COP30でブラジルが掲げた「脱炭素燃料4倍化」の矛盾とは?

2025年11月12日 06:40
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技術士事務所代表

ConceptualArt/iStock

今年のCOP30の首脳級会合で、ブラジル政府は「脱炭素燃料の利用を4倍にする」という大きな提案を行った。森林大国・再エネ大国のブラジルが、世界の脱炭素を主導するという文脈で評価する声もある。しかし、この提案には多くの矛盾があり、政策としての実効性にも大きな疑問が残る。

COP30首脳級会合、2035年までに脱炭素燃料の利用4倍へ、日伊ブラジルが共同提案

本稿では、ブラジルの提案を冷静に解きほぐし、最後に「炭素共生(Carbon Symbiosis)」という視点から、その問題点と可能性を整理してみたい。

「脱炭素燃料」とは一体どの燃料のことか?

ブラジルがここで示す“脱炭素燃料”とは主に、

  • バイオエタノール(サトウキビ)
  • バイオディーゼル
  • SAF(バイオ系)
  • 一部で期待されるグリーン水素・E-Fuel

などだと考えられる。

しかしこれらは、脱炭素度もCO₂排出実態も大きく異なる。定義が曖昧なまま「4倍化」だけを掲げても、現実的な政策にはならない。

サトウキビ・バイオ燃料の拡大は土地と食糧を直撃する

ブラジルが量的に拡大できるのは、ほぼ間違いなくサトウキビ由来のバイオエタノールだ。しかし、これは次のような問題を生む。

  • 作付けが燃料用に偏る➡ 食糧価格上昇
  • 農地拡大 ➡ 小規模農家の排除、土地権問題
  • 収穫・輸送・発酵・蒸留 ➡ 大量のCO₂排出

バイオ燃料は“カーボンニュートラル”と説明されるが、それは帳簿上の扱いに過ぎず、実際の排出は決してゼロではない

森林保全とバイオ燃料拡大は相容れない

バイオ燃料4倍化は、長期的には農地の北上を引き起こし、アマゾン圏にまで圧力をかける。

「森林を守るCOP」で「森林を削る政策」が進むという矛盾、これを構造的に内包している点は看過できない。

グリーン水素・E-Fuelは現時点で非現実的

もしブラジルが“次世代脱炭素燃料”としてグリーン水素やE-Fuelを想定しているのだとすれば、それは過度に楽観的だ。

  • グリーンH₂:4~8ドル/kg(54~107円/Nm3-H2※)と依然として高コスト
  • E-Fuel:ジェット燃料の36
  • 再エネ電力の余力は無限ではない
  • 水力発電は渇水リスクがある

つまり、価格面でも電力面でも「4倍化」など実現できる状況にはない。

※)日本:水素を普及させるための目標価格を20円/Nm3-H2程度だと発表している。

バイオ燃料もe-Fuelも、燃やせばCO₂が出るという事実

どれだけ“脱炭素”と名乗っても、バイオ燃料もe-Fuelも炭素を含む燃料である以上、燃やせばCO₂に必ず戻る。これを覆す技術は一つも存在しない。

なのに、「排出ゼロ」に見せるための会計上のカラクリだけが先走る。これがネットゼロ運動の構造的欠陥でもある。

科学ではなく、政治的イメージ戦略ではないか

ブラジルの提案には、

  • バイオエタノール産業の保護・輸出戦略
  • “脱化石燃料国家”としてのブランド化
    といった政治目的が色濃く反映されている。

しかし、これは炭素循環の科学とはほぼ無関係である。

「脱炭素燃料」は炭素を消す思想、炭素共生Carbon Symbiosisは炭素を活かす思想

ここで本稿の核心に触れたい。

「脱炭素燃料」の代表ともいわれるバイオ燃料やE-Fuelは、見かけ上の排出ゼロをつくるための“帳簿処理”であり、炭素の現実の循環(Carbon Cycle)を扱ってはいない。燃やせばCO₂に戻り、原料段階で大量のエネルギーと炭素が使われる。つまり、「脱炭素」を掲げていても、実態は炭素の“消し込み”に過ぎない。

“炭素共生”とは、単なる理念ではなく、炭素を文明の基盤として適材適所で賢く使い切る考え方である。その具体像は以下の3点に集約できる。

  1. 炭素を用途に応じて最適に使い分ける
    (燃料・素材・肥料として、もっとも理にかなった形で利用する)
  2. 炭素を循環の中で活かし切る
    (大気・海・土・生態系へ無理なく戻す形を考える。“もったいない”の精神)
  3. CO₂を資源として扱い、必要に応じて回収・再利用する
    (CCU・材料化・農業利用など、経済的で循環を壊さない形で戻す)

このように、炭素共生は、炭素を敵とせず、生命と文明の基盤として尊重するパラダイムであり、会計上のゼロを取り繕う現行の「脱炭素燃料」とはまったく異なる。

結論:いま必要なのは脱炭素ではなく炭素を活かす知恵

「脱炭素」は炭素を敵とみなし、「炭素共生」は炭素を活かそうという考え方である。
いま問われているのは、排出量の数字ではなく、どのパラダイムを選ぶのかというテーマそのものである。

自然の中で“もったいない”と感じながら生きてきた日本人の感性に照らせば、炭素という貴重な自然資源を目の敵にする発想こそ、もっとも非現実的である。

私たちはいま、炭素を悪者扱いする時代の限界に来ている。これから必要なのは、炭素を生命・産業・文明の基盤として位置づけ、循環全体を活かし切る「炭素共生(Carbon Symbiosis)」の視点にほかならない。

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