原子力発電所の安全目標はどうあるべきなのか
原子力発電所の安全目標は長年店晒しだった
福一事故の前、2003年に旧原子力安全委員会が安全目標案を示している。この時の安全目標は以下の3項目から構成されている。
①定性的目標:原子力利用活動に伴って放射線の放射や放射性物質の放散により公衆の健康被害が発生する可能性は、公衆の日常生活に伴う健康リスクを有意には増加させない水準に抑制されるべきである。
②定量的目標:原子力施設の事故に起因する放射線被ばくによる、施設の敷地境界付近の公衆の個人の平均急性死亡リスクは、10-6/炉年程度を超えないように抑制されるべきである。また、原子力施設の事故に起因する放射線被ばくによって生じ得るがんによる、施設境界付近の公衆の平均死亡リスクは、年あたり百万分の1程度を超えないように抑制されるべきである。
③性能目標:炉心損傷確率(CDF):10-4/炉年程度
格納容器機能喪失頻度(CFF):10-5/炉年程度
しかし、決定に至らぬまま福一事故に至った。
これらの案は原子力安全委員会安全目標専門部会で決定されたものであった。
原子力規制委員会は新たな安全目標案を決定した
原子力規制委員会は2013年4月10日に、
① 事故の発生確率は100万分の1以下、
② 事故の際の放射性物質の放出量は100テラベクレル以下
をこれまでの目標に追加する安全目標を決めた。原子力発電所を規制基準通りに建てたとしても、確率論的リスク解析(PSA)の結果、上記の安全目標を達成できていなかった場合は、事業者自身が安全目標をクリアするまで自主的に規制基準を厳しくしなければならないこととした。もし、安全目標をクリアしていなかったら、本来は政府が法(規制基準)を改正しなければならないが、法改正前に自主的に基準以上の対策をするよう義務付けたのが新ルールの大きな特徴である[注1]。鹿児島地方裁判所の判決[注2]で「安全目標を満たしているから安全」としているのはこのためである。
一見、良いことを決めたように見えるが、問題が2つある。一つは国(規制基準)の目標である安全目標と事業者が実施すべき安全対策とがごっちゃにされていることである。後述するように、海外では政府の役割と事業者の役割を峻別している。日本では福一事故前、シビアアクシデント対策で政府と事業者の役割がごっちゃにされており、事業者が十分な対策をとっていなかった。それを反省してシビアアクシデント対策の国と事業者の役割分担を明確化した。なのに、この新たな安全目標は明らかに国と事業者の役割の線引きが曖昧にされている。
2つ目の問題は放射線による被ばく対策が不明確なことである。今回の事故では確かに放射線被ばくの犠牲者はいなかった[注3]が、それは早期避難をしたからである。もし避難していなかったら線量が高くなった“帰還困難地域”に住んでいた人たちの放射線被ばく線量は高くなっていたはずである。早期避難のために住民が被ばくしなかっただけのことである。放射線による被ばく犠牲者を出さないようにという安全目標を外しても良いのかどうかは慎重な議論が必要である。
海外では安全目標を政府の目標にしている
海外で安全目標を直接、事業者に義務付けている国はない。安全目標の決め方はまちまちだが、どの国も政府の目標にしているのが特徴である[注4]。
〇米国:安全目標は規制の適切性を評価する尺度であり、新設の発電所については適合性確認を必要とされているが、既設の個々の発電所の規制には用いない。
〇仏国:絶対値を用いた安全目標は設定していない。
〇英国:許認可で満足すべき基準として基本 安全限度(BSL),規制でこれ以上のリスク低減要求をしない基準として基本安全目標(BSO)が定められてい。(安全評価原則(SAP))
〇フィンランド:新設炉の設計段階で満足すべき基準として確率論的設計目標が定められている。
フィンランドは深層防護をどう決めているか
事故時の放射性物質の放出量を100テラベクレル以下に規制することを安全目標に掲げている国は、我が国を除くとフィンランドだけである。100テラベクレル以下と言う、我が国の安全目標はフィンランドが深層防護の第4層の放射性物質放出量制限値をセシウム137換算で100TBq以下としていることに倣ったものだと思われる。
フィンランドの場合、深層防護の各層にPSAの目標値が定められている。各層のPSA目標は以下の通りとされている。(各層の定義は我が国と同じである)
第2層は10-2/炉年以下、
第3a層は10-2~10-3/炉年(DBC3クラス)、10-3/炉年以下(DBC4クラス)
第3b層は10-7~10-4/炉年
第4層は10-5/炉年以下、ただし放射性物質の放出量はCs137換算で100TBq以下。
[注1] 原子力規制委員会資料6-2, 2013.3.6
[注2] 川内原発の安全性を認めた2015年4月22日付判決。
[注3] 正確には双葉病院の避難の際、約50名もの犠牲者が出たが、いずれも原因は放射線被ばくでなく、避難支援の仕方であった。現在は要支援者は早めに避難準備する等の対策が取られている。
[注4] 総合資源エネルギー調査会「原子力の自主的安全性向上に関するWG 第3回会」資料4,2015.9.11

関連記事
-
先週、3年半ぶりに福島第一原発を視察した。以前、視察したときは、まだ膨大な地下水を処理するのに精一杯で、作業員もピリピリした感じだったが、今回はほとんどの作業員が防護服をつけないで作業しており、雰囲気も明るくなっていた。
-
エネルギー問題では、常に多面的な考え方が要求される。例えば、話題になった原子力発電所の廃棄物の問題は重要だが、エネルギー問題を考える際には、他にもいくつかの点を考える必要がある。その重要な点の一つが、安全保障問題だ。最近欧米で起こった出来事を元に、エネルギー安全保障の具体的な考え方の例を示してみたい。
-
日経新聞によると、経済産業省はフランスと共同開発している高速炉ASTRIDの開発を断念したようだ。こうなることは高速増殖炉(FBR)の原型炉「もんじゅ」を廃炉にしたときからわかっていた。 原子力開発の60年は、人類史を変
-
バックフィットさせた原子力発電所は安全なのか 原子力発電所の安全対策は規制基準で決められている。当然だが、確率論ではなく決定論である。福一事故後、日本は2012年に原子力安全規制の法律を全面的に改正し、バックフィット法制
-
上野から広野まで約2時間半の旅だ。常磐線の終着広野駅は、さりげなく慎ましやかなたたずまいだった。福島第一原子力発電所に近づくにつれて、広野火力の大型煙突から勢い良く上がる煙が目に入った。広野火力発電所(最大出力440万kw)は、いまその総発電量の全量を首都圏に振向けている。
-
国会の事故調査委員会の報告書について、黒川委員長が外国特派員協会で会見した中で、日本語版と英語版の違いが問題になった。委員長の序文には、こう書かれている
-
IAEA(国際原子力機関)は8月31日、東京電力福島第一原発事故を総括する事務局長最終報告書を公表した。ポイントは3点あった。
-
次にくる問題は、国際関係の中での核燃料サイクル政策の在り方の問題である。すなわち、日本の核燃料サイクル政策が、日本国内だけの独立した問題であり得るかという問題である。
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間