。
上記の説明には、既存住宅の改修にどの様に適用するのか理解し難い項目もあり、改修がどれ程の経済的負担になるか正確には想像できません。しかし、住宅の屋根に太陽光発電を設置するよりも大きな経済負担になるだろうと想像されます。
(6) 補足:太陽光発電などの電力システムへの統合コスト
日本では2030年のGHG削減目標が46%に見直されたことで、今年7月の発電コスト検証ワーキンググループで、2030年の電源別発電コストの試算結果が報告されました。原子力より太陽光発電(事業用)の発電コストが低くなると新聞で報じられました。
しかし、太陽光発電や風力発電を電力システムに受け入れ、需要に応じて安定に電力を供給するには、追加のコスト(統合コスト)が掛かります。翌月のワーキンググループで、統合コストの試算結果が報告されました。
表-2は、電源単独の発電コストと、統合コストを含めた総合的発電コストで、「基本政策分科会に対する 発電コスト検証に関する報告(令和3年9月14日差替)」に記載されている値です。太陽光発電の統合コストには、LNG火力や揚水発電などの電力調整コストが含まれているようです。議論が分かれる事柄であり、関心がある方は同報告を参照下さい。
表-3に、日本のエネルギー基本計画での2030年の電源構成と、2050年のIEAによる世界ロードマップの電源構成を示しました。日本が実質ゼロを達成するには、更に太陽光発電や風力発電を大幅に増やし、化石燃料火力をほとんど無くすことが必要です。そのような電源構成の下で、安定に電力を供給する統合コストは、2030年の試算より大幅に増大すると思われます。
太陽光発電は、晴れた日でも発電は昼間だけです。北海道と沖縄を除く日本全域で、雨天曇天が10日くらい続くことは、それほど希ではありません。不測の事態に備えるなら、1か月くらい続くことを考慮すべきかもしれませんが、明治以降の気象庁の記録や歴史書により検討すべきしょう。
確実に生じる発電変動として、太陽光発電や風力発電の季節変動があります。図-9、図-10は、2018年、2019年の日本の太陽光発電と風力発電の月間発電量の実績です。年初に比べ年末の発電容量には10%弱の増加があると思われ、その分を差し引いて考える必要があります。太陽光発電では5月から8月の発電量が多く、12月、1月の2倍近くです。一方、風力発電では、12月、1月の発電量が多く、夏季の2倍以上です。
太陽光発電と風力発電を同量くらい導入すれば、季節変動が相殺されるので都合がよいのですが、日本には風力発電に適した立地が乏しく、実質ゼロのためには、太陽光発電に大幅に依存した電源構成になります。
太陽光発電の夏季の余剰電力で、冬季の発電電力の低下を補おうとするなら、夜間1日分の電力貯蔵量の30倍前後の電力貯蔵が必要になります。揚水発電では容量が全く足りず、蓄電池では設備費があまりに過大になります。前述した水素方式の電力貯蔵は、電力貯蔵効率が30%前後と非常に低くのですが、他に適当な電力貯蔵の方法は無いようです。電力の安定供給のためには、脱炭素のディスパッチ電源の増加も必要になり、太陽光発電の統合コストは大きなものになると思います。
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田中 雄三
早稲田大学機械工学科、修士。1970年に鉄鋼会社に入社、エンジニアリング部門で、主にエネルギー分野での設計業務、技術開発に従事。本稿に関連し、筆者ウェブページと、アマゾンkindle版「常識的に考える日本の温暖化防止の長期戦略」もご参照下さい。

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