ドイツから日本のマスクの人々を見て思うこと
ドイツでは、マスクの着用が感染予防のための止むを得ない措置として、各州で厳格に義務付けられていた時期があった。ただ、ドイツ人にとってのマスクは、常に“非正常”の象徴だったらしく、着用義務が解除された途端、ほとんどの人がマスクを外し、辺りの景色はあっという間に昔に戻った。
例外であった公共交通機関内でのマスク義務もすでにほとんど解除され(各州によって若干、時期が異なる)、空港などでは用心のために着用者が比較的多いが、基本的に全て任意だ。
1月18日には、2021年に開催されたサッカーの欧州杯で計84万人がコロナに新規感染したという研究結果が発表されたが、もう誰も騒ぎもしなかった。つまり、コロナはさまざまなダメージや後遺症を残しながらもすでに収束しており、それはドイツだけではなく、正常化を望む欧米のほとんどの国で共通している。
ところが、常にEUに追随している日本が、これだけはそうならない。電車の中はもちろん、人もまばらな戸外でも皆、マスクを着けている様子は、コロナを過去のものとしたくない気持ちがどこかで働いているようにさえ見える。しかも、日本の特徴は、マスク着用の有無について、かなり感情的な議論がなされていること。
「マスクをしている人は他人を思いやっているのだなと、共感を感じる」という友人の意見に、私はかなり違和感を持ったが、それがさらに進化したのか、「マスクをしないのは他者への配慮や優しさに欠ける人」という批判をインターネット上で読んだ時には、これは危険な兆候ではないかと思った。

kuremo/iStock
マスク着用の有無が、人間としての資質やら善悪に結び付けられている。そもそも、これだけ皆がマスクをしていても感染は広がっているのだから、マスクにはほとんど予防効果がないと考える方が科学的ではないか。しかし、多くの人の頭の中では、マスクは感染予防の目的をとっくに離れ、何かカルトに近いものに発展しつつあるような気もする。
私はマスクについては、顔の半分を隠し、表情による感情表現が希薄になるという事実だけをとっても非常に危惧すべきであり、健全な社会を取り戻すためには、マスクはできる限り早く無くさなければならないと思っている。ところが、ある議員は、「目の不自由な人は他人の表情を読み取れないが、だからと言って発育が妨げられるわけではない」という意見を述べていた。これこそ論点のすり替えだ。
体の不自由な人は、それを補うための特殊な能力を身につけるし、それらの能力に私たちは多大な敬意を払う。しかし、その能力を万人が持たなければいけない理由を、私は見つけられない。人間が、相手の表情を見ながら集団生活をするのはごく自然なことであり、その自然さをわざわざ妨げることは間違いだと思う。
12月21日の産経新聞によれば、マスクの着用が緩和されても、76.7%の人がマスクを着用すると答えている。しかも、すでに4割の人は感染対策以外の目的で着用しているという。
その目的とは、女性の第1位が「お化粧をしていないことを隠せる(60.3%)」、2位が「エチケット(42.6%)」、3位が「素顔を見せることが恥ずかしい(41.8%)」。男性では、1位が「エチケット(46.2%)」、2位が「髭を剃っていないことを隠せる(30.6%)」、3位が「口臭を隠せる(19.4%)」。
いずれにせよ、私はこの調査結果を見て愕然とした。どれもものすごく内向きだ。自分の「〇〇を隠せる」というのはあまりにも消極的な動機ではないか。特に、「素顔を見せることが恥ずかしい」となると、ほとんど生命力の低下という気がする。また、エチケットのためというが、私は、よほど咳が激しいのでもない限り、従来の常識から言うなら、マスクをしたまま人に挨拶する方が失礼だと感じる。
なお、ここでいうエチケットというのは、おそらく、マスクなしの人がそばに来ると怖いと感じる人に対する思いやりという意味で、これが前述の「他者への配慮や優しさ」というマスクの意義に繋がるのだろうが、人の感じ方は様々だから、世の中には必ず心配性の人が一定数いる。だから、そんなことを言い始めたら配慮や優しさがいくらあってもキリがない。
なお、ここには書かれていないが、「皆がしているから」という理由もかなり大きいだろう。というか、私は、それが実は一番大きいと思っている。「周りを見てからようやく自分も行動する」という日本人の特性は、調和を重視するという意味では美徳だが、時に非常に評判が悪く、すでに海外でも揶揄されるほどだ。ただ、残念ながら、普段の国民の生活を見ても、あるいは政治家の外交方針などでも、確かにその通りと思うことは多い。マスクに関しても、この特性が顕著に出ているようだ。
そもそもついこの前までは、顔を隠すのは、防犯カメラで身元を特定されたくないコソ泥や銀行強盗だけだった。それなのに、なぜ、今、これが急にエチケットになり、皆、自分の顔が恥ずかしくなったのか? 顔を隠し、感情を出さない社会が、健全であるとは絶対に思えない。そういう社会で子育てをしてほしくもない。日本はなぜ、こんなに元気のない国になってしまったのかと思うと、とても悲しい。
1月19日、ドイツの主要メディアの大御所である第2テレビが、夜7時のメインニュースで、コロナ後遺症、及びワクチン後遺症に苦しんでいる人たちが共に立ち上がったという報道があった。
これまでLong Covidと言って、コロナが治った後も、ひどい倦怠感などが回復せず、仕事はおろか、普通の日常生活もできなくなってしまう人の話は出ていたが、それがコロナの後遺症と認められることはほとんどなく、治療してくれる病院もなかった。
そこで、コロナ後遺症を正式に認めてほしいという運動が起こっていたのだが、今回はその輪の中に、ワクチン被害を訴える人たちが加わった。つまりワクチン接種後、Long Covidと同じような症状や、あるいは心筋梗塞や脳梗塞、肺血栓などという深刻な疾病に苦しんでいる人たちが、共に助けを求めているわけだ。後者には、Post-Vac-Syndromという名前が付いている。
第2テレビが報道したのは、彼らが19日に国会議事堂前の広場で行った抗議活動の様子で、何百もの野戦用の簡易ベッドが整然と並べられ、その一つ一つのベッドの上に抗議者の写真が置かれた。
Long Covid: Protestaktion vor dem Bundestag
現在、このコロナワクチン後遺症の実態を研究し、その治療に乗り出している数少ない病院の一つがマールブルクの大学病院だが、すでに治療を受けたい人が6000人も順番を待っているという。
この動きに対し、これまでワクチン接種を進めてきたラウターバッハ保健相は、ワクチン接種を推奨する方針は変えないまま、しかし、同日、これらの研究に政府が1億ユーロの補助金を出すということを表明した。どこかの国の大臣のように、「自分は運び屋だから」などと逃げを打つことはない。
エネルギー政策では、「ドイツの真似をするな」と言い続けている私だが、マスクに関しては、健全な社会に戻そうと舵を切り換えたドイツのやり方の方に賛同する。また、ワクチンの副作用についても総括を求めようとしていることは、極めて真っ当だと思う。
それに比べて日本では、間違いを認めると自分に責任がかかってくるからか、目を瞑ったままこれまでの政策が継続されていく。メディアも、一緒にコロナ禍を煽ってきた前科があるせいだろう、見直しや修正には今のところ乗り気ではなさそうだ。だからこそ、本来なら国民が目を覚さなければならないはずなのに、それも滞っている。いったい皆、誰に遠慮しているのだろう。
■

関連記事
-
GEPR編集部より。このサイトでは、メディアのエネルギー・放射能報道について、これまで紹介をしてきました。今回は、エネルギーフォーラム9月号に掲載された、科学ジャーナリストの中村政雄氏のまとめと解説を紹介します。転載を許諾いただきました中村政雄様、エネルギーフォーラム様に感謝を申し上げます。
-
ドイツ銀行傘下の資産運用会社DWS、グリーンウォッシングで2700万ドルの罰金 ロイター ドイツの検察当局は、資産運用会社のDWSに対し、2500万ユーロ(2700万ドル)の罰金を科した。ドイツ銀行傘下のDWSは、環境・
-
全原発を止めて電力料金の高騰を招いた田中私案 電力料金は高騰し続けている。その一方でかつて9電力と言われた大手電力会社は軒並み大赤字である。 わが国のエネルギー安定供給の要は原子力発電所であることは、大規模停電と常に隣り
-
去る6月23日に筆者は、IPCC(国連気候変動政府間パネル)の議長ホーセン・リー博士を招いて経団連会館で開催された、日本エネルギー経済研究所主催の国際シンポジウムに、産業界からのコメンテーターとして登壇させていただいた。
-
G7気候・エネルギー・環境大臣会合がイタリアで開催された。 そこで成果文書を読んでみた。 ところが驚くことに、「気候・エネルギー・環境大臣会合」と銘打ってあるが、気候が8、環境が2、エネルギー安全保障についてはほぼゼロ、
-
政策アナリストの6月26日ハフィントンポストへの寄稿。以前規制委員会の委員だった島崎邦彦氏が、関電の大飯原発の差し止め訴訟に、原告の反原発運動家から陳述書を出し、基準地震動の算定見直しを主張。彼から規制委が意見を聞いたという内容を、批判的に解説した。原子力規制をめぐる意見表明の適正手続きが決められていないため、思いつきで意見が採用されている。
-
「再エネ発電の一部で規律に課題、停電に至ったケースも」と電気新聞が報じている: 送配電網協議会は6日、経済産業省などが開いた再生可能エネルギーの事業規律を強化するための有識者会合で、一部再エネ発電事業者の運用や工事面の問
-
ドレスデンで橋が崩れた日 旧東独のドレスデンはザクセン州の州都。18世紀の壮麗なバロック建築が立ち並ぶえも言われぬ美しい町で、エルベ川のフィレンツェと呼ばれる。冷戦時代はまさに自由世界の行き止まりとなり、西側から忘れられ
動画
アクセスランキング
- 24時間
- 週間
- 月間