原子力規制委員会の「専門バカの壁」

2017年05月24日 14:00
アバター画像
アゴラ研究所所長

世の中で専門家と思われている人でも、専門以外のことは驚くほど無知だ。特に原子力工学のような高度に専門分化した分野だと、ちょっと自分の分野からずれると「専門バカ」になってしまう。原子力規制委員会も、そういう罠にはまっている。

今の田中俊一委員長は日本原子力研究所(原研)で放射線の遮蔽を研究し、次の委員長になる予定の更田豊志委員長代理は、原研では実験炉で燃料の研究をしていたという。つまり2人とも原発の安全規制の専門家ではなく、委員会に入ってから勉強し始めたのだ。

そして2人ともまだ理解してないことがある。原子力規制ではPRA(確率論的リスク評価)というが、むずかしい話ではない。リスクは確率的な期待値だという当たり前の話で、経済学部の学生は1年生で学ぶ。

たとえば青酸カリの致死量は300mgだが、タバコ1本の煙を吸って死ぬことはない。しかし青酸カリで死ぬ人は年間数人だが、タバコが原因で(多くは肺癌で)死ぬ人は年間13万人だから、タバコのリスク(期待値)は青酸カリよりはるかに大きい。つまり

リスク=ハザード×確率

だから、ハザード(1回の被害)がきわめて大きいが確率がゼロに近い青酸カリより、ハザードは小さいが確率の高いタバコのほうがリスクが大きいのだ。同じ理由で、原発より石炭火力のリスクのほうがはるかに大きい。原発を止めて石炭火力を動かすことによって、日本でも毎年少なくとも数百人が(呼吸器系疾患で)死んでいると推定される。

もう一つ原子力規制委員会が理解していないのが費用対効果である。これもむずかしい話ではなく、ある公的投資を実行するための必要条件は、そのコストとメリットが

コスト<メリット

となっていなければならないという当たり前の話だ。たとえば福島県で「除染」するコストは、今の経産省の見積もりで8兆円だが、それによって健康被害が減るメリットはゼロといってよい。今の福島の放射線レベルは最大でも年間20mSvぐらいで、それによって発癌性が高まる確率はゼロ(統計的に有意ではない)だから、除染は公共事業としてはやってはいけない。

ところが田中委員長も更田委員長代理も「確率論的リスクや費用対効果という考え方は取らない」という。これは民主党政権が、少しでも危険な原発はゼロにすると決めたためだ。確率論的に考えると、どう計算しても原子力のリスクは石炭火力より小さいが、田中氏も更田氏も自分の専門分野ではないので、政治家に反論できなかったのだ。

そういう経緯をすべて知っているのは、原子力規制庁の安井正也長官である。彼は原子力工学の専門家で、経産省では原子力政策課長など本流を歩んできた原子力規制のプロフェッショナルだ。3・11の事故対応も指揮し、彼が規制委員会の決定を実質的に決めているという。だとすれば安井長官がこうした確率論的リスクや費用対効果をどう考えているのか、知りたいものだ。

日本の組織では、厄介な問題は田中氏や更田氏のような「天皇」が形式的な責任をとり、実質的な決定を行う規制庁のような「幕府的存在」は責任を問われない。この「無責任の体系」を変えるためには、まず規制委員会と規制庁の情報交換を文書化して公開する必要がある。

This page as PDF

関連記事

  • よく日本では「トランプ大統領が変人なので科学を無視して気候変動を否定するのだ」という調子で報道されるが、これは全く違う。 米国共和党は、総意として、「気候危機説」をでっちあげだとして否定しているのだ。 そしてこれは「科学
  • 今回は気候モデルのマニア向け。 気候モデルによる気温上昇の計算は結果を見ながらパラメーターをいじっており米国を代表する科学者のクーニンに「捏造」だと批判されていることは以前に述べた。 以下はその具体的なところを紹介する。
  • 原田前環境相が議論のきっかけをつくった福島第一原発の「処理水」の問題は、小泉環境相が就任早々に福島県漁連に謝罪して混乱してきた。ここで問題を整理しておこう。放射性物質の処理の原則は、次の二つだ: ・環境に放出しないように
  • 11月16日~24日までアゼルバイジャンのバクーで開催されたCOP29に参加してきた。本稿ではCOP29の結果と今後の課題について筆者の考えを述べたい。 COP29は資金COP 2023年のCOP28が「グローバルストッ
  • 前回に続き、2024年6月に米下院司法委員会が公表した気候カルテルに関する調査報告書についてお届けします。 (前回:気候カルテルの構図はまるで下請け孫請けいじめ) 今回は、司法委員会の調査に対して気候カルテルが逃げ回って
  • 27日の日曜討論で原発再稼働問題をやっていた。再稼働論を支持する柏木孝夫東京工業大学特命教授、田中信男前国際エネルギー機関(IEA)事務局長対再稼働に反対又は慎重な植田和弘京都大学大学院教授と大島堅一立命館大学教授との対論だった。
  • ロシアからの化石燃料輸入に依存してきた欧州が、ロシアからの輸入を止める一方で、世界中の化石燃料の調達に奔走している。 動きが急で次々に新しいニュースが入り、全貌は明らかではないが、以下の様な情報がある。 ● 1週間前、イ
  • カナダが熱波に見舞われていて、熱海では豪雨で土砂災害が起きた。さっそく地球温暖化のせいにするコメンテーターや自称有識者が溢れている。 けれども地球の気温はだいだい20年前の水準に戻ったままだ。 図は人工衛星による地球の大

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑