「ゼロリスク脳」とのつきあい方

福島第一原発の処理水タンク(東電ポータルサイトより)
新型コロナ騒動は客観的には大勢が決したと思うが、世論は意外に動かない。NHK世論調査では「緊急事態宣言を出すべきだ」と答えた人が57%にのぼった。きょう出るとみられる指定感染症の見直しについても、マスコミでは否定的な意見が多い。
こういう現象は9年前の福島第一原発事故のときも起こった。微量の放射能を恐れる人々は「放射脳」と呼ばれてバカにされたが、今回の「コロナ脳」はそれより多い。福島のときは冷静にリスクを見た人が、「ウイルスを根絶しろ」などという非合理的な主張をしている。
このような行動様式には法則性がある。これをゼロリスク脳と呼ぶことにすると、その特徴は次のようなものだ。
- 特定のリスクを絶対化する:多くのリスクのトレードオフを考えないで、コロナや放射能のリスクだけをゼロにしようとする。「コロナよりインフルのほうがたくさん死んでいる」と指摘すると、「コロナにはワクチンがないから恐い」という。インフルにはワクチンがあってもコロナよりたくさん死んでいるのだが、その比較を拒否する。
- 不確実性をきらう:コロナは未知の感染症だから特別だ、とコロナ脳は考える。未知だということは今までの感染症より小さなリスクである可能性もあるわけだが、彼らはそう考えない。これはエルズバーグ・パラドックスとして知られている。
- 最大の損失を最小化しようとする:感染症や放射能のように大きな不確実性に直面したとき、人々は経済学の想定する「期待効用最大化」のような行動はとらない。こういうときは脳のスイッチが切り替わり、「42万人死ぬ」といった考えられる最悪の場合のリスクを最小化しようとするミニマックス原理で行動する。
- 安全ではなく安心を求める:科学的に安全でも、心理的な安心を求めて際限なくリスクを回避する。その典型が福島第一原発のトリチウムを含む「処理水」の問題である。環境基準以下に薄めて流せば人体に危険はないが、恐いという風評がある限り海洋放出に反対する。
- 不安が自己実現する:政治がこういう不安に迎合すると、人々は「海洋放出できないのは危険だからだろう」とますます不安になる。科学的な安全性が証明されても、「風評被害」が収まらない限り海洋放出できない。不安が不安を呼ぶ悪循環が起こるのだ。
科学が風評に負けてはいけない
このようなゼロリスク脳には、共通の法則がある。恐怖は進化の早い段階で生まれた感情で、すべての脊椎動物にそなわっている。敵から逃げることは生存にとってもっとも重要な行動なので、恐怖は他のすべての感情に優先して起動するのだ。
未知の動物が近寄ってきたとき「これは敵か味方か」と合理的な遅い思考で推論していると捕食されるので、瞬時に逃げる速い思考が作動する。これは生存にとって必要な衝動なので、すべての人が遺伝的に身につけている。
それは大脳の特定の部位に集中しているわけではないが、進化の初期の段階でできた辺縁系などの古い脳にあるとされている。こういう恐怖は、大脳皮質などの新しい脳で論理的に説得することはできない。
ではどうすればいいのだろうか。これはむずかしい問題だが、一ついえるのは新しい脳が古い脳に負けてはいけないということだ。「科学が風評に負けるのは国辱だ」というのは石原慎太郎氏の名言だが、科学的に証明できない安心を求めると際限がなくなる。
福島の最大の失敗は、ゼロリスクを追求する反原発派の主張に民主党政権が迎合して、際限なく安心を追求し、非現実的な安全基準を設定し、莫大なコストをかけて除染を行ない、法的根拠なくすべての原発を停止したことだ。
こうした政府の行動によって人々の不安が正当化され、古い脳に刷り込まれてしまった。原発を停止した原子力規制委員会の田中俊一委員長が、あとになって「処理水は薄めて流すしかない」といっても、人々の不安は収まらない。
9月8日に開催するアゴラシンポジウム「福島処理水 ”ゼロリスク”とどう戦うか?」では、処理水の問題を素材にして、放射能にもコロナにも共通する日本社会に共通の問題を考え、その解決策をさぐる。

関連記事
-
3月26日公開。アゴラ・GEPRは映像コンテンツを配信し、その中で「Vlog」という短い映像を提供している。21世紀政策研究所の研究主幹・澤昭裕さんの主張。原子力規制の運用について、「規制哲学」に焦点をあてて研究を行い、規制委の制度見直しの提案を試みるという。また現場に即した福島事故の教訓を学びとり、日本と世界の原子力技術者に役立つように、教材にしようと考えているそうだ。
-
(前回:温室効果ガス排出量の目標達成は困難③) 田中 雄三 風力・太陽光発電の出力変動対策 現状の変動対策 出力が変動する風力や太陽光発電(VRE)の割合が増大すると、電力の積極的な需給調整が必要になります。前稿③の「E
-
ある政府系財団の科学コミュニケーションセンターで、関係者がTwitterで「専門家による意義深い取り組みです」と、学者が科学知識を伝える組織の活動を紹介していた。科学技術と社会の関係は関心のある領域で、私はこうした情報をウォッチしている。しかし、ちょっと腹が立った。そこには「福島」「原発事故」という文字がない。挑発はよくないが、私はその関係者に次の皮肉を送ってしまった。
-
アメリカ人は暑いのがお好きなようだ。 元NASAの研究者ロイ・スペンサーが面白いグラフを作ったので紹介しよう。 青い曲線は米国本土48州の面積加重平均での気温、オレンジの曲線は48州の人口加重平均の気温。面積平均気温は過
-
言論アリーナ「柏崎原発は動くのか~迷走する原子力行政を考える~ 」を公開しました。 ほかの番組はこちらから。 東電の柏崎刈羽原発6・7号機が原子力規制委員会の審査に合格しましたが、地元が反対しているので、いつ再稼動で
-
米国の元下院議長であった保守党の大物ギングリッチ議員が身の毛がよだつ不吉な予言をしている。 ロシアがウクライナへの侵略を強めているのは「第二次世界大戦後の体制の終わり」を意味し、我々はさらに「暴力的な世界」に住むことにな
-
最近、言論圧迫を政治の右傾の結果だとして非難する傾向が強いが、それは、非難している人たちが左派に属しているからだろう。現在、言論を本当に抑圧されているのは大概は右派の方だ。しかし、実態はなかなか国民の耳には届かない。 現
-
「40年問題」という深刻な論点が存在する。原子力発電所の運転期間を原則として40年に制限するという新たな炉規制法の規定のことだ。その条文は以下のとおりだが、原子力発電所の運転は、使用前検査に合格した日から原則として40年とし、原子力規制委員会の認可を得たときに限って、20年を越えない期間で運転延長できるとするものである。
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間