トヨタは日本から出て行くのか
3月11日に行われた日本自動車工業会の記者会見で、豊田章男会長(トヨタ自動車社長)は「今のまま2050年カーボンニュートラルが実施されると、国内で自動車は生産できなくなる」と指摘した。キーワードはライフサイクルアセスメント(LCA)である(27:00~)。
豊田氏は「車をEVにすればゼロエミッションになる」という考え方は誤りだと指摘し、発電から廃棄までのライフサイクルで考えるべきだと強調した。電池の生産や充電に使われる電力の発電で排出されるCO2を考えると、電源構成で環境負荷が変わるからだ。
日本で生産した自動車がEUに輸出できなくなる
日本の電力は(原発が止まっているため)火力が75%だが、フランスは電源の77%が原子力で火力は11%なので、日本で生産したヤリスよりフランスで生産したヤリスのほうがCO2排出が少ないという計算になる。
EUは2030年代にEV(電池駆動車)だけを電気自動車と認め、内燃機関(ICE)とともにハイブリッド車(HV)を禁止し、LCA規制を強化してCO2排出に高率の国境炭素税(関税)をかける方針だ。このままでは日本で生産した自動車は、EUに輸出できなくなるおそれがある。
かつて自動車生産のグローバル化が進んだとき、人件費の安い国でつくろうということで海外に生産を移転する空洞化が起こったが、これからはCO2排出の少ない国に工場が移転する空洞化が起こるだろう。フォルクスワーゲンはスウェーデンに電池工場を建てる。スウェーデンの電源の40%は水力、40%が原子力で、火力は1%だからだ。
次の表は日本の自動車生産台数と輸出台数だが、国内生産968万台のうち482万台が輸出されている。もしEUに輸出できなくなると国内生産は半減するので、自動車産業は国内で成り立たない。自動車の雇用は550万人だが、そのうち70~100万人の雇用が失なわれ、貿易黒字が15兆円減少する見通しだ、と豊田社長は警告している。

自動車工業会の資料より
「カーボンニュートラル」はEUの罠
国際競争のルールも変わる。今まではいい車を安くつくる技術が競争優位の源泉だったが、これからは脱炭素化でCO2規制を逃れる戦略が重要になる。
池田直渡氏が指摘するように「EUは日本を不利にできるEV戦略を立て、「HVはICEの仲間」という風説を広めるのに躍起になっている。そういうメーカーの都合に合わせるべく、政治が一体になってシナリオを作成して、自国に有利なルールと世論を作ろうとしているのだ」。
EUがHVを禁止するのは、トヨタが圧倒的な競争優位をもつHVをつくる技術力がEUの自動車メーカーにないからだ。これは陰謀論だと思う人も多いだろうが、私には既視感がある。
2002年、京都議定書が国会で全会一致で承認されたとき、経産省の澤環境政策課長は全省庁の会議で「EUの罠にはまって過大な削減義務を課せられた」と反省した。1997年に決まった京都議定書の基準年が1990年になっていたのは、東欧の社会主義の崩壊で、古い工場を改築するだけでEUのCO2排出量が激減したからだった。
日本は「地球を守ろう」という美辞麗句の罠にはまり、マイナス6%という過大な削減枠を飲んでしまった。結果的にはEUはマイナス15%と目標(マイナス7%)を超過達成したが、日本はプラス10%になり、排出枠を中国とロシアから数千億円で買うはめになった。
こういう複雑な事情を何も知らない小泉環境相が音頭をとるカーボンニュートラルは、京都議定書の失敗をくり返すおそれが強い。電源を脱炭素化する最短の対策は原発の再稼動だが、菅政権にはそれを進める覚悟もない。このままではトヨタは(新工場をフランスやスウェーデンに建設して)日本から出て行くだろう。
2000年代以降の日本の「デフレ」の正体は製造業の空洞化だが、自動車だけは辛うじて国内に残った。中でも世界最強の競争力を誇るトヨタは、製造業の最後の拠点だ。トヨタが日本から出て行く日は、日本から製造業が消える日である。
この問題も4月から始まるアゴラ経済塾「資本主義は脱炭素化できるか」で議論したい。続きはアゴラサロンで。

関連記事
-
地球温暖化の正しい測定は難しい。通常の気象観測では捉えきれない僅かな変化を、理想的な環境で100年以上観測し続ける必要あるからだ。 気象観測は世界各地で行われているが、このような分析に耐えるデータセットはまだ存在しない。
-
バズフィードとヤフーが、福島第一原発の処理水についてキャンペーンを始めたが、問題の記事は意味不明だ。ほとんどは既知の話のおさらいで、5ページにようやく経産省の小委員会のメンバーの話が出てくるが、海洋放出に反対する委員の話
-
7月22日、インドのゴアでG20エネルギー移行大臣会合が開催されたが、脱炭素社会の実現に向けた化石燃料の低減等に関し、合意が得られずに閉幕した。2022年にインドネシアのバリ島で開催された大臣会合においても共同声明の採択
-
以前、2021年の3月に世界の気温が劇的に低下したことを書いたが、4月は更に低下した。 データは前回同様、人工衛星からの観測。報告したのは、アラバマ大学ハンツビル校(UAH)のグループ。元NASAで、人工衛星による気温観
-
我が国の2030年度の温室効果ガスの削減目標について、2050年カーボンニュートラルと整合的で、野心的な目標として、2013年度から46%削減を目指すこと、さらに、50%の高みに向け、挑戦を続けていきます。トップレベルの
-
政府のエネルギー・環境会議による「革新的エネルギー・環境戦略」(以下では「戦略」)が決定された。通常はこれに従って関連法案が国会に提出され、新しい政策ができるのだが、今回は民主党政権が残り少なくなっているため、これがどの程度、法案として実現するのかはわからない。2030年代までのエネルギー政策という長期の問題を1年足らずの議論で、政権末期に駆け込みで決めるのも不可解だ。
-
米国バイデン政権は24日、ウイグルでの強制労働に関与した制裁として、中国企業5社の製品の輸入を禁止すると発表した(ホワイトハウス発表)。 対象となったのは、 (A)Hoshine Silicon Industry (Sh
-
元ソフトバンク社長室長で元民主党衆議院議員であった嶋聡氏の「孫正義の参謀−ソフトバンク社長室長3000日」を読んだ。書評は普通本をほめるものだが、この読書は「がっかり」するものだった。
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間