日本が突入する「2050年排出ゼロ」という必敗の戦争
猪瀬直樹氏が政府の「グリーン成長戦略」にコメントしている。これは彼が『昭和16年夏の敗戦』で書いたのと同じ「日本人の意思決定の無意識の自己欺瞞」だという。
「原発なしでカーボンゼロは不可能だ」という彼の論旨は私も指摘したことだが、違うのは私が「原発の運転延長や新増設が必要だ」というのに対して、猪瀬氏は原発や石炭に頼る日本は「世界の笑い者」になるという点である。彼はこう書く。
2050年の前に2030年の目標を明確にしない限り玉虫色で誤魔化しているのは現実的な対応とはいえない。つまり原発がないのにあるというのはあるある詐欺で、ほんとうはそのぶんの再生エネ比重を増やさないと間に合わないはずだ。
原発なしの「排出ゼロ」には毎年100兆円以上かかる
これは原発をやめて再エネの比重を増やせという話だが、そもそも「カーボンゼロ」は可能なのだろうか。次の表はパリ協定の「2050年80%削減」を実行するためのコストを地球環境産業技術研究機構(RITE)が推定したものだが、排出削減費用は毎年43兆円~72兆円となっている。これは毎年の数字なので、2050年までにはその30倍かかる。

RITE資料
削減費用に大きな差があるのは、原子力発電フェーズアウトの有無で違うからだ。現状(BAU)のままだと原発は2050年にはゼロになるので、これを前提にして80%削減するには毎年72兆円かかる。原発を延命しても43兆円である。RITEは「排出実質ゼロは不可能」として計算していないが、そのコストは(可能だとしても)毎年100兆円を下らないだろう。
世界全体でも、国連の計算では80%削減に必要なコストは毎年1兆ドル以上だが、それはパリ協定の約束草案を完全実施しても実現できない。RITEの表に「約束草案電源構成比率継続:実行可能解なし」と書いてある通りだ。パリ協定の約束では、その目標とする80%削減も2℃目標も実現できないのだ。
日本から製造業の生産拠点がなくなる
日本がカーボンニュートラルにしても、地球の平均気温は0.01℃しか下がらないが、そのコストは莫大である。火力も原子力もやめて発電を再エネ100%にすると、蓄電コストだけで1.54億円の1億倍(1.54京円)かかる。政府のグリーン成長戦略も認めるように、電力需要を100%再エネでまかなうことは不可能なのだ。

グリーン成長戦略より
上の図で自動車がすべて電気自動車(EV)になると、運輸のCO2(2億トン)はゼロになるが、国内から自動車工場はなくなるだろう。鉄鋼やセメントや石油化学などの産業用(3億トン)をゼロにするには、企業は政府に規制されるより海外移転することが合理的だ。
つまり国内から製造業の生産拠点がなくなり、1000万人の雇用が失われることがグリーン成長戦略の帰結である。2兆円の「グリーン基金」は、そのコストの1週間分にもならない。そんなことは官僚もわかっているので、グリーン成長戦略にはコスト計算がなく、こう書かれている。
「発想の転換」、「変革」といった言葉を並べるのは簡単だが、 実行するのは、並大抵の努力ではできない。
これは昭和16年8月28日に総力戦研究所が「日米戦争は必敗だ」という結論を出したのと同じだ。それに東條英機陸相は「戦争はやってみなければわからぬ。日露戦争も勝てるとは思わなかった」とコメントし、それから10日もたたない9月6日の御前会議で日米開戦の方針を決めた。
今も菅首相は「2050年カーボンニュートラル」という必敗の戦争に突入しようとしている。そのとき彼の決断を左右するのは官僚の積み上げた数字ではなく、猪瀬氏のようなマスコミの作り出す「世界の笑い者」になるとか「ESG投資の流れに乗り遅れるな」という空気なのだ。日本人はあの戦争から何も学んでいない、という猪瀬氏の感想には私も同感である。

関連記事
-
このタイトルが澤昭裕氏の遺稿となった論文「戦略なき脱原発へ漂流する日本の未来を憂う」(Wedge3月号)の書き出しだが、私も同感だ。福島事故の起こったのが民主党政権のもとだったという不運もあるが、経産省も電力会社も、マスコミの流す放射能デマにも反論せず、ひたすら嵐の通り過ぎるのを待っている。
-
石炭火力発電はCO2排出量が多いとしてバッシングを受けている。日本の海外での石炭火力事業もその標的にされている。 だが日本が撤退すると何が起きるのだろうか。 2013年以来、中国は一帯一路構想の下、海外において2680万
-
権威ある医学誌The Lancet Planetary Healthに、気候変動による死亡率の調査結果が出た。大規模な国際研究チームが世界各地で2000~2019年の地球の平均気温と超過死亡の関連を調査した結果は、次の通
-
3月初めにEUの環境政策関係者に激震が走った。 「欧州グリーンディール」政策の一環として2021年7月にEUが発表した、2030年までに温室効果ガスの排出を90年比55%削減するという極めて野心的な目標をかかげた「FIT
-
今回は長らく議論を追ってきた「再生可能エネルギー大量導入・次世代ネットワーク小委員会」の中間整理(第三次)の内容について外観する。報告書の流れに沿って ①総論 ②主力電源化に向けた2つの電源モデル ③既認定案件の適正な導
-
ESGもSDGsも2021年がピークで今は終焉に向かっていますが、今後「グリーンハッシング」という言葉を使ってなんとか企業を脱炭素界隈にとどめようとする【限界ESG】の方々が増えそうです。 誠実で正直な情報開示や企業姿勢
-
原子力発電に関する議論が続いています。読者の皆さまが、原子力問題を考えるための材料を紹介します。
-
前回に続いてルパート・ダーウオールらによる国際エネルギー機関(IEA)の脱炭素シナリオ(Net Zero Scenario, NZE)批判の論文からの紹介。 A Critical Assessment of the IE
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間